今日もうだる暑さ。東京は、ことし初の猛暑日とのこと。猛暑日とは、最高気温が35度以上の日をいうらしい。すると、我が部屋は、連日猛暑日。
今日は午後1時半に家を出たが、その際、室温は39度に達していた。
おほた子に髪なぶらるる暑さ哉 薗 女
作者の薗女(そのめ)は、寛文四年(1664)、伊勢山田の神職の家に生まれ、同地の俳医、斯波一有に嫁いだ。貞享頃から俳諧を嗜み、元禄三年(1690)芭蕉の門に入る。
元禄五年に大坂に移住し、同七年、同地を訪れていた師の芭蕉をその亭に招いたこともある。
夫と死別後、江戸に出て、其角などと親しく交わった。
さて、句の「おほた子」は、「おうた子」が正しく、帯で背中に負うて結わえた子ということである。
じっとしていても汗ばんでくるような暑熱のきびしい日、体温の高い赤子を背負うていると、その体熱が直接伝わって、たいそう暑苦しいのに、背中の子は、無心に指にふれる後ろ髪をもてあそんでいるようで、その暑さといったらまったく言いようもない、といった句意だろう。
襟元にほつれた後ろ髪も、赤子を背負うことも、暑熱のひどい折には、共に暑苦しく耐え難いものであろう。
真夏の暑さを、これほど女性的な感覚で直接とらえた句は少ないと思われる。こうした句の世界は、やはり女性独特のもので、男の俳人のよくするところではない。園女の代表作として、最もよく世に知られたものである。
なお、園女には、夏の涼しさを髪によって詠んだ
涼しさや襟に届かぬ髪のつと 園 女
という句もある。
犬の瞳に眼鏡うつれる暑さかな 季 己
今日は午後1時半に家を出たが、その際、室温は39度に達していた。
おほた子に髪なぶらるる暑さ哉 薗 女
作者の薗女(そのめ)は、寛文四年(1664)、伊勢山田の神職の家に生まれ、同地の俳医、斯波一有に嫁いだ。貞享頃から俳諧を嗜み、元禄三年(1690)芭蕉の門に入る。
元禄五年に大坂に移住し、同七年、同地を訪れていた師の芭蕉をその亭に招いたこともある。
夫と死別後、江戸に出て、其角などと親しく交わった。
さて、句の「おほた子」は、「おうた子」が正しく、帯で背中に負うて結わえた子ということである。
じっとしていても汗ばんでくるような暑熱のきびしい日、体温の高い赤子を背負うていると、その体熱が直接伝わって、たいそう暑苦しいのに、背中の子は、無心に指にふれる後ろ髪をもてあそんでいるようで、その暑さといったらまったく言いようもない、といった句意だろう。
襟元にほつれた後ろ髪も、赤子を背負うことも、暑熱のひどい折には、共に暑苦しく耐え難いものであろう。
真夏の暑さを、これほど女性的な感覚で直接とらえた句は少ないと思われる。こうした句の世界は、やはり女性独特のもので、男の俳人のよくするところではない。園女の代表作として、最もよく世に知られたものである。
なお、園女には、夏の涼しさを髪によって詠んだ
涼しさや襟に届かぬ髪のつと 園 女
という句もある。
犬の瞳に眼鏡うつれる暑さかな 季 己