壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

手元不如意

2008年08月28日 21時59分35秒 | Weblog
 夏ももうすぐ終り。
 といっても、暦の上ではすでに秋。
 今日も、個展の案内などが数通とどく。いよいよ「芸術の秋」到来。
 「案内」は、「あんない」と読むが、「あない」とも読むことをご存知だろうか。自分が俳句を詠むとき、あるいは人さまの句を読むとき、意外と役立つことがあるかもしれない。

 8月は、多くの画廊が夏休みのため、さびしくてならない。
 いきおい、デパートへ行く回数が増え、毎週、美術画廊や催事場をほっつき歩くという結果になった。
 まず、よかったなと感じたのは、「朱芯会」<日本画・洋画>の滝沢具幸先生の作品だ。安心して、春のような心で鑑賞できた。個人的な希望を言わせていただくと、“沼”などを含んだ作品が一点でもあれば、大満足であったろう。
 そのほかの展覧会で印象に残ったのは、武田州左・菅原健彦、両先生。

 反対に非常につまらなかったのは、いわゆる大家・大御所と呼ばれる大先生の特別展。大変失礼な言い方をすれば、まるで生前葬儀のようだ。
 弔辞ならぬ主催者側の、空虚な賛辞の羅列。これを読んで作品を鑑賞すると寒くなってくる。だからきっと、真夏のクソ暑い時を選んで開催したに違いない、と思いたくなる。
 最近は、驚く作品が少なく、値段に驚く作品が多いのは、どうしたことか。

 このことは絵画に限らず、工芸の世界にもいえる。
 たとえば陶芸。つい2~3年前までは、魂のこもった作品を良心的な価格で発表していた老?先生が、いまや茶碗が百万円近く。
 芸術家は仙人ではないので、霞を食って生きるわけにはいかない。家族がいて、生活がかかっているのもわかる。それにしても、適正価格というものがあろう。
 聞くところによると、某画商が老先生を取り込み、価格を吊り上げ、最近になり手持ちの昔の作品を、惜しむようにして売っているのだという。
 心やさしい老先生は、拒むことが出来ず、某画商に祀り上げられているらしい。
 「出会い」の大切さを、しみじみ感じさせられる話である。出会いによっては、人生が百八十度変わってしまうのだ。
 人と人、人と物、お互いによい出会いをしたいものである。

 物との出会いといえば、この夏、猛烈に欲しくなったものが五つある。
 そのうち実際に入手したものは、皮のショルダーバッグ(篠笛用袋付)と万華鏡の二つだけ。
 ショルダーバッグは、自分がイメージしたものを製作者に直に伝え、デザイン画をおこしてもらい、修正しながら最終決定したもので、作ってもらった。もちろん皮も自分で選んだ。
 篠笛用の袋は、百年以上使い込んだ酒袋に、これも豚皮で裏張りをしてもらった。寸法その他、全部こちらの指定どおりに仕上げていただいた。
 万華鏡も既製品ではない。この秋に正式発表する四種類の作品それぞれに、変人の好みを入れて製作したものを、じっくりと比較検討し、そのうち一点のみを購入。
 この作品は、世界中のまだ誰もがやっていないある工夫があり、作者の専売特許であるという。未発表作品ということで値段もついていないので、破格の安値で譲ってもらった。

 購入できなかったあとの三つは、神代欅の座卓、神代欅の茶棚、それにペルシャ絨毯である。
 神代欅の座卓と茶棚は、適正価格とは思うが、手元不如意の変人には手が出せない価格であった。そのかわり期間中、三度も遊びに行き、しっかりと脳裏に焼き付けてきた。お金があったら、今でも欲しい。魂が揺さぶられるほど素晴らしい作品であった。
 ペルシャ絨毯は、いわゆる適正価格というものが、自分ではわからない。それに、5割引、7割引などと言われても、高いか安いか判断できないのだ。
 また値段もピンからキリ。手元不如意としては、とてもとても怖くて手が出せなかった。けれども非常によい勉強をさせてもらった。

 芸術の秋。これからどんな素晴らしい作品に出会えるか、期待が1で、どうせ、というあきらめが9といったところか。
 手元不如意の身としては、せめて眼福だけでも……。


      秋に入る かかる案内の五六通     季 己