壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

咲きゆく見れば

2009年02月10日 20時28分37秒 | Weblog
                   尾張連
        うちなびく 春来たるらし 山のまの
          遠き木ぬれの 咲きゆく見れば  (『萬葉集』巻八)

 尾張連(おわりのむらじ)の歌としてあるが、その伝は不明である。
 「うちなびく」は、枕詞というのが通説であるが、なぜ「春」にかかるのかは、はっきりわからない。春は草木が生い茂り、なびくので「ハル」につづけたのかもしれない。
 また、原文は「打靡」となっているので、「うちなびき」とも読める。どちらがいいか決められないが、「うちなびき」とした方が、格調高いように思う。
 「咲きゆく見れば」は、「次から次と花が咲いてゆくのを見れば」の意で、時間的経過を含めたものであるが、ゆったりとした迫らない響きを感じさせている。そして、春の到来に対する感慨が全体に籠り、特に結句の「見れば」のところに集まっているようである。

 一首は、「もう春が来たと見える。山のあたりの木々の梢が、はるかに遠くまで、次から次と咲いてゆく。昨日も咲いていた、今日はもっと遠くまで咲いている……」ということだろう。
 この解釈でお分かりいただけるだろうか。おそらく、「何の花」が咲いているのか?、という疑問が残ると思う。
 『萬葉集』で「花」といえば、通常、「梅の花」を指し、平安朝以後は、「桜の花」を指す。けれども、この歌には「花」という語がなく、「咲きゆく」しかないのだ。とすると「梅の花」とは考えにくい。「山桜」をうたった歌ではないか。

 桜は萬葉時代には、まだ一般には観賞の対象となっていない。当時は、桜を庭に植えることも、街路樹として植えることもきわめて稀で、おおかたは山際の桜を眺めたのである。
 桜の花を古代人が注意したのは、稲の花のシンボルとして見ていたようで、したがって、それが散ることの遅速を、その年の稲の出来の占いとして注目したのだ。
 だから、実用的な歌が多かったのだ。そういう信仰的な意味合いから桜が咲いたり散ったりするのを注意しているうちに、散るのを惜しむという、優美な生活を発見していった。したがって、平安朝の末になっても、一方には「花しずめの歌」などがあって、「やすらへ。花や」などと歌っている。枝にやすろうて、散るなよ、という呪文のような歌である。そしてそれから「鎮花祭」などという行事が生まれたのである。

 このように、山桜と考えれば納得がゆく。吉野山を例に出すまでもなく、山の桜にも遅速があって、次第に高いところへ咲き上ってゆく。そのような、ある時間的経過が「咲きゆく見れば」だろう。だからこれは、行きずりの山でなく、家からいつも眺められる向かいの山の桜である。桜という言葉を一つも入れないで、おのずからこの歌の叙景は、桜になっている。
 尾張連の歌は、桜の花を観賞の対象に持ち来たした最も早い例だと思う。


      八ツ手咲き紙ひこうきの忘れもの     季 己