壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

光陰如箭

2009年02月12日 20時31分10秒 | Weblog
 今日も一万人のリストラ予定が発表された。いったい何時になったらリストラの嵐は収まるのだろうか。
 働きたくとも仕事がない。その心中やいかばかりであろうか。リタイアした変人ではあるが、その気持は、おおよそ察することは出来る。いまの私がそうなのだ、切実さはないけれど……。

 退職後しばらく、毎日が日曜日、“サンデー毎日”などとうそぶいていたが、それにも飽きて、講習を受け、区の観光ボランティアガイドになった。
 けれども仕事がないのだ。それもそのはず、ボランティアガイドは40数名いるのだが、ガイドの依頼は年に数件。単純計算してもガイドが出来る確率は、2年に1度くらい。
 まだ1度も仕事をしていないのに、ボランティアガイド第3期生が10数名誕生するという。その顔合わせを兼ねた会合が18日(水)に行なわれるのだが、出席するつもりは全くない。
 区の観光振興課は、ボランティアガイド養成講座を開くだけのところなのであろうか。

 昨年から月に一回、自主連絡会と称する勉強会が行なわれることになった。
 第1期生の中にご立派な方がおられ、何でも自分の好きなように決め、第2期生には有無を言わせず従わせているらしい。こんなオエライ方には、お側にも寄れない内気な変人は、自主連絡会には一度も出たことがない。それでも、何度か出席した第2期生の方々から色々な情報が入ってくる。
 区の事務局からの通知によると、このところ毎回17名前後の出席がある。約40パーセントの出席率は、麻生総理の支持率の2倍以上だから、立派なものである。
 いつ、お声がかかるかわからない観光ボランティアガイドであるが、極力時間を作り、独りで区内を歩き、調べるなど準備万端ととのえているのだが……。

 「光陰如箭(こういんやのごとし)」とは、月日や歳月の早く過ぎてゆくのを、弓から放たれた箭(矢)にたとえた熟語で、同意語に、「光陰、人を待たず」「一寸の光陰軽んずべからず」などがある。
 いずれも古い教えだが、現代人には忘れられているようだ。しかし、人間がいかに忘却しても、日月の速力の速い真実には、いささかの変わりもない。
 高校の漢文の時間に習った「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ醒めず池塘春草の夢、階前の梧葉既に秋声」は、今でも頭の隅にはあるが、詩の教えを実行することなく今日を迎えてしまったことを、恥じている。
 詩は教える。「自分はまだ若いと思っているうちに、すぐ老人になってしまう。それに反し、学問はなかなか成し難い。だから寸暇を惜しんで学ぼう。池のほとりの若草の、春の夢まだ覚めやらぬうちに、階(きざはし)の前の梧(あおぎり)の葉に、もうさやさやと秋風が鳴っている……」と。
 
 このような反省もあり、今度は「日本語ボランティア養成講座」を受講し、18回、計36時間の講座を修了し、この1月から活動を始めた。
 毎週火曜日・木曜日は「外国人のための日本語教室」、水曜日は「外国人のための日本語サロン」で、日本語を習得したい外国人の手助けをするために。
 ところがドッコイ、世の中、甘くはなかった。火・木の「日本語教室」では、まだ担当させてもらえず、3月まではずっと、先輩ボランティアの方々の教え方を勉強しなければならないのだ。これが大変なストレスになる。
 教職が天職といってもよいほど、40数年、専門の国語の他、数学・ソロバン・古典文学・俳句・幼児教育と、3歳の幼児から93歳の方までを相手に、教職一筋に歩いて来た者にとって、直接教えることの出来ない苦痛といったらない。ゲーム好きの子供が目の前で、大人にゲームをされている感覚、いや、腹ペコなのに、目の前にご馳走を見せつけられている感じ、といったらよいか、たとえようのないツラサを味わっている。もちろん、実際に職を失った方に比べれば、他愛もないことだが。
 そこで、この苦痛を楽しみにかえようと、最近、先輩ボランティアの教え方にチェックを入れたり、誤りを探したりし始めたら、“あるある大辞典”。
 「人のふり見て我がふり直せ」と、心に言い聞かせているが、「光陰如箭」「一寸の光陰軽んずべからず」の気持がますます強くなっている。
 いっそボランティアをやめてやめてしまおうかと、いま真剣に考えている。 


      浅春の不忍池ねむりをる     季 己