畑打つ音や嵐の桜麻 芭 蕉
属目の吟であろう。
冬の間休んでいた畑を、彼岸の頃から八十八夜にかけて、いろいろな作物の種を蒔くために打ち返すことを、「畑打(はたうち)」という。
この畑打つ音を耳にしつつ、芽生えて間もない桜麻に眼をとめているのである。
「音や嵐」と「荒し」という縁語的な発想が、この句を弱くしていることは否めない。けれども、繊細な感受力が働いている点は、評価すべきであろう。
「畑打つ音や嵐の」が、桜麻を修飾するかたちになっているが、「や」・「の」の助詞の使い方がなかなか微妙なものを持っている。この点も学びたい。
「桜麻」は麻の名。この名は、桜の咲くころ種を蒔くからだとも、また、麻の花が桜に似ているからだともいわれている。別に、桜麻とは、麻の雄花のことだともいわれる。
季語は「畑打つ」で春。ここでは「嵐」と見立てられ、縁語的に桜麻に結びつけられている。
「畑打つ音がしきりにしている。あたりの畑には、桜麻の芽が生えはじめているが、
風に吹きなびくさまを見ていると、この畑打つ音が、桜の花を吹く嵐とも聞きなされ
てくる」
不慮といふ言葉たたみて菊根分 季 己
属目の吟であろう。
冬の間休んでいた畑を、彼岸の頃から八十八夜にかけて、いろいろな作物の種を蒔くために打ち返すことを、「畑打(はたうち)」という。
この畑打つ音を耳にしつつ、芽生えて間もない桜麻に眼をとめているのである。
「音や嵐」と「荒し」という縁語的な発想が、この句を弱くしていることは否めない。けれども、繊細な感受力が働いている点は、評価すべきであろう。
「畑打つ音や嵐の」が、桜麻を修飾するかたちになっているが、「や」・「の」の助詞の使い方がなかなか微妙なものを持っている。この点も学びたい。
「桜麻」は麻の名。この名は、桜の咲くころ種を蒔くからだとも、また、麻の花が桜に似ているからだともいわれている。別に、桜麻とは、麻の雄花のことだともいわれる。
季語は「畑打つ」で春。ここでは「嵐」と見立てられ、縁語的に桜麻に結びつけられている。
「畑打つ音がしきりにしている。あたりの畑には、桜麻の芽が生えはじめているが、
風に吹きなびくさまを見ていると、この畑打つ音が、桜の花を吹く嵐とも聞きなされ
てくる」
不慮といふ言葉たたみて菊根分 季 己