壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

雪女

2009年02月04日 20時26分50秒 | Weblog
        かまくらを覗きゆきしと雪女     比奈夫
        みちのくの雪深ければ雪女郎     青 邨

 雪深い道に雪がしんしんと降る夜、白い衣の妖女が現れ、あやしく誘う。これを雪女あるいは雪女郎という。また雪姫、雪坊主とも……。雪国の幻想の話ながら、雪の夜に聞くと、どこか現実味を帯び、哀しみを覚える。

        雪女郎おそろし父の恋恐ろし     草田男
        なみおとを恋歌ときき雪女郎     三七子

 いるかいないか、信じるか信じないかではなく、こういうファンタスティックな題材をいかに料理できるか、作者の腕の見せどころと言えるかも知れない。

        黒塚のまことこもれり雪女     其 角

 謡曲に「雪」というのがある。荒筋はこうだ。
 摂津の国四天王寺に参詣しようと、ひとりの僧が、遠い奥州からはるばると上って来た。
 ようやく摂津の国、野田の里まで来ると、一天にわかに掻き曇り、物の区別もつかぬ吹雪となった。木蔭に雪を避けている僧の前に、ふうっと一人の女が現れる。
 「不思議やな、これなる雪の中よりも、女性一人(にょしょういちにん)現れ給うは、如何なる人にてましますぞ」と尋ねる。
 「誰とは如何(いか)で白雪の、唯おのずから現れたり」とこたえる。
 さては雪の精かと驚く僧に、雪女は、成仏できずにいる迷いを晴らしてくれるよう、法華経の供養を頼む。
 やがて、法力によって迷いの晴れた女は、朝ぼらけに晴れゆく野田の川霧とともに姿を消す、という一幕である。

        みちのくの頬の真赤な雪女郎     二三雄

 これはまことにしんみりとした仏教説話であるが、紀伊の国には、一本足で子供の雪坊。伊予の国では、幼い子供をさらう雪婆があり、飛騨の国では、一つ目一本足の雪入道。磐城地方では、背を向けると、その人を谷へ突き落とす雪女郎。秋田の雪女は、目鼻もないノッペラ坊と、それぞれの土地の雪が深くなるにつれて、その怪奇性や凶暴性も増してゆくようである。


      法華経や天に消えゆく雪女     季 己