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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (47)ひえ・さび

2011年03月18日 22時50分54秒 | Weblog
 中世日本の美学理念の一つである「幽玄」は、論者によっていろいろに意味が変わります。
 心敬の幽玄論は、述懐の歌・恋の歌について述べられているところに、特徴があります。

 心敬はまず、白楽天の『琵琶行』に注目します。
 これは、左遷された官吏の真情を、揚子江上に弾く琵琶の音色にたとえた詩です。つまり、耳に聞こえる琵琶の音色ももちろん哀れであるが、その音が掻き消えて、月が西の山に沈んだ瞬間こそが、声あるさまに勝るという点に、幽玄の原点を見るのです。

 つぎに、同じ白楽天の恋の詩、『長恨歌』の一節、
    春風桃李花開日  秋雨梧桐葉落時
 をあげています。
 これは楊貴妃を追慕する詩ですが、この種の風体を「幽玄体」と呼んでいます。ここでは、恋の情念は直接には詠まれていませんが、それらは余情として、行間の沈黙の中に、切々と湛えられております。

 余情・幽玄の美の理念を作品に実現するためには、出来る限り言葉を少なくし、言外に深い余情を湛えさせなければなりません。このような連歌における至極の境地をさして、心敬は「ひえ・さび・やせ」という語を用いたのです。
 「巫山の仙女の容姿や、五湖の煙水に霞んだ幽艶な面影は、とうてい言葉には表すことが出来ない」とは、どういうことでしょうか。
 美の本質は、対象にあるのではなく、その背後の余情において暗示されるべきである、ということだと思います。これは、心敬の連歌の「さび」の美学の根本でもあります。

 「さび」の美学は、俊成を始めさまざまな歌人が取り上げています。しかしそれらは、文芸上の最高の理念を表すという位置づけを持っているわけではありません。そういう高い位置を持つに至ったのは、心敬の連歌論をおいて他にはありません。
 心敬のいう「ひえ・さび」たる句を重んじる精神こそは、「まことの俳諧」を求めた芭蕉の「さび・しをり」の美学の源流にほかなりません。
 心敬は「中世の芭蕉」という方がおられますが、芭蕉は「近世の心敬」だと、私は思っております。


      癌治療うけて戻れば春の月     季 己


 ――今日は、一度の揺れを感ずることもなく、ここまで書くことが出来た。ここ数日はこのブログを書くなというように、必ず震度3の地震が起こり、中断を余儀なくされた。本日は感謝!感謝!
 本日はまだ感謝がある。抗ガン剤治療が無事に受けられたことだ。例の好中球が2830もあったのだ。ちなみに前回(2月18日)は1860であった。
 巨大地震のためか、都立駒込病院は大混雑状態であった。朝から夕方までの一日仕事?となったが、無事に治療を受けられたことに感謝!
 点滴治療を受けていた三時間、患者と看護師さんとの会話が、そこここのベッドから聞こえてきた。
 仕事で仙台にいたお兄さんは無事で、南三陸町の自宅にいたお兄さんの奥さんとご両親は亡くなったという鎌倉の方。
 茨城県から車で三時間余りかかって来られた方。
 岩手県の親類の安否がまだ分からない、という方。
 それにひきかえ、拙宅は病院まで徒歩でも40~50分で行け、親類・知人はみな無事であった。もちろん、電気、水道のない不自由な状態の方は数名おられるが……