――昔、歌仙にある人が、「歌の道をば、どのように稽古修業すべきで
しょうか」と尋ねたところ、「枯野の薄、あり明の月(地には枯野の薄が
乱れ、空には有明の月がほの白い)」と答えたという。
これは、表現されないところに心をつかい、苦心して、冷厳・閑寂に
徹した余情を悟り知れ、ということである。
歌・連歌の道で最高の境地に入りきった作家の風雅には、この冷え
寂びた趣・面影がうかがわれる。
だから、「枯野の薄」といった句にも、言葉の縁で付けるのではなく、
同じ心境を象徴している「あり明の月」という句で、付けることがある。
この自覚修業のない人には、こういう付け味は、とうてい探り得ないで
あろう。
また、昔の賢人が歌を教えるのに、この歌を心に銘記して歌を工夫
しなさい、と言ったという。その歌とは、
ほのぼのと有明の月の月影に
紅葉吹きおろす山おろしの風 源 信明
これも、艶麗にのびのびとして、のどやかに、歌から感ぜられる情
景や、表現されたもののほかに感ぜられる情趣に、心を用いよ、とい
うことである。
歌の道に入ろうとする者は、まず艶という情調を主として稽古修業
すべきである、といわれている。
艶といっても、必ずしも句の姿とか、言葉の優美さ、華やかさをいう
のではない。胸のうちが清らかで、物欲・色欲などにも淡く、何ごとに
つけても、この世のことは全て無常と思い定め、何ごとにもこだわらず、
他人から受けた情愛を忘れず、その人の恩には、自分の命をもかえり
みず尽くそうと思っている人の、心の底から生まれ出た句を、艶という
のである。
美しく見せようと、うわべだけを飾った連中の句は、風姿・表現は優美
であっても、この道の奥深い境地に至った人の鑑賞眼から見れば、虚妄
が見えるだけなのだ。句の心が清かろうはずはない。
だから、古人の名歌や自讃の句などに、表現修辞を飾り、華やいだも
のは稀にも見えない。
ことに上代、つまり『万葉集』の歌などは、勢いがよく厳しいことを主と
していたので、後世の低俗な鑑賞眼からは、秀逸な歌を見分けることは
難しかろう。
あの有名な定家や家隆のような歌仙でさえ、歌作り、と仰せられたという。
慈鎮や西行こそ、真実の歌詠みだ、と仰せられたという。
(『ささめごと』心の艶の修行)
しやぼん玉 地異のいたみに彩変へぬ 季 己
しょうか」と尋ねたところ、「枯野の薄、あり明の月(地には枯野の薄が
乱れ、空には有明の月がほの白い)」と答えたという。
これは、表現されないところに心をつかい、苦心して、冷厳・閑寂に
徹した余情を悟り知れ、ということである。
歌・連歌の道で最高の境地に入りきった作家の風雅には、この冷え
寂びた趣・面影がうかがわれる。
だから、「枯野の薄」といった句にも、言葉の縁で付けるのではなく、
同じ心境を象徴している「あり明の月」という句で、付けることがある。
この自覚修業のない人には、こういう付け味は、とうてい探り得ないで
あろう。
また、昔の賢人が歌を教えるのに、この歌を心に銘記して歌を工夫
しなさい、と言ったという。その歌とは、
ほのぼのと有明の月の月影に
紅葉吹きおろす山おろしの風 源 信明
これも、艶麗にのびのびとして、のどやかに、歌から感ぜられる情
景や、表現されたもののほかに感ぜられる情趣に、心を用いよ、とい
うことである。
歌の道に入ろうとする者は、まず艶という情調を主として稽古修業
すべきである、といわれている。
艶といっても、必ずしも句の姿とか、言葉の優美さ、華やかさをいう
のではない。胸のうちが清らかで、物欲・色欲などにも淡く、何ごとに
つけても、この世のことは全て無常と思い定め、何ごとにもこだわらず、
他人から受けた情愛を忘れず、その人の恩には、自分の命をもかえり
みず尽くそうと思っている人の、心の底から生まれ出た句を、艶という
のである。
美しく見せようと、うわべだけを飾った連中の句は、風姿・表現は優美
であっても、この道の奥深い境地に至った人の鑑賞眼から見れば、虚妄
が見えるだけなのだ。句の心が清かろうはずはない。
だから、古人の名歌や自讃の句などに、表現修辞を飾り、華やいだも
のは稀にも見えない。
ことに上代、つまり『万葉集』の歌などは、勢いがよく厳しいことを主と
していたので、後世の低俗な鑑賞眼からは、秀逸な歌を見分けることは
難しかろう。
あの有名な定家や家隆のような歌仙でさえ、歌作り、と仰せられたという。
慈鎮や西行こそ、真実の歌詠みだ、と仰せられたという。
(『ささめごと』心の艶の修行)
しやぼん玉 地異のいたみに彩変へぬ 季 己