壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

春立つ

2009年02月03日 20時26分51秒 | Weblog
        ひさかたの 天の香具山 このゆふべ
          霞たなびく 春立つらしも

 これは『萬葉集』巻十に見える、柿本人麻呂歌集の歌である。
 巻十は、巻八と一組にして考えられる。巻八は作者の明らかな歌、巻十は、作者の不明な歌を集めてある。人麻呂歌集は、巻十の方に資料を提供している。つまり、「柿本人麻呂」と名のる歌集でも、巻十の編者は、これを作者の明らかな歌としては扱わなかったのだ。

 長い冬が過ぎて、寒々とした枯れ色に塗り込められていた大和平野にも、いつとはなく夕靄が立ち初めて、美しい香具山がおぼろにけぶって見える。ああ春が来たのだなあと、ほっとしたような思いが感じられる。

 まことに、おおらかな調べを持った、美しい歌である。大和三山の一つ、香具山にたなびく霞を見て、春になったに違いないと推断しているのだから、霞を春の景物とする季感を、既定の前提としている歌である。
 その点、発想は実景的であるよりやや概念的で、後の古今集以下の屏風歌風の詠みぶりの先蹤をなしているものといえよう。
 おそらくこれは、春になった喜びと祝賀の気持ちが根底にあって作られたものと思われる。大和の藤原京のあたりでは、天の香具山が何かというと気持のよりどころになったから、春になるにつけ、夏になるにつけ、香具山の変化が詠みこまれたことは、持統天皇の「春過ぎて」を見てもわかるのである。
 だが、さすがにこれは後世の模倣作と違って、萬葉調の明朗闊達ぶりを十分に発揮している。人麻呂の作であると思う。

        春立つと いふばかりにや 三吉野の
          山も霞みて 今朝は見ゆらむ

 これは、古今集時代の歌人、壬生忠岑の歌である。
 眼前の香具山にけぶる春霞から、しみじみと立春という季節の到来を思い知らされた人麻呂の歌に対して、平安京に身を置きながら、遠く吉野の山の春霞を思いやる忠岑の歌は、極めて抽象的だという他はない。
 しかし、たとえ観念的であるにせよ、今日は立春だということを知って、陰鬱な冬はもう過ぎたのだと、春を自覚することは、どんなにか楽しいことであろう。

        立春の米こぼれをり葛西橋     波 郷

 波郷は、昭和21年(1946)、葛西に転居した。
 この句は「立春の」で切れる。当時は、米の遅配・欠配は常であったという。葛西橋にこぼれていたのは、わずかの量にすぎない米だ。けれども、その純白の美しい色が、飢えた通行人の眼を射る。
 葛西橋は、千葉県への買出しの通路に当たる中川に架かっている。まだ寒が明けたばかりの寒さだが、日差しはすでに伸び、疲れた敗戦国の人々も、近づく春をみな心頼みに過ごしているころである。

 春は寒さからの解放とともに、自然界の生命の復活の時である。鳥の囀り、木々の芽吹き、田起こしなどの農作業の準備など、ふたたび活気がみなぎりはじめる。
 過去のいやなこと、悲しいこと、暗いことは忘れて、未来に向かっての希望に燃え立つことが大切だと思う。
 暦の上の立春では、まだまだ気温も低く、若芽の萌え出る春には程遠くても、立春を節目として、自分の気持を切り替えるというのも、いいことではないだろうか。


      立春の病棟にある鬼の面     季 己