今日、伊豆大島でウグイスの「初音(はつね)」が聞かれたという。
「初音」といって、第一声を称えられる鳥が二ついる。春のウグイスと夏のホトトギスである。それだけ俳人を待ち焦がれさせるわけである。
年に二回あるものは先のものを正とする、という俳句の世界の慣例で、単に「初音」といえばウグイスの初音をさす。
「関東のウグイスは声に“なまり”があるが、ここのは京の“たね”なので、声が美しい」などと言われていたように、初音は、関西、ことに奈良のものを最上とし、信州奈良井のものをその次とした。江戸周辺では、“鶯谷”というJRの駅名があるように、根岸のものが有名であった。
鶯の身をさかさまにはつねかな 其 角
一読して生じる、鮮明なウグイスの印象を味わうべき句である。
この句の興味は、作者の心の中にあるウグイスの姿の、いわゆるイメージが詠まれている点にある。ここに其角の句の、一つの特色が見られる。
この句は、去来の「幼鶯に身を逆(さかさま)にする曲なし、初の字心得がたし」の評があって知られる句である。
初音ごろのウグイスが身をさかさまに傾けて鳴くということが、実際にないものかどうかの問題もあるが、事実だとしてもこの批判は当たらない。俳句は、事実の報告でもなく、事実を述べるものでもないからである。また、この句は、心の中に生きている心象の表出の句で、ここを味わうべき句でもあるからだ。
去来の評は、近代人の写実主義的な批判で、この側面からのみで味わうと、其角の句は、「心得がたき」句となるものが非常に多い。
去来が考えている蕉風との相違が見られる点でも興味深い句といえよう。
此の梅に牛も初音と鳴きつべし 芭 蕉
天満宮に奉納する句として、天神にゆかりのある梅と牛とを取り合わせ、特に「牛も」といって鶯を内にひそめてしまったところが俳諧的な趣向である。
「此の梅に」の「此の」と強く言っているのは、天満宮社前の梅を強調した発想である。「牛も」は「牛までも」の意で、裏に「鶯はもちろん」の意を含んでいる。梅のみならず、牛も天満宮に関係深いものとされたことは、当時の付合指導書にも見え、牛乗り天神といって牛に乗った菅公をまつったり、境内に臥牛の像が奉納されていたりする。
「初音と」は、自ら進んで初音せんものとの意だが、「初音」は鶯の初音を意味するのが普通である。
「初音」と「梅」が季語で、春であるが、ここでは「初音」に重みがかけられている。
「初春を寿いで、この天満宮の社前の梅に、鶯は初音をはりあげているが、これに誘われて社前の臥牛の像までも、我も初音しようと鳴き出すにちがいない」といった意であろう。
延宝三年(1675)五月、江戸に下った談林の中心人物、西山宗因と一座した折の連句に、芭蕉の旧号である「桃青」の名が初めて見えているが、談林の新風に魅せられ、俳諧への執心もたかまりつつあった延宝四年二月の作である。
宗因は梅翁と号したので、「此の梅に」といったところに、梅翁の風、すなわち談林風への初音をあげようという意欲がかくされているものと思われる。牛に鈍重な自分が託されていることは、もちろんである。
はるかなる榛の木山の初音かな 季 己
「初音」といって、第一声を称えられる鳥が二ついる。春のウグイスと夏のホトトギスである。それだけ俳人を待ち焦がれさせるわけである。
年に二回あるものは先のものを正とする、という俳句の世界の慣例で、単に「初音」といえばウグイスの初音をさす。
「関東のウグイスは声に“なまり”があるが、ここのは京の“たね”なので、声が美しい」などと言われていたように、初音は、関西、ことに奈良のものを最上とし、信州奈良井のものをその次とした。江戸周辺では、“鶯谷”というJRの駅名があるように、根岸のものが有名であった。
鶯の身をさかさまにはつねかな 其 角
一読して生じる、鮮明なウグイスの印象を味わうべき句である。
この句の興味は、作者の心の中にあるウグイスの姿の、いわゆるイメージが詠まれている点にある。ここに其角の句の、一つの特色が見られる。
この句は、去来の「幼鶯に身を逆(さかさま)にする曲なし、初の字心得がたし」の評があって知られる句である。
初音ごろのウグイスが身をさかさまに傾けて鳴くということが、実際にないものかどうかの問題もあるが、事実だとしてもこの批判は当たらない。俳句は、事実の報告でもなく、事実を述べるものでもないからである。また、この句は、心の中に生きている心象の表出の句で、ここを味わうべき句でもあるからだ。
去来の評は、近代人の写実主義的な批判で、この側面からのみで味わうと、其角の句は、「心得がたき」句となるものが非常に多い。
去来が考えている蕉風との相違が見られる点でも興味深い句といえよう。
此の梅に牛も初音と鳴きつべし 芭 蕉
天満宮に奉納する句として、天神にゆかりのある梅と牛とを取り合わせ、特に「牛も」といって鶯を内にひそめてしまったところが俳諧的な趣向である。
「此の梅に」の「此の」と強く言っているのは、天満宮社前の梅を強調した発想である。「牛も」は「牛までも」の意で、裏に「鶯はもちろん」の意を含んでいる。梅のみならず、牛も天満宮に関係深いものとされたことは、当時の付合指導書にも見え、牛乗り天神といって牛に乗った菅公をまつったり、境内に臥牛の像が奉納されていたりする。
「初音と」は、自ら進んで初音せんものとの意だが、「初音」は鶯の初音を意味するのが普通である。
「初音」と「梅」が季語で、春であるが、ここでは「初音」に重みがかけられている。
「初春を寿いで、この天満宮の社前の梅に、鶯は初音をはりあげているが、これに誘われて社前の臥牛の像までも、我も初音しようと鳴き出すにちがいない」といった意であろう。
延宝三年(1675)五月、江戸に下った談林の中心人物、西山宗因と一座した折の連句に、芭蕉の旧号である「桃青」の名が初めて見えているが、談林の新風に魅せられ、俳諧への執心もたかまりつつあった延宝四年二月の作である。
宗因は梅翁と号したので、「此の梅に」といったところに、梅翁の風、すなわち談林風への初音をあげようという意欲がかくされているものと思われる。牛に鈍重な自分が託されていることは、もちろんである。
はるかなる榛の木山の初音かな 季 己