壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「銅」でもいい

2008年08月10日 23時39分52秒 | Weblog
 ママでも「金」が、ママは「銅」でもいい、になった。そう、「銅」は、「金に同じ」と書くのだから……。
 それにしても、16歳から32歳のママの現在まで、メダルを取り続け、トップアスリートであり続けることは、驚異としか言いようがない。
 逆に考えれば、日本の女子柔道界は、いつまでも「やわらちゃん」に頼っていて、後に続く選手を作れなかった、と言われても仕方がないのではないか。
 確かに選考会では、「やわらちゃん」を破った選手がいた。けれども、その選手を自信を持って北京に送ることをしなかった。「ママ」に頼ってしまったのだ。
 どうかこのへんで、ご本人の自由にさせてあげて欲しい。
 育児・主婦業に専念するもよし、また、これまで通りでもよし、と……。

 能楽の完成者、世阿弥は「初心忘るべからず」と書き残している。また「是非によらず、修行をはじめたころの初心の芸を忘れてはならぬ」とも戒める。
 芸術家にあっては「一生涯が初心である」と言い切っている。言うなれば「日々これ初心」であろう。
 では、アスリートの場合はどうであろうか。スポーツ音痴の変人にはわからない。
 世阿弥は「老後の初心を忘るべからず」とも言っている。
 肉体は枯れるが、それが心の萎えにつながることを戒めているのだ。
 ホイットマンの詩に「老いたるは、なお美わし」があるが、老いて初めて知る美しさ。この美しさを知るのが、「老後の初心」ではなかろうか。
 とかく我々は、現在の自分に妥協してそこに腰を下ろしてしまう。このことは現時点に停止するだけでなく、退歩へ転落することになる。


      八月の女の神山に逢ひにゆく     季 己