壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

氷室

2008年08月19日 21時19分16秒 | Weblog
        花氷 雨夜のおもひふかめけり     久保田万太郎

 花氷とは、冷房と装飾を兼ねた氷の柱で、デパート・ホテル・劇場・レストランなどに置かれていた。氷の中に美しい花や、金魚などを封じ込めて、見た目の美しさとともにその冷気で涼しさを呼ぶ、いかにも夏ならではの演出である。

 いまは冷房化が進み、ほとんど見かけることはなくなった。まれにホテルなどの結婚式で、ロビーに飾られたりするだけである。
 また、最近は花氷ではなく、氷で彫刻した花や鳥などを飾るところのほうが多いようである。これを氷彫刻というが、歳時記には、格好の例句は載っていない。

 今日のように人造氷のなかった昔は、どのようにして夏に氷を手に入れたのだろうか。
 それについて、『日本書紀』の仁徳天皇六十二年の条には、次のような詳しい記事が載っている。

 その年(374年)、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)という方が、大和の国の闘鶏(つけ)という所へ、狩に出かけた時のことである。
 山の上から眺めると、野中に庵のようなものが見えた。人をやって見て来させると、それは洞穴だということである。
 そこで、闘鶏の稲置大山主(いなぎおおやまぬし)にお尋ねになると、「あれは氷室でございます」と答えた。
 「氷室とは、一体どんな物だ」と訊かれると、大山主が説明するには、「土を一丈あまり掘り下げまして、萱で屋根を作り、底に厚く茅(ちがや)や荻を敷きます。その上に、山から取ってきた氷を積んで、囲っておきますと、夏になっても溶けません。夏の暑い盛りには、水や酒の中にその氷を入れて、冷たいのを飲むのでございます」
 たいそう珍しく思われた皇子は、早速その氷を持ち帰り、仁徳天皇に献上された。天皇はたいそう喜ばれて、それから朝廷も、冬の終りには必ず氷室の中に氷を囲っておいて、夏の用に当てることになったという。
 以来、朝廷には、氷の保存を掌る役人が置かれることとなった。
 氷の連(むらじ)とか氷の宿禰(すくね)などという姓で呼ばれる氷部(こおりべ)の存在が、その事実を証明している。


      念珠つまぐり冷房の喫茶店     季 己