壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

鬼やらひ

2009年02月02日 21時08分42秒 | Weblog
        鬼やらひ二三こゑして子に任す     波 郷

 節分の夜、各地の寺社で行なわれる儀式を「鬼やらひ」という。「やらひ」とは追い払うこと、また、そのもの、という意もある。
 「鬼やらひ」は、大晦日の夜に、宮中で行なわれた年中行事が民間に入ったものである。また、鬼に豆を投げつける行事は、中国明代に行なわれたものが日本に伝来したものという。

        豆を撒く吾がこゑ闇へ伸びゆかず     波 郷
        わがこゑののこれる耳や福は内      蛇 笏

 「福は内、鬼は外」と連呼しながら豆を撒き、鬼を追い払って厄払いをする。そのあと家族で、自分の実際の年の数より一つだけ多く豆を食べる慣わしになっている。立春前夜の福を呼ぶ行事とも言える。
 豆撒きは、迷信といえば全く取るに足りない迷信であるが、民衆の生活と深いつながりを持って、年とともに盛んになってゆく年中行事である。最近は、恵方巻などと言って、太巻寿司を恵方の方角に向いてかぶりつくのが流行している。

 四季の趣に富んだ日本の、季節の感覚にふさわしい行事といえば、三月の桃の節句、五月の菖蒲の節句、七月の七夕星祭など、極めて情緒豊かなものがある。
 いずれも、家庭の中での行事として、しだいに廃れてゆく気がするが、節分の豆撒きばかりは、それほどの季節感もないのに、ますます盛んになってゆくのは、どうしたことであろう。商魂のたくましさに、うまく載せられているのかも知れない。

        今ここに団十郎や鬼は外     其 角

 節分の豆撒きは、近代化した核家族の家庭行事というよりも、各地の神社や寺院などで、参詣の大衆を相手の社会的行事となっているからかも知れない。その上、江戸時代からあったことだが、歌舞伎役者や大相撲の力士、近頃では、映画俳優や演歌歌手、それにスポーツ選手や政治家・流行作家まで、いわゆる時の人を総動員して年男に仕立て上げ、参詣人を吸収しようという、宗教界の商魂が大当たりを取っているからである。

        凍雪を踏んで柊挿しにけり       素 十
        ひとの来て柊挿して呉れにけり    波 郷

 節分に、柊の小枝の串に、焼いた鰯の頭をさして、これを門口に挿す、という風習もある。邪鬼の目を串で挿し、鰯の臭気で追い払うまじないである。柊の他にも黒もじの木・大豆の殻・竹の串・柳の箸などを用いる。「鬼の目突」ともいう。
 鰯の他には、ねぎ・らっきょう・にんにくなど臭気の強いものが多く、髪の毛を焼いて添える所もあるという。


      豆食べて月日遠のく鬼やらひ     季 己