壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

涅槃会

2009年02月14日 20時31分39秒 | Weblog
        朱の多き涅槃図かかり湖の寺     澄 雄
 
 陰暦二月十五日を釈迦入滅の日としている。釈迦が入滅されたことを涅槃と呼び、この日、全国の寺々で法要が営まれる。その法要を「涅槃会(ねはんえ)」といっている。
 金色・赤色の多い条幅の涅槃図が掲げられ、香華と共に五色の団子が供えられるのが特徴で、図絵には釈尊を囲んで悲泣する五十二類・三十六禽の一切有情が精密に描かれる。寄添って臨終を暗然と告げるのは、天竺一番の名医ギバであり、床辺に哀しみのあまり白葉と変じているのは、涙知る名樹、沙羅双樹の茂みである。

        葛城の山懐に寝釈迦かな     青 畝

 『仏祖統記』という中国の書物に、
 「如来ハ周ノ穆王(ボクオウ)五十三年二月十五日ニ入滅ス。凡(オヨ)そ伽藍ニアリテハ、必ズ供(ク)ヲ修シ、礼(ライ)ヲ設ク。コレヲ仏忌トイフ」
 と記されているところから、二月十五日には、釈迦入滅を記念する涅槃会が行なわれることとなった。

 お釈迦様が亡くなられた年については、いろいろの説がある。
 『仏祖統記』に見える、周の穆王五十三年というのは、西暦紀元前948年、今から2957年前の昔となるが、これは何かの間違いで、大体紀元前480年頃、今から2490年以前のことと考えられている。

 さて、釈迦入滅の夜、満月の煌々と輝くクシナガラの地に、弟子たちの手厚い看護を受けながら、人類に慈悲の教えを説いた釈尊は、その月の沈むのと共に、静かに息を引き取られた。
 涅槃というのは、梵語のニルバーナ、あるいはパーリ語のニッパーナの音訳で、その言葉の意味は、吹き消すこと、また、それから転じた静寂すなわち死を意味する言葉である。
 そしてこの時、沙羅双樹の枝は、ことごとく垂れて、釈尊の亡骸を覆い、葉の色は変じて白い鶴の羽のようになったので、双林の夕べとか鶴の林という言葉が生まれたといわれる。

        涅槃図に洩れて障子の外の猫     化 石

 伝説によると、この日、釈尊の死を惜しんで、天界から不死の霊薬が投げられた。ところが、その袋が沙羅の木の枝に引っかかってしまった。ネズミが薬袋の紐を食いちぎって落とそうと木に登って行ったところ、一匹の猫が飛びかかって、そのネズミを食ってしまった。そのため、せっかくの薬が間に合わず、釈尊は息を引き取られたという。
 そういうわけで、釈尊入滅の床には、天地の間のあらゆる生物が集まって、歎き悲しんだ中に、猫だけは仲間外れにされたのだと伝えられている。
 釈尊入滅の有様を描いた涅槃図に、猫が描かれていないのは、そのためで、子丑寅とつづく十二支の中に、猫が入っていないのもそのためだという。
 そういえば、たいていの涅槃図には猫が描かれていないが、京都・東福寺の涅槃図には、猫も描かれ、歎きに加わっている。


      涅槃図に束の間入りし猫嫌ひ     季 己