昨日、雪がちらちら舞い降りてきて、いよいよ、北国は冬へ突入、と思ったが、今日は、雨がシトシト。三女が広島から帰ってくる予定だったが、あさってに延期になった。なので、ということではないが、なんと5年ぶりに、「わくわくまつり」に参加した。このお祭りは、一言でいえば、生活クラブ生協の収穫祭とでもいうべきものである。
生産者と生協組合員、市民の方が一同に会して、生活クラブの消費財(商品とよばず、あえて消費財と呼ぶのが生活クラブのこだわり)を販売したり、支部ことに自慢のご馳走を披露したり、合成洗剤でなく石鹸を使おう、という社会運動のPRをしたり、ワーカーズコレクティブという新しい働き方を実践しているそのPRなど。
組合員参加型の、年に一度のおまつり。第一回のまつりは、戸外、テレビ塔の下で行う予定であったが、大荒れの天気で急遽、テレビ塔の会議室を借りきって、乗り切ったことも思い出す。
生活クラブ生協は、その設立から関わって、理事を8年つとめてきた。市場に出回る、「商品」がかならずしも消費者の立場にたって開発されたものではないこと、利潤第一の市場原理では、自分たちの望む食べ物を手にいれにくいことなどから、自ら提案し、生産者につくってもらい、共同購入し、生産現場に影響力を行使していくことで、自分たちの望む食べ物や、生活用品、消費財を、ひいては、望む社会をつくりひろげていこうとする試みであった。
その理念にひかれ、27年間、今も、組合員でいる。その生活クラブを母体として結成された政治団体が市民ネットワークであり、私は社民党に入る前、その市民ネットの議員として12年間、札幌市議会で活動させていただいた。今でこそ、民主党は「国民の生活が第一」とか生活者の政治とかいっているが、元祖「生活者」ということばを使ったのは、生活クラブであり、「生活者政治」と言ったのはネッだ。
生活クラブの女性たちの協働する力は、すごい。選挙の時、その人脈、口コミ力、夫をも巻き込む一途さがいかんなく発揮される。私の市議会選挙を支えてくれたのもそのエネルギーだった。
市議会議員を辞めて社民党にはいるまで紆余曲折があったけれど、「生活クラブ」そのものは、設立以来、片ときも、離れられない大事な道連れだ。
今日は、総選挙で応援してくれた人たちとの再会や、お礼が主な、目的だった。新しい若い人たちが、中心になってまつりを運営しているようだったが、以前から共に活動を担ってきた人たちにもたくさん会えた。
投票したのに残念だった、お疲れ様でしたね、まだまだこれからだよね、脱原発でこれからもがんばろう、と多くの方が励ましてくださった。本当に感謝である。
メインイベントは、アイヌアートプロジェクトのライヴであった。G8洞爺湖サミットの時、市民も対抗イベントを行ったし、アイヌの人たちは先住民族サミットを開いた。福島党首も先住民族サミットに参加したさいには、アートプロジェクトの代表・結城幸司さんをはじめ、アイヌのみなさんにお世話になった。結城さんは、社会新報にも登場してもらった若い、次世代を担うアイヌの代表選手のひとりだ。
そのライヴを見て、聴いて、いっしょに体を動かし、、、。
普段は購入を控えている(!?)チョコレートやドーナツ、かりんとうなどのお菓子類!ソーセージやベーコンや豆腐やら、買込んで、コンベンションセンターをあとにしたのだった。同行した次女の息子(つまり孫)は、生活クラブデビューであったが、なかなかにおとなしく、ライヴにも驚くことなく会場になじんでいたのでほっとしたのだった。
拝啓 鳩山首相殿 岐路・基地オキナワ
連日報道される米軍普天間飛行場の移設問題、閣僚たちの相次ぐ県内移設容認発言―。基地の固定化を危ぶむ県民が県民大会を前に鳩山由紀夫首相への直訴を始めた。「嘉手納統合案は空気の詰まった風船に、さらに空気を吹き込むようなものです」「県民の声を聞いてほしい」。首相へあてた手紙には、それぞれの戦争、基地被害体験がつづられている。
統合案は無知 心踏みにじる 元教諭の新里律子さん(78)
【沖縄】「嘉手納基地統合案は住民を無視した提案です」―。沖縄戦と石川ジェット機墜落事故を体験した元教諭の新里律子さん(78)=恩納村=は8日の県民大会を前に、基地被害を訴える手紙を鳩山首相に送った。手紙では、嘉手納統合案を「空気のいっぱい詰まった風船に、空気をさらに吹き込むようなもの」と批判。首相に「破裂するのは明らかなのに、空気を吹き込む者はいないでしょう」と訴えた。県民大会にも参加、「基地反対の気持ちを訴える機会にしたい」と期待する。
沖縄戦当時は「戦争に勝つこと」を信じてやまなかった新里さん。しかし戦争で父親と兄、妹を亡くした。「平和でなければ、幸せに暮らすことはできない」と深く気付かされた。
しかし、教師になっていた1959年6月30日、石川ジェット機事故に遭遇。黒こげになって泣き叫ぶ児童の姿や破壊された校舎を目の当たりにした。惨事は嘉手納所属の米軍戦闘機が引き起こしたものだった。
「期待していた平和にも裏切られた。基地がある限り、住民の生命は、絶えず危険にさらされ続ける」
嘉手納に過重な負担を強いる嘉手納統合案。「騒音や墜落の恐怖におびえる地域住民の気持ちを逆なでする、無知な提案だ」。平和の願いを踏みにじられた思いがした。
「沖縄の基地問題は、決して一地域だけのものではない。日本全体の問題として考えてもらうためにも、県民大会に立ち基地反対の気持ちを表したい」と話す。(天久仁)
新里律子さんの手紙(要約) 住民の立場で解決を
嘉手納統合案を聞いて怒りでいっぱいです。それは全く無知な提案で、そこに住んでいない人の言葉。統合案は空気いっぱいの風船に空気を送るようなもの。いつか破裂するのはだれの目にも明らかです。
基地があるため、沖縄の人たちは苦しんでいる。それは一目瞭然(りょうぜん)で、嘉手納統合案は沖縄の現状をまったく知らない人の発想です。
一般の県民が思いを訴える場は、8日に開かれるような大会しかない。その日はそれぞれ思いを持って集まることと思う。
鳩山総理の答弁や取り組みを見聞きした限り、従来の政権とは違い、沖縄住民の立場に立って基地問題を解決してくれると信じています。大きな政治の動きの中でぜひ沖縄の平和を実現してほしい。
故郷辺野古へ移設はやめて 名護在住の上間正敏さん(47)
【名護】「県民の声を聞いてほしい」―。名護市辺野古出身で、生まれつき手足が不自由な上間正敏さん(47)=同市東江=が、米軍普天間飛行場の県内移設をやめるよう鳩山首相に手紙を送った。辺野古で生まれ、宜野湾市で青年期を過ごし、基地の騒音や危険性を目の当たりにしてきた。「一人一人が、自分の生活を通した言葉で伝えれば必ず届く」と期待する。
上間さんは4~15歳まで那覇市の障害児施設で生活。沖縄国際大学に通った4年間を含め14年間、普天間飛行場周辺で暮らし、騒音被害を痛感した。
7年前、研修で行ったベトナムの障害者施設で、枯れ葉剤の影響で苦しむ人たちの姿を目の当たりにした。ベトナム戦争時代、キャンプ・シュワブから毒ガスを積んでいるとみられるタンクローリーが、辺野古の集落内を走っていた光景を鮮明に覚えている。
「嘉手納などに運んでいたのではないか。戦争に直接加担はしていないが、米軍に土地を提供し、枯れ葉剤を積んだ飛行機がベトナムに飛んでいたと思うと、自分も間接的な加害者の一人だと罪の意識を感じる」
手紙には、親しくしていた近所の寝具店を営む女性(享年52)が、強盗目的で米兵にブロックで頭を殴られて殺害された事件も書き、大切な人を突然失った無念さもつづった。
県民大会には仲間と一緒に会場に足を運ぶ。「鳩山首相は県民の気持ちを聞くと言っている。その言葉を信じ、声を上げたい」と力を込めた。(新垣晃視)
上間正敏さんの手紙(要約) 辺野古を危険にしないで
私は、沖縄県名護市に住む47歳の者です。8月の選挙で「国民のための政治」を訴える鳩山総理に親しみを感じ、勇気をふりしぼって手紙を書きました。
総理にお願いしたいことは、宜野湾市の「普天間基地の辺野古移設案」の件です。辺野古(県内)への移設は絶対にやめてもらいたいということです。
私は、4歳から15歳まで那覇市の障害児施設で生活しました。年に3、4回家に帰省しても地域へのなじみも薄く、友達もいない。一人で外を眺めるぼくを、帰省するたびに励ましてくれる近所のおばさんがいました。幼い私の心のよりどころでもあったのです。
1974年10月23日、そのおばさんが、強盗目的で店に入ってきた米兵に頭を殴られて殺されました。私は12歳で、遺影の前で線香を握りしめて泣き崩れたことを鮮明に覚えています。米軍は私の大切な人を奪ったのです。
ベトナム戦争の最中で、辺野古の街は戦場に向かう米兵と、ベトナムで人を殺した米兵が入り混じった状態でした。尋常でない心理状態の人間が街を歩いているわけで、いつでも街は危険な状態だったのです。
私は、鳩山総理を信じています。11月中旬には、オバマ大統領が来日すると報道されています。どうか、対等な関係で建設的な会談を期待しています。
社民党へ募金を
政府は沖縄の声を尊重しろ!
沖縄・嘉手納統合案に抗議集会 米軍機爆音の被害訴え
米軍嘉手納基地の爆音問題を抱える沖縄県嘉手納町は7日、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設先として岡田克也外相が嘉手納基地への統合案に意欲を示した発言の撤回を求める抗議集会を同町内で開き、「平穏な生活を守る立場から統合案に断固反対する」との決議を採択した。参加者は約2500人(主催者発表)。
町内の議員や各界代表が登壇し、実行委員長の宮城篤実町長は「いかなる理由があっても統合案には乗らない」とあいさつ。町婦人連合会の嘉手川千恵子会長は「将来の子や孫の教育環境が破壊される。これ以上の基地被害を負わせたくない。(政府は)沖縄での(衆院選の)議席確保は何だったのか胸に手を当てて考えてほしい」と語気を強めた。
県立嘉手納高校2年生の新城武士さん(17)は「耳の奥まで突き刺さり、体の中まで震える爆音で授業が中断する。戦闘機が低空飛行するのは普通の風景ですか。爆音がなくなるどころか、今まで以上に苦しめと言うのですか」と訴えた。
参加者らは集会後、「静かな夜を返せ」「基地負担を軽減せよ」と訴え市街地をデモ行進した。
岡田外相は10月23日の記者会見で、嘉手納統合案を検討する考えを表明。嘉手納町議会は同28日、抗議の意見書を全会一致で可決した。周辺の北谷町や読谷村も同様の意見書を可決。
社民党首、機密費の透明性向上を=共産・小池氏、非公開を批判
社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)は7日午前、TBSのテレビ番組に出演し、平野博文官房長官が官房機密費(内閣官房報償費)の使途を公開しない考えを示したことについて「(支出の)項目だけでも、何らかの形で少しは透明性を高めてもいいのではないか」と述べた。
また、共産党の小池晃政策委員長は同番組で、鳩山由紀夫首相が機密費の非公開を容認したことに関し「(過去に)公開を迫っておきながら、非常に無責任だ」と批判。自民党の柴山昌彦衆院議員は機密費の使途について「後で検証可能な仕組みをつくっておくことが必要だ」と指摘した。
一方、福山哲郎外務副大臣は「本当に国家的に必要なものに使っている」と述べ、非公開とする方針に理解を求めた。(2009/11/07-12:11)