壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

西瓜

2008年08月06日 21時23分35秒 | Weblog
 スパッと割った瞬間、涼気がほとばしった。
 西瓜はまさに夏のものであるが、立秋前後、今からが旬ではなかろうか。
 歳時記には、秋として項立てされているが、盛夏の季語と思って詠んでもいいのではないか。
 以前は、淡緑に濃緑の太いうねり縞の入った厚い皮に、中は真紅の肉に黒い種子がいっぱいちりばめられている型がふつうであったが、今は縞のない、種無しが多くなった。果肉も黄色いのが珍しくなくなった。
 最近では核家族向きに、小型のものが改良種として出回っていたり、少人数でも食べられるよう、切られて売られていたりする。
 世の流れのはげしさは、こんなところにもある。

 「西の瓜」と書く通り、西瓜は、熱帯アフリカ原産で、西域、中央アジア方面から、中国に伝わって来たもの、といわれている。それは十三世紀の中頃、元の世祖フビライの時代であったという。
 それが更に、我国に来たのはいつの頃かというと、正確なことは判らない。
 ただ、京都の南禅寺の住職で、五山文学者の筆頭に数えられた義堂周信の詩集、『空華集(くうげしゅう)』に「西瓜ニ和スル詩」というのがあって、
       西瓜、今東海ニ生ズルヲ見る。
       タチワッテ紅ヲ含メバ、玉ノ露濃ヤカナリ。

 義堂は、後小松天皇の嘉慶二年(1388)に六十四歳で亡くなった人だから、西瓜が中国から日本へ伝わるのに、百年はかかったことになる。
 ところが、応仁の乱以後、戦国の乱世を経て、しばらくは西瓜を栽培している余裕が無かったからか、我国で再び西瓜が栽培されるようになったのは、江戸時代の初めといわれている。
  ・寛永年間に、肥前の国へ伝わってから後。
  ・慶安年間に、黄檗宗の隠元禅師が、明(みん)から日本へ渡ってきた
   とき、隠元豆と一緒に、西瓜の種子を持って来た。
 など、さまざまな説があるが、とにかく、六百年以上昔の、義堂周信の詩には、きわめて写実的な描写がなされていると思う。


      西瓜切る天上大風濡れぶきん     季 己