――だいたいの連歌の一座は、昼ごろ終わり、遅くても未の刻(午後二時ごろ)
には散会します。
一座がこれより少しでも遅れると、道義に外れると言って、ぶつぶつ文句
を言う者がおります。これをどうお思いになりますか。
――いにしえの賢人が話しておられる。
二条太閤様(二条良基)などのような高貴なお方の御一座は、いつも早朝
から深夜に及ぶという。
それほどでなくとも、朝から始めて夕方までかからない一座は、どうして
奥ゆかしく優れた一座と言えよう、言えやしない。
そのように軽々しく、恥ずかしげもなく、満座の中で申す者は、歌を詠む
のに深く考えたとしても、いかほどのことがあろう。あれやこれやと案じた
とて、取り立てて言うほどのこともない。そのようなことを申す人の句は、
かえって合点のゆかぬ句が多いものだ。
「詞(ことば)は心の使い」と言われるように、言葉こそは、その人の思
っていることが最もよく出るものであるというから、これらの人の胸中は、
落ちつかず、能力もなければ、品格もないのである。
秀逸な句といっても、何も特別なものではないのだ。心を澄んだ平らかな
境地に至らせ、世の〈あはれ〉をひたすら深く見つめる人の胸中から、生ま
れ出た句なのである。それゆえ、ちょっとした心の有り様の差なのである。
優雅で、風格があり、ひきしまっていて、きびしい詩魂が匂い出ていて、
洗練された美しさがあり、すぐれた人格の香気が、言外に匂い出てくる句は、
閑人の口から出たものである。
後京極摂政家御詠歌に
人すまぬ不破の関屋の板びさし あれにし後はただ秋のかぜ
(住む人とてない不破の関の番人の住居、そこの板葺きの
庇がすっかり荒れてしまったあとは、ただ秋風がむなしく
吹き抜けるばかり…)
この歌の「ただ」の二文字を、昔から玄妙不可説のこと、といい、言うに
言われぬ幽玄さ、微妙さの代表のように言われているとか。
あの賢聖、清厳和尚も「この‘ただ’の二文字を、この歌の中に据えるこ
とは、凡人にはとてもできないことだ。作者、良経殿の御胸のうちに、‘た
だ’に込められた秋風のような深く悲しく哀れなるものが、おありになった
に違いない。ああ、なんとも驚くべきことであるよ」などと、仰せになられ
た。
このことから察するに、“見る”“見ない”、“迷える”“悟れる”などといって
も、境があるだけで、それほど違いはないのだ。
深くその道に達した名人の句は、精魂込めて苦吟するあまりに、作者の心
がとろけ出て、胸中の奥底から出てくるので、時間がかかり、日も暮れてし
まうのである。
その道に達しない、あまり上手でない人の句は、口先から出てくるので、
わずかの時間でできるのだ。
年功ばかり積んで、真実の歌・連歌を聞き分ける耳を持たないので、ただ
一応手際よく上手にやってのけるだけの、達者な人のなんと多いことか。
(『ささめごと』連歌会の時間)
蛇出でて巨大地震にあひにけり 季 己
には散会します。
一座がこれより少しでも遅れると、道義に外れると言って、ぶつぶつ文句
を言う者がおります。これをどうお思いになりますか。
――いにしえの賢人が話しておられる。
二条太閤様(二条良基)などのような高貴なお方の御一座は、いつも早朝
から深夜に及ぶという。
それほどでなくとも、朝から始めて夕方までかからない一座は、どうして
奥ゆかしく優れた一座と言えよう、言えやしない。
そのように軽々しく、恥ずかしげもなく、満座の中で申す者は、歌を詠む
のに深く考えたとしても、いかほどのことがあろう。あれやこれやと案じた
とて、取り立てて言うほどのこともない。そのようなことを申す人の句は、
かえって合点のゆかぬ句が多いものだ。
「詞(ことば)は心の使い」と言われるように、言葉こそは、その人の思
っていることが最もよく出るものであるというから、これらの人の胸中は、
落ちつかず、能力もなければ、品格もないのである。
秀逸な句といっても、何も特別なものではないのだ。心を澄んだ平らかな
境地に至らせ、世の〈あはれ〉をひたすら深く見つめる人の胸中から、生ま
れ出た句なのである。それゆえ、ちょっとした心の有り様の差なのである。
優雅で、風格があり、ひきしまっていて、きびしい詩魂が匂い出ていて、
洗練された美しさがあり、すぐれた人格の香気が、言外に匂い出てくる句は、
閑人の口から出たものである。
後京極摂政家御詠歌に
人すまぬ不破の関屋の板びさし あれにし後はただ秋のかぜ
(住む人とてない不破の関の番人の住居、そこの板葺きの
庇がすっかり荒れてしまったあとは、ただ秋風がむなしく
吹き抜けるばかり…)
この歌の「ただ」の二文字を、昔から玄妙不可説のこと、といい、言うに
言われぬ幽玄さ、微妙さの代表のように言われているとか。
あの賢聖、清厳和尚も「この‘ただ’の二文字を、この歌の中に据えるこ
とは、凡人にはとてもできないことだ。作者、良経殿の御胸のうちに、‘た
だ’に込められた秋風のような深く悲しく哀れなるものが、おありになった
に違いない。ああ、なんとも驚くべきことであるよ」などと、仰せになられ
た。
このことから察するに、“見る”“見ない”、“迷える”“悟れる”などといって
も、境があるだけで、それほど違いはないのだ。
深くその道に達した名人の句は、精魂込めて苦吟するあまりに、作者の心
がとろけ出て、胸中の奥底から出てくるので、時間がかかり、日も暮れてし
まうのである。
その道に達しない、あまり上手でない人の句は、口先から出てくるので、
わずかの時間でできるのだ。
年功ばかり積んで、真実の歌・連歌を聞き分ける耳を持たないので、ただ
一応手際よく上手にやってのけるだけの、達者な人のなんと多いことか。
(『ささめごと』連歌会の時間)
蛇出でて巨大地震にあひにけり 季 己