壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

蜩(ひぐらし)

2008年08月23日 21時56分11秒 | Weblog
 立秋から十六日めを、「処暑」という。つまり今日、八月二十三日がその処暑。
 処暑は、烈しい残暑にストップのかかる頃で、よい時候語であるが、二音、重ね音で歯切れがよくないせいか、句にする人は少ない。
 こういう季語も常識として、マスターしようとするが……。やはり使い慣れることが必要であろう。

 八月も下旬となると、めっきり日脚が短くなってくる。
 そういえば、蜩(ひぐらし)の声を、今年はまだ一度も聞いていない。
 例年ならば、七月の末から耳馴れていた蜩の声が、いまさら身に沁みて秋を知るのが、ちょうど今頃である。
 この「ひぐらし」という蝉の名は、暑い日盛りにはひそまっていて、日暮れを待って盛んに鳴き立てるところから、与えられたものだという。

 以前、ユースホステルで同室になった、日本に来たての外人さんから、「アレハ、ナントイウ 鳥デスカ?」と尋ねられたことがある。
 早朝や黄昏に、甲高い声で涼やかに鳴く蜩。梅雨明け頃から鳴きはじめるというが、あの声はやはり爽秋のものであろう。
 小さな体にちかちかと金緑の筋があり、透きとおった翅も長くてスマートな、かわいい蝉である。

 蜩の哀調をおびた声は涼しげで、どこか寂しげに聞こえる。カナカナカナ……と美しい声で鳴くため、「かなかな」ともいわれている。
 蝉の鳴き声の中で、蜩がもっとも美しいといったのは、小泉八雲とのこと。

        蜩や几(つくえ)を圧す椎の影     正岡子規
 八月も末、夕日の翳りがくっきりと目立つ頃になると、蜩の声もひとしお身に沁みて聞く人の心をひきつけるようである。
 上記の子規の句も、その時間帯をとらえたものであろう。「几を圧す」が非凡である。

        ひらがなのかなかな啼かせ母郷かな     辺見じゅん
 これは、そのセンチメンタルなノスタルジーをうたったものだが、「ひらがなのかなかな」と「母郷」の「母」とが響きあって素晴らしい。また、K音の多用が涼しさを増幅している。

        ひぐらしのこゑのつまづく午後三時     飯田蛇笏
 まず、「午後三時」のみ漢字で、あとは“ひらがな”という表記に感心する。また「つまづく」が上手い。
 ただ、この句のせいか知らぬが、句会などで「こゑのつまづく」はもちろん、「○○のつまづく」が多いのは、考え物である。

        かなかなや少年の日は神のごとし     角川源義
 「かなかなや」が効いている。これを「蜩や」としたら、低級の句に成り下がってしまう。ことばの吟味の大切さを教えられた。
 どこか、わが身の衰えを「かなかな」の声に誘われた句のように思えるのは、己の年齢のせいであろうか。


      風の香の身につき処暑の茶棚かな     季 己