みぞれが雪にかわった。午前10時ごろのことである。東京で本格的な雪が降ったのは、今シーズン初めてだ。寒さもこの冬一番とのこと。
その春の雪も、午後2時過ぎには春雨となった。
春雨や蓬をのばす草の道 芭 蕉
深川・芭蕉庵近辺での嘱目吟(しょくもくぎん=目にふれたものを即興的に詠むこと)という。
「蓬をのばす」は、他の草の中から、ぐんぐん伸びてゆく蓬(よもぎ)を彷彿させるつかみ方で、素直に自然を見ている目が感じられる。
「のばす」は連体形で、「蓬をのばす草の道」がひとまとまりになる。したがって、春雨が「蓬をのばす」というのではなく、春雨が「蓬をのばす草の道」に降りそそいでいるというのである。つまり、ひときわ目立って蓬が生長ぶりを見せている草の道に、春雨が降りそそいでいるのだ。
「春雨がしとしとと草萌えの道に降りそそいでいる。その道には、蓬が、
ひときわ目立って、すくすくと伸びはじめている」という意。
春の野を渡る風はまだ冷たいとはいいながら、日も長くなり、そろそろ摘み草の季節となってきた。早春の野の摘み草は、まず蓬から始まる。
蓬は、キク科の多年草で、野原や田畑の畦などに生え、高さは1メートルにもなる。早春、若葉を摘んで草餅を作る。摘んだ蓬の香は野趣に満ち、季節の歓びを味わわせてくれる。
風吹いて持つ手にあまる蓬かな 秋櫻子
まだ日は高い早春の野も、さすがに午後四時、五時ともなると、風が冷えてくる。摘み取った蓬も、両手にあまるほどとなった。こうして摘んだ、蓬の若葉を茹で上げて灰汁(あく)をぬき、細かく刻んで餅の中につきこんだり、上新粉をふかした餅にこねあわせて作るのが、草餅である。作りたての草餅の緑の鮮やかさは、これまた春の歓びを知らせるものであろう。
鶯の来て染めつらむ草の餅 嵐 雪
芭蕉の弟子の嵐雪のこの句は、草餅にあふれる季節の感覚を詠んだものである。
蓬は生命力が強く、これから夏にかけてぐんぐん成長し、1メートルほどの高さに伸びたころ、その葉をとってよく乾かし、それを手で揉んだり、石臼で搗くと、枯れた葉は粉となって散り、葉の裏の綿毛だけがまとまって残る。これがお灸に使う“もぐさ”である。モグサとは、よく燃える草モエクサの意だといわれている。
百人一首で知られた実方朝臣の、
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
という歌に見える伊吹山は、“もぐさ”の有名な産地である。
篠笛の音のつまづき春の雪 季 己
その春の雪も、午後2時過ぎには春雨となった。
春雨や蓬をのばす草の道 芭 蕉
深川・芭蕉庵近辺での嘱目吟(しょくもくぎん=目にふれたものを即興的に詠むこと)という。
「蓬をのばす」は、他の草の中から、ぐんぐん伸びてゆく蓬(よもぎ)を彷彿させるつかみ方で、素直に自然を見ている目が感じられる。
「のばす」は連体形で、「蓬をのばす草の道」がひとまとまりになる。したがって、春雨が「蓬をのばす」というのではなく、春雨が「蓬をのばす草の道」に降りそそいでいるというのである。つまり、ひときわ目立って蓬が生長ぶりを見せている草の道に、春雨が降りそそいでいるのだ。
「春雨がしとしとと草萌えの道に降りそそいでいる。その道には、蓬が、
ひときわ目立って、すくすくと伸びはじめている」という意。
春の野を渡る風はまだ冷たいとはいいながら、日も長くなり、そろそろ摘み草の季節となってきた。早春の野の摘み草は、まず蓬から始まる。
蓬は、キク科の多年草で、野原や田畑の畦などに生え、高さは1メートルにもなる。早春、若葉を摘んで草餅を作る。摘んだ蓬の香は野趣に満ち、季節の歓びを味わわせてくれる。
風吹いて持つ手にあまる蓬かな 秋櫻子
まだ日は高い早春の野も、さすがに午後四時、五時ともなると、風が冷えてくる。摘み取った蓬も、両手にあまるほどとなった。こうして摘んだ、蓬の若葉を茹で上げて灰汁(あく)をぬき、細かく刻んで餅の中につきこんだり、上新粉をふかした餅にこねあわせて作るのが、草餅である。作りたての草餅の緑の鮮やかさは、これまた春の歓びを知らせるものであろう。
鶯の来て染めつらむ草の餅 嵐 雪
芭蕉の弟子の嵐雪のこの句は、草餅にあふれる季節の感覚を詠んだものである。
蓬は生命力が強く、これから夏にかけてぐんぐん成長し、1メートルほどの高さに伸びたころ、その葉をとってよく乾かし、それを手で揉んだり、石臼で搗くと、枯れた葉は粉となって散り、葉の裏の綿毛だけがまとまって残る。これがお灸に使う“もぐさ”である。モグサとは、よく燃える草モエクサの意だといわれている。
百人一首で知られた実方朝臣の、
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
という歌に見える伊吹山は、“もぐさ”の有名な産地である。
篠笛の音のつまづき春の雪 季 己