壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

はこべ

2009年02月18日 22時45分52秒 | Weblog
        古諸なる古城のほとり
        雲白く遊子悲しむ
        緑なす繁縷(はこべ)は萌えず
        若草も藉(し)くによしなし
        しろがねの衾(ふすま)の岡辺
        日に溶けて淡雪流る     (島崎藤村『落梅集』より)

 春浅い千曲川のほとりで、ひとり酒を酌みながら、自分を旅人としてみるその憂愁。この憂愁はどこからくるのであろうか。
 東京を離れて知らぬ土地へ移ったことのわびしさか。失意か。孤独感か。そのいずれでもあり、そのいずれでもなかった。
 憂愁はまさに青春の終ろうとすることの、何ともいえない傷みであり、青春の光彩の消えようとすることの悲しみであった。

 島崎藤村の有名な「古諸なる古城のほとり」によれば、まだ春浅い信濃路には、雪が消え残って、“はこべ”さえ萌え出ていないようである。ふつう、“はこべ”という草は、冬の間も枯れ切ってしまうことなく、雪や霜にいじけ切ってはいても、何とか寒さを耐え忍んで、生命をつないでいる、見た目のか細さに似合わぬ丈夫な草である。

        ななくさのはこべのみ萌え葛飾野     登四郎

    せり・なずな・ごぎょう・はこべら・
      ほとけのざ・すずな・すずしろ、これぞ七草

 春の七草を詠んだ歌の中でも、“はこべ”は、雪のまだ消えやらぬ野道のあちこちに、若葉を萌え出させて、立春間もないころのビタミンC補給源として、有益な野草であった。
 見るからに新鮮な若草色の“はこべ”が、二筋三筋、茎を伸ばして繁殖し始めると、よちよち歩きの鶏のひよこが、逸早くそれを見つけて啄ばむというのも、最近では、全く見かけることのない田園風景となってしまった。

        はこべらや焦土のいろの雀ども     波 郷

 焼け跡に、はこべらが生い出で、雀どもが降りて啄ばんでいるのだ。「雀ども」に愛憐の思いがこもっている。さらに「焦土のいろ」と言って、いっそうそのうら悲しい姿への愛しさを深めている。雀の羽色の形容で、一面の焦土を暗示している見事な句である。

 こうして、昔は摘み草の代表的植物であった“はこべ”も、ただの雑草として見過ごされている。
 さっと熱湯で湯がいて、おひたしにすると、ほうれん草にもおとらず美味しい、とは母の口癖。葉も茎も柔らかく、全く癖のない“はこべ”のおひたしは、決して捨てたものではない。

 ナデシコ科に属する“はこべ”にもいろいろある。茎に紅色を帯びて、葉の小さな“紅はこべ”は、少々固くて口に合わない。薄い若草色の茎が長く伸びて、卵型の葉も大きく二センチ近くに伸び広がった普通の“はこべ”が、最も食用に適している。学説によれば、“はこべ”のおひたしは、虫垂炎その他の胃腸の病気にも効能があるという。


     おひたしははこべに限る定年後     季 己