壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

猫の日

2009年02月22日 22時41分41秒 | Weblog
 「ニャン・ニャン・ニャン」で、2月22日は「猫の日」という。誰が決めたか知らぬが、この伝で言えば、1月11日は「ワン・ワン・ワン」、11月11日は「ワン・ワン・ワン・ワン」で、ともに「犬の日」なのであろうか。
 「猫の日」というわけではないが、明治神宮へ行ったついでに、また「加山又造展」を観てきた……。

        猫の妻へつひの崩れより通ひけり     芭 蕉

 「『伊勢物語』のむかし、男は築地の崩れから、思う女のもとに通ったというが、これは猫のこととて、へつひ(竃=かまど)の崩れから、しかも妻猫のほうが牡のもとへかよっているよ」

 句は、『伊勢物語』第五段

 「むかし男ありけり。東の五条わたりにいと忍びていきけり。みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり」

 による作意である。
 業平の恋を猫の恋に転じ、「築地のくづれ」を「へつひの崩れ」に転じたところがポイントである。
 また、人間は夫が通い、猫は逆に妻が通うという笑いをも含むものと思われる。談林の得意とする古典の卑俗化の手法によった作である。

 この句は、延宝五年(1677)刊の『六百番俳諧発句合』に出ているが、『句合』の判詞も、業平の歌「人知れぬわが通ひ路の関守はよひよひごとにうちも寝ななん」をもじって、「右のへつひの崩れより通らば、在原ののらにや、よひよひごとにうちもねうねうとこそ啼くらめ」といっている。

        またうどな犬踏みつけて猫の恋     芭 蕉

 「生真面目な犬が門を守っているのを、恋に浮かれた猫が踏みつけにして外に出てゆくことだわい」

 「またうど」は「全人(またうど)」で、欠点のない人の意。ここは「全人なり」という形容動詞で、まぬけとか、律儀とかの意。
 「踏みつけて」は俗に言う、踏みつけにしての意で、侮ってないがしろにすることである。

 軽い滑稽をいかした句である。さかりのついた猫は、ふだん怖れを抱くはずの犬さえ、いっこうにこわがらない。その恋に夢中な姿と、律儀な犬の姿が対比されたところに、一脈のおかしみが湧いてくる。
 季語は「猫の恋」で春であるが、猫の恋の情趣よりも、どこか人間くさい味わいが中心になっている。


      又造の猫の恋することありや     季 己