長年連れ添った夫婦っていうのは、周りにはわからない思いや絆があって、どんなにお互い罵り合っていても、「やっぱり夫婦なんだなァ」と思わされるのはよくあることです。
うちの爺ちゃん、ばあちゃんだって、二人で一人みたいになっていて「魚は一切れを二人で食べれば十分。」「お皿も一つで二人で使うからいいよ。」なんて言っています。
自分かっ手に動き回るじいちゃんをしり目に、動けないでぶつぶつ文句を言っている婆ちゃんですが、何よりじいちゃんが心配でしょうがないのも、よーくわかります。
患者さんご夫婦も、みんなそれぞれ大変な時代を過ごしてきたのですから、一緒に居たいのは当然と言えば当然の事です。
でも、どちらか一方が倒れてしまうと、二人で支えあって補い合って、何とか成り立っていた生活が、成り立たなくなってきます。
ヘルパーを入れたり、訪問看護が入ったり、いろんなサービスを紹介したり・・
でもこういう時に限って「人は入れたくない。今のヘルパーを変えてほしくない。」とか「デイサービスなんて絶対嫌。介護は自分で出来る。」なんて言葉が返ってきます。
いろんな打開策を提示しても、どれも納得できず、結局決めることすらできない場合も・・。
でも、こういう時にこそ、ケアマネさんの力量が発揮されるわけです。
《ずっと自分の思うように、好き勝手に生きてきた患者さんがいたとします。
お金が入れば、大判ふるまいであっという間にすっからかん。
毎日大好きなお酒や、奥さんの塩辛い漬物やおつまみに舌堤。
気に入らないと怒鳴るは、星一徹になるわで近所でも有名。
妻も若干似たもの夫婦で、それでも二人で仲良く暮らしていました。
でも、そういう生活ですから、長年の不摂生がたまり、お二人とも心臓や腎臓が悪くなり、糖尿病も悪化の一途をたどります。
何度も入院しては、厳重注意されて帰宅。
そして同じことの繰り返しで、また緊急入院。》
どの居宅事業所にも、訪問看護ステーションにも、こういうパターンのご利用者さんはいらっしゃいますよね。
ほとんどの場合、経済的な問題も持たれています。
こういうケースの場合、ケアマネさんしだいで、本当に人生の分かれ道が決まったりします。
確かに訴えは多いし、自己決定はできないし、約束は守れないし、かなり我儘かもしれないけど、そこはもって行き方だと思うのだけれど・・・
病院側も、困難ケースとして話し合いの席を持とうとしても、ケアマネさんにうまく伝わらず、電話をすればけんか腰になるので、やっぱり訪問看護にヘルプ!が来てしまうという悪循環。
じゃあケアマネを変えてみたらと言っても、高齢で自己決定が難しいご夫婦の場合、何かをチェンジすると言う事が難しくて、不満ばかり残りながらもそのままになっていしまいます。
結局、こういう生活パターンで、しかも病状が進行していて、いつ心臓が止まってもおかしくない所まで来てしまうと、行き場所がなくなってしまいます。
妻も、長年の介護での疲労と、持病の悪化でとても自宅介護はできなくなりました。
病院は、いつまでもこういう患者さんを置いてくれません。
転院か施設か・・。生活保護の場合には、入れる療養型の病院も決まっています。
すったもんだの末に、転院先は他県になってしまいました。
随分ケースワーカーも探してくれましたが、すぐに入れるところはなく、3か月待ちの近隣の療養型病床に入れるまでは、遠い他県の病院しか空いていなかったのです。
転院当日、保護担当と妻が病院に行くと「行きたくないよ・・」と泣いていたそうです。
長いこと車に揺られ、知らない街の病院につくと、そこは絶句するような病院だったそうです。
トイレも部屋の隅にカーテンで仕切られているだけ。
顔も見ないで話をする医師。
散髪1回2000円、「お風呂に入る前に看護師ちゃちゃっと切るだけだよー」掃除のおばさんが言いました。
お風呂も1回1000円だとか・・・。
たしかに、「自己責任だから、ちゃんと生活をしてこなかったツケだよ。」と言われればそれまでかも知れないけれど、あまりにも悲しい現実です。
彼に残されている時間は、あまりないはずです。
今の妻に、足しげく通える距離ではありません。
破天荒だったかもしれないけれど、この夫婦をこんな形で引き裂いてしまったという悔しさが、担当だった看護師から伝わります。
転院させてから帰宅後、妻から長い電話があったようです。
どうにもしてあげられなかった悔しさ、わかってもらえなかった悔しさ。
どんなに流れを変えようとしても、あがらえないこともあります。
そんな時、無力感にさいなまれるのだと思います。
夫婦なんだから、最後まで一緒に(せめて近くに)居させてあげたかったな・・・。
うちの爺ちゃん、ばあちゃんだって、二人で一人みたいになっていて「魚は一切れを二人で食べれば十分。」「お皿も一つで二人で使うからいいよ。」なんて言っています。
自分かっ手に動き回るじいちゃんをしり目に、動けないでぶつぶつ文句を言っている婆ちゃんですが、何よりじいちゃんが心配でしょうがないのも、よーくわかります。
患者さんご夫婦も、みんなそれぞれ大変な時代を過ごしてきたのですから、一緒に居たいのは当然と言えば当然の事です。
でも、どちらか一方が倒れてしまうと、二人で支えあって補い合って、何とか成り立っていた生活が、成り立たなくなってきます。
ヘルパーを入れたり、訪問看護が入ったり、いろんなサービスを紹介したり・・
でもこういう時に限って「人は入れたくない。今のヘルパーを変えてほしくない。」とか「デイサービスなんて絶対嫌。介護は自分で出来る。」なんて言葉が返ってきます。
いろんな打開策を提示しても、どれも納得できず、結局決めることすらできない場合も・・。
でも、こういう時にこそ、ケアマネさんの力量が発揮されるわけです。
《ずっと自分の思うように、好き勝手に生きてきた患者さんがいたとします。
お金が入れば、大判ふるまいであっという間にすっからかん。
毎日大好きなお酒や、奥さんの塩辛い漬物やおつまみに舌堤。
気に入らないと怒鳴るは、星一徹になるわで近所でも有名。
妻も若干似たもの夫婦で、それでも二人で仲良く暮らしていました。
でも、そういう生活ですから、長年の不摂生がたまり、お二人とも心臓や腎臓が悪くなり、糖尿病も悪化の一途をたどります。
何度も入院しては、厳重注意されて帰宅。
そして同じことの繰り返しで、また緊急入院。》
どの居宅事業所にも、訪問看護ステーションにも、こういうパターンのご利用者さんはいらっしゃいますよね。
ほとんどの場合、経済的な問題も持たれています。
こういうケースの場合、ケアマネさんしだいで、本当に人生の分かれ道が決まったりします。
確かに訴えは多いし、自己決定はできないし、約束は守れないし、かなり我儘かもしれないけど、そこはもって行き方だと思うのだけれど・・・
病院側も、困難ケースとして話し合いの席を持とうとしても、ケアマネさんにうまく伝わらず、電話をすればけんか腰になるので、やっぱり訪問看護にヘルプ!が来てしまうという悪循環。
じゃあケアマネを変えてみたらと言っても、高齢で自己決定が難しいご夫婦の場合、何かをチェンジすると言う事が難しくて、不満ばかり残りながらもそのままになっていしまいます。
結局、こういう生活パターンで、しかも病状が進行していて、いつ心臓が止まってもおかしくない所まで来てしまうと、行き場所がなくなってしまいます。
妻も、長年の介護での疲労と、持病の悪化でとても自宅介護はできなくなりました。
病院は、いつまでもこういう患者さんを置いてくれません。
転院か施設か・・。生活保護の場合には、入れる療養型の病院も決まっています。
すったもんだの末に、転院先は他県になってしまいました。
随分ケースワーカーも探してくれましたが、すぐに入れるところはなく、3か月待ちの近隣の療養型病床に入れるまでは、遠い他県の病院しか空いていなかったのです。
転院当日、保護担当と妻が病院に行くと「行きたくないよ・・」と泣いていたそうです。
長いこと車に揺られ、知らない街の病院につくと、そこは絶句するような病院だったそうです。
トイレも部屋の隅にカーテンで仕切られているだけ。
顔も見ないで話をする医師。
散髪1回2000円、「お風呂に入る前に看護師ちゃちゃっと切るだけだよー」掃除のおばさんが言いました。
お風呂も1回1000円だとか・・・。
たしかに、「自己責任だから、ちゃんと生活をしてこなかったツケだよ。」と言われればそれまでかも知れないけれど、あまりにも悲しい現実です。
彼に残されている時間は、あまりないはずです。
今の妻に、足しげく通える距離ではありません。
破天荒だったかもしれないけれど、この夫婦をこんな形で引き裂いてしまったという悔しさが、担当だった看護師から伝わります。
転院させてから帰宅後、妻から長い電話があったようです。
どうにもしてあげられなかった悔しさ、わかってもらえなかった悔しさ。
どんなに流れを変えようとしても、あがらえないこともあります。
そんな時、無力感にさいなまれるのだと思います。
夫婦なんだから、最後まで一緒に(せめて近くに)居させてあげたかったな・・・。