壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

三井寺展

2009年02月19日 20時09分26秒 | Weblog
        三井寺の門たたかばやけふの月     芭 蕉

 「今夜の名月はまことにすばらしく、月見の興はどうにも尽きそうにない。この上は、名月にゆかりある三井寺の月下の門を、たたきたいものだ」

 元禄四年(1691)八月十五日、義仲寺無名庵での月見の句である。
 この日、芭蕉は門弟たちと相会し、琵琶湖に舟を浮かべ、深夜、千那(せんな)・尚白(しょうはく)を訪ねて驚かしたあげくの、五更過ぎの作といわれている。五更は、午前三時~五時のことであるから、正確には十六日の作であるが、どうでもよいことであろう。

 三井寺は、大津にある園城寺(おんじょうじ)のことで、琵琶湖を望む景勝の地に建ち、桜の名所、近江八景のひとつ「三井の晩鐘(ばんしょう)」として知られている。
 白鳳時代に創建され、平安時代に智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が中興して天台別院となり、以後、権門寺院として栄えた。
 他の寺社との抗争や戦乱に遭いながらも、そのたびに不死鳥のように蘇り、今日に多くの寺宝を伝えている。

 2008年は智証大師円珍が唐より帰朝されて1150年、また狩野永徳の長男で、三井寺の勧学院に華麗な障壁画を残した狩野光信の没後400年にあたる。
 この節目の年を記念して、いま、「国宝 三井寺展」が、東京赤坂のサントリー美術館(東京ミッドタウン ガレリア3階)で開かれている(3月15日まで)。
 三井寺の名宝を中心に、国宝・重要文化財60件を含むおよそ180件が公開され、多彩な美術と歴史の織りなす三井寺の魅力を存分に味わえる。

 三井寺の広大な境内には、30を超えるお堂が建ち、膨大な数の経典、仏画、仏像が伝来している。
 その名宝を一堂に会し、三井寺の魅力を余すところなく伝える本展では、修行を積んだ限られた人しかお姿を拝むことが出来ない秘仏の数々も公開されている。毎日でも通いたい名宝展である。

 今回、最も期待しているのが、25日(水)から特別公開される秘仏中の秘仏、国宝《不動明王像(黄不動尊)》だ。これは、円珍が山にこもって修行しているときに、眼前に現れた金色に輝く不動明王の画像である。
 円珍は、忽然と現れた不動から「仏の教えを究めて迷える衆生を導くべし」と告げられた、と伝えられている。その姿を画工に写させたという黄不動尊は、平安から鎌倉時代にかけて盛んに模写され、また彫刻化されて信仰されている。

 また、円珍が唐から帰国する船中に現れ、円珍を三井寺に導いたのが新羅(しんら)明神。異国の神の姿を刻んだ国宝《新羅明神坐像》は、三井寺独特の神像という。その表情、お姿は、非常に特異で、怖い気もするが、特別なお像という感じがする。これほど長い期間、一般に公開されるのは今回が初めてという、神秘の秘仏である。

 これらの他に、霊験あらたかに感じた仏さまは、《御骨大師》《中尊大師》の二つの国宝の智証大師坐像、重要文化財の《不動明王立像(黄不動尊)》、国宝《伝船中湧現観音像》および重要文化財の《護法善神立像》。
 さらに国宝《五部心観》と、円珍の出自・僧歴・入唐の足跡・求法の成果と教学に関する書状には、心がふるえるほど感動した。
 会期終了の3月15日(日)まで、当分、「三井寺展」詣でがつづきそうである。


      冴えかへる中尊御骨大師像     季 己