壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

梅と若菜

2009年02月21日 23時07分05秒 | Weblog
         乙州(おとくに)が東武行(とうぶこう)に餞(はなむけ)す
        梅若菜鞠子(まりこ)の宿(しゅく)のとろろ汁    芭 蕉

 調子のよい句であるが、それだけではない。旅の経験者が、先達らしい心遣いで、若い後進に物を言いかけるあたたかさにあふれるとともに、東海道の早春の風物に対する愛情が、自ずと調子を生んで出来た句という感じがする。梅と若菜、そうしてあの鞠子の宿のとろろ汁、と芭蕉は心の中で数えあげているのだ。「梅」・「若菜」の雅語に対して、「とろろ汁」がよく俳味をただよわせる効果をあげている。

 餞(はなむけ)の句でありながら、それらしい語は一語もなく、芭蕉の旅心そのものが、躍動して、この句を口ずさむ者を旅にかりたてるような気分にする。それがおのずから餞となっているのである。

 「君がこれから旅をしてゆく東海道は、いま梅の盛りであり、若菜も真っ青に萌えて目をたのしませるころである。それにあの名高い鞠子の宿ではとろろ汁のうまい時期で、きっと旅人の君の心を慰めてくれるであろう」という意。

 この句について『三冊子(さんぞうし)』には、

   この句、師のいはく、「工(たく)みて云へる句にあらず。ふといひて、
  宜(よろ)しとあとにてしりたる句なり。かくのごとくの句は、又せんと
  はいひがたし」となり。東武におもむく人に対しての吟なり。梅、若菜と
  興じて、鞠子の宿には、といひはなして当てたる一体(いってい)なり。

 と見えている。

 前書きは、乙州が東武、つまり江戸に赴くのを送って、そのはなむけに詠んだの意。鞠子の宿は、東海道の宿駅の一つで、駿河国安倍郡にあり、名物とろろ汁で有名であった。
 「とろろ汁」は、近代俳句では秋の季語とするが、当時はまだ季語として成立しておらず、この句では「梅」もしくは「若菜」が季語で、春。


      盆梅の吐息をついてこぼれけり     季 己