壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

春寒

2009年02月16日 20時46分26秒 | Weblog
 立春になってから訪れる寒さを「春寒(はるさむ)」という。
 「拝啓 春寒料峭の候」と手紙の書き出しに使う「春寒」が、ちょうど今夜のことであろう。
 この二、三日ポカポカと春めいて、ほころび始めた盆梅が、ベランダで縮み上がるばかり、急に寒さが立ち返ったようだ。
 暦の上では春は立っても、今夜から明後日にかけての天気図は、縦縞模様の冬型で、雪の山から吹き降ろしてくる北風は冷たい。

        春寒し泊瀬の廊下の足のうら     太 祇

 「泊瀬」は、この句の場合「はせ」と読み、奈良の長谷寺のことである。
 長谷寺は、一般には長谷観音と呼ばれ、鎌倉の長谷観音と同様に絶大な信仰を集めている。本尊は十一面観音で、脇侍として難陀竜王と雨宝童子がひかえている。
 また、長谷寺は西国第八番の霊場としても有名である。白装束をまとい「幾度もまいる心は長谷寺(はつせでら)、山も誓いも深き谷川」と御詠歌をとなえながら、長い廊下をつたわって本堂に昇っていく善男善女にあうとき、われわれはこの寺が信仰の絶え間ない霊場であることを知るとともに、観音さまへの帰依の心を起こさずにはいられない。そしてまた、これらの人々は、巡礼の常として本堂に籠って夜を過ごすことも多かった。俳聖芭蕉も、つぎのように詠んでいる。

        春の夜や籠り人ゆかし堂の隅     芭 蕉

 立春を過ぎてもなお残っている寒さを「余寒(よかん)」という。「春寒」、「冴返る」などとほぼ同じ季感を表す季語である。
 しかし、「春寒」は春のほうに重きがあり、「冴返る」は春をひとたび、ふたたびと体感して後の寒さであるが、「余寒」は、寒が明けても寒さが残っているという、寒のほうに思いの傾いた感じのする季語である。

        春寒し水田の上の根なし草     碧梧桐
        筆選ぶ店先にゐて冴え返る     犀 星
        鎌倉を驚かしたる余寒あり     虚 子

 もう一息の暖かさが続けば、盆梅の蕾もつぎつぎ開いて、快く清らかな香りを漂わせることだろうに、この寒さに蕾も開きかねているに違いない。


      春寒の雨宝童子の宝珠かな     季 己