この汚い隅田川で、あの美しい白魚がとれたという。
調べてみると、たしかに明治の中頃までは獲れたという記録がある。そのころまではきっと“澄”田川であったのであろう。
浅草海苔は、隅田川の河口、江戸前浅草の漁場で、天日に干して作られたものだ。御茶ノ水というのも、神田川の水を汲んで、江戸城中のお茶を点てるのに使ったことから、その名が残されたといわれる。
「月も朧に白魚の篝も霞む春の空……」
ご存知『三人吉三廓初買(さんにんきちざくるわのはつがい)』で有名な名台詞。三人吉三出会いの場は、歌舞伎に興味を持つほどの人ならば、忘れることの出来ない美しい韻律を持った文句である。
春の月が朧に霞む隅田川の堤に、四手網を操って白魚を獲る漁師の背中には、篝火がちらちらと明滅している。まさに、美しい大江戸情緒である。
あけぼのや白魚白きこと一寸 芭 蕉
夜明けの空が明るんできたころ、折から引き上げられた漁師の網の中に
白魚がまじっている。しろじろとして、見ればまだ小さくて一寸ぐらいの白魚
であった。
芭蕉のこの句は、白魚にもっともふさわしい名句だと思う。
白魚やさながら動く水の色 来 山
透明なからだをした白魚の、水の中での生態をよくとらえた句である。
二、三月頃、その透明なからだに、薄紅色の卵が透いて見える産卵期の白魚が、卵を産みつけるために河口をのぼってくる。
そのころが、漁獲の最盛期で、一夜干しにした真白な魚体に包まれた卵の紅が、また可憐な美しさを見せてくれる。
白魚や目まで白魚目は黒魚 鬼 貫
干した白魚に、一点目立つ目の黒さ。鬼貫(おにつら)の句は、その鮮やかなコントラストをとらえた滑稽な表現である。
白魚のさかなたること略しけり 道 夫
現代の、白魚の名句をあげよと言われたなら、中原道夫のこの句を第一番にあげたい。
白魚の身をよせあふや四手網 季 己
調べてみると、たしかに明治の中頃までは獲れたという記録がある。そのころまではきっと“澄”田川であったのであろう。
浅草海苔は、隅田川の河口、江戸前浅草の漁場で、天日に干して作られたものだ。御茶ノ水というのも、神田川の水を汲んで、江戸城中のお茶を点てるのに使ったことから、その名が残されたといわれる。
「月も朧に白魚の篝も霞む春の空……」
ご存知『三人吉三廓初買(さんにんきちざくるわのはつがい)』で有名な名台詞。三人吉三出会いの場は、歌舞伎に興味を持つほどの人ならば、忘れることの出来ない美しい韻律を持った文句である。
春の月が朧に霞む隅田川の堤に、四手網を操って白魚を獲る漁師の背中には、篝火がちらちらと明滅している。まさに、美しい大江戸情緒である。
あけぼのや白魚白きこと一寸 芭 蕉
夜明けの空が明るんできたころ、折から引き上げられた漁師の網の中に
白魚がまじっている。しろじろとして、見ればまだ小さくて一寸ぐらいの白魚
であった。
芭蕉のこの句は、白魚にもっともふさわしい名句だと思う。
白魚やさながら動く水の色 来 山
透明なからだをした白魚の、水の中での生態をよくとらえた句である。
二、三月頃、その透明なからだに、薄紅色の卵が透いて見える産卵期の白魚が、卵を産みつけるために河口をのぼってくる。
そのころが、漁獲の最盛期で、一夜干しにした真白な魚体に包まれた卵の紅が、また可憐な美しさを見せてくれる。
白魚や目まで白魚目は黒魚 鬼 貫
干した白魚に、一点目立つ目の黒さ。鬼貫(おにつら)の句は、その鮮やかなコントラストをとらえた滑稽な表現である。
白魚のさかなたること略しけり 道 夫
現代の、白魚の名句をあげよと言われたなら、中原道夫のこの句を第一番にあげたい。
白魚の身をよせあふや四手網 季 己