お読みになったと思いますが、後藤さんの悲痛な訴えが出ています。NHKは後藤さんがアベ首相を批判し、要求していることを、
その部分だけ全く削除して報道しています。
後藤さんは一緒に「政府に圧力を加えてほしい」と訴えています。
許すな!憲法改悪・市民連絡会は今朝、相談して、本日25日、午後6時から官邸前で、「政府は後藤さんの訴えに全力で応えよ」
という緊急行動を行いたいと思います。
許すな!憲法改悪・市民連絡会
高田 健 <kenpou@annie.ne.jp>
東京都千代田区三崎町2-21-6-301
03-3221-4668 Fax03-3221-2558
辺野古新基地建設を許さない!沖縄県議団が東京で報告集会
「止めよう!辺野古新基地建設」─沖縄県議会議員代表団12名が1月15日、県議会で可決された辺野古新基地建設に反対する意見書を持って、米国大使館を含め関係省庁に要請するために上京しました。昨年11月の沖縄県知事選で、翁長雄志さんが仲井眞弘多前知事に10万以上の得票差をつけて当選。このゆるぎない沖縄の民意を携えての要請でしたが、首相官邸や防衛、外務省は誠意ある対応を見せませんでした。
15日夜、連合会館で開催された同議員団の報告集会には、会場をあふれる450名の市民や労働者が参加。知事選に続いての衆議院総選挙においてオール沖縄で闘い勝利した小選挙区選出の全議員、また超党派の国会議員で構成される沖縄等米軍基地問題議員懇談会の近藤昭一会長(衆院議員)らがあいさつ。沖縄からの報告では、12名の県議会の各会派から、仲村みおさん、渡久地修さん、比嘉京子さん、吉田勝廣さんらが、辺野古埋め立ての問題点、沖縄経済の発展を阻害している米軍基地、日米地位協定の不平等性を訴え、オール沖縄がいかにして実現できたかなどの報告がありました。
集会の最後には、県会議員上京団、国会議員、参加者全員が手をつなぎあって、万歳三唱をして幅広いつながりで辺野古新基地建設を阻止する決意を固めあいました。
(平和フォーラムのHPから)
日本人人質の即時解放を求める(コメント)
社会民主党幹事長 又市征治
1.社民党は、ISIS「イスラム国」による、2邦人の不当な拘束と72時間の支払い期限を指定しての殺害予告を伴う身代金要求が卑劣な行為であり、断固として抗議するとともに、拘束された2名の即時解放を求める。
2.日本政府は、人命尊重第一の観点から、人質の解放に向けたあらゆる努力を行うべきである。あわせて、本来のイスラム世界・諸国に対する友好的な立場を再確認し、今回のイスラエル訪問で失ないかねない信用の再建に努めるべきである。
3.日本国民は、いかなる国に対しても、戦争を紛争解決の手段として用いないことを憲法で定めており、今後も敵対することはない。わが国は歴史的、文化的、政治的にイスラム教を敵視することはなく、イスラム世界とわだかまりのない友人であり、さらに友情は深まるものと信じる。
4.ISISの対応次第では、日本人にイスラム世界に対する誤解を生み出しかねない。改めて、日本人人質の即時解放を求める。
巨大水彩画:崩落した原子炉建屋さまよう牛「フクシマ」
毎日新聞 2015年01月09日 21時08分(最終更新 01月10日 04時10分)
東日本大震災で被災した画家、加川広重さん(38)=仙台市=が原発事故の惨事を描いた巨大水彩画「フクシマ」(縦5.4メートル、横16.4メートル)が10日から、神戸市中央区の文化交流施設「デザイン・クリエイティブセンター神戸」で展示される。9日に内覧会があり、報道陣に公開された。崩落した原子炉建屋の中に、さまよう牛の姿や除染土を入れた袋を描き、原発事故がもたらした悲しみを表現している。
加川さんは、アトリエを構える宮城県蔵王町で避難生活を送る男性の一時帰宅に同行し、福島県浪江町などを取材。2013年秋から約1年かけて描いた。
展示は、東北の文化復興を支援する関西の芸術家らが企画。加川さんは「神戸の(震災から)20年の祈りの中で、福島の現実にも目を向けてもらえれば」と話している。18日まで(13日は休館)。入場無料。【宮嶋梓帆】
特集ワイド:アベノミクスで大丈夫か 株価上昇、雇用増とはいえ…広がる格差、物価上昇に賃金追いつかず
毎日新聞 2014年12月04日 東京夕刊
米格付け会社が1日、日本の長期国債を3年4カ月ぶりに1段階格下げした。「A1」は中国、韓国より1ランク下。財政赤字削減と成長戦略への不安が要因で、日本経済に対する不信の表明とも取れる。発動から約2年、出口が見えないままリスクが膨れるアベノミクス。衆院選を前に検証してみた。【内野雅一】
消費増税の先送りが決まった11月18日夜、ある勉強会が東京都内で開かれていた。多摩大学社会人大学院を修了した40、50代の企業人の集まりで、この夜は7人が「アベノミクス660日の軌跡」をテーマに議論。国内総生産(GDP)の2四半期連続マイナスを受け「株価は浮揚したが、実体経済がついていっていない」との厳しい評価とともに、「給料が上がっていない」と不満も噴出した。
表を見てほしい。安倍晋三首相は「雇用が100万人増えた」と自慢する。だが、パートや派遣など非正規社員が123万人増え、正規社員が22万人減っての100万人だ。職に就けなかった人が何かしらの仕事ができるようになったことは評価できるとはいえ、先行き不安な雇用形態。しかも年収200万円以下の人が30万人増える一方で、年収1000万円以上の人も14万人増え、貧富の差は広がっている。預貯金のない世帯は3割にのぼる。
ちまたでは消費増税に続き、商品の値上げやそのニュースが相次ぐ。アイスなどの乳製品、即席めん、冷凍食品、ワインやコーヒー……数え上げたらきりがない。いずれも円安によるもので、消費者にとって「悪い物価上昇」だ。そして勉強会の参加者が言うように、物価上昇に賃金が追いつけていない。実質賃金指数は16カ月連続のマイナスで、10月は前年同月比マイナス2・8%。冬のボーナスは2年連続で5%超の伸びとなりそうといわれるが、それも大企業のことだ。
「アベノミクスのプラスは量的な金融緩和による株価バブルだけ。しいて言えば、大企業の社員が賃上げの恩恵を受けたことでしょうか。多くの労働者には賃上げ幅はわずかで、円安のデメリットが日常生活を覆っているのが現状です。物価は上がり、期待した輸出は伸びていない」。そう指摘するのは「リフレはヤバい」の著者、慶応大学准教授の小幡績さん。さらに円安の行き過ぎを心配する。
「実体経済はいっこうによくならず、第三の矢である成長戦略にも本気で取り組んでいないことが海外の投資家にわかってしまった。日本は永遠に金融緩和に依存するしかなく、そこから抜け出せないと見透かされ、円安が加速。歯止めなき『日本売り』の始まりと見るべきです」
歯止めがかからなくなったらどうなるか。同志社大学教授の浜矩子さんは「円の信認が崩れ、国債と株価も暴落するトリプル安になります。アベノミクスは日本経済に奈落の底に通じる穴をあけた」と言い切る。1段階の格下げどころではない話だ。
日銀は10月末、追加の金融緩和を決め、円安・株高がさらに進んでいる。ただ「追加」に踏み切らざるを得なかったということは、アベノミクスがシナリオ通りにいっていないことを自ら認めたことでもある。大胆な量的緩和を訴え、政権をサポートする「リフレ派」はどう見ているのか。
早稲田大学教授の若田部昌澄さんは「アベノミクスは順調でしたが、4月の消費増税が足を引っ張りました。増税がなければ、実質賃金は夏くらいにプラスになっていたと思います。アベノミクスそのものが悪かったわけではありません。追加金融緩和はアベノミクスを再起動させて消費増税の悪影響を打ち消し、実質賃金を今後プラスに転じさせるでしょう」と話し、消費再増税の先送りも追い風となると指摘する。
インフレ目標政策が持論の政策研究大学院大学教授の伊藤隆敏さんは「建設労働者とか、コンビニのパートとか、需給が逼迫(ひっぱく)している業種で名目賃金は着実に上昇しています。賃上げはさらに他業種にも広がっていき、それにより需要が盛り上がり、インフレ率は2015年度後半には2%にかなり近づくでしょう」と自信を見せる。
デフレが染みついた日本経済。脱却のためには、多くの人の懐が温かくならなければならない。それを「これから」とするのがリフレ派だが、浜さんは「これからっていつからのことか。アベノミクスを発動して2年近くたっているのに」と反論。「一部の人をまず潤わせて、そこからお金が広く流れていくトリクルダウンの考え方なのでしょうが、それを政策に取り入れた英国のサッチャリズムも米国のレーガノミクスも、格差の拡大を生んだだけでした」と疑念を示し、「これから」は来ないと見る。
2%のインフレ目標が達成でき、その一方で成長戦略が伴わなかったときはもっと悪い。「インフレ率は高いにもかかわらず、経済の成長率が低いというスタグフレーションでしょうね」と伊藤さん。経済学でいう不況下の物価上昇。すでにそうなっている気がしなくもないが、生活がより苦しくなるのは間違いない。「金融政策で経済の潜在成長率を上げることはできない。成長戦略を何としても成功させるしかない」(伊藤さん)。だが小幡さんが指摘するように、岩盤規制を前に政権の取り組みは心もとない。
冒頭の勉強会を主宰する元多摩大大学院教授の林川真善さんは「アベノミクスで『富国裕民』になっていない」と言う。
昭和初期の世界恐慌のさなか、やはり大胆な金融緩和政策を実施して日本経済を立て直した高橋是清(1854〜1936年)が富国強兵ではなく、大事なのは国民生活の向上と言うに際して使った言葉だ。「デフレ脱却のためのリフレ政策という点で似ていますが、是清の頭には常に国民の幸福があった。アベノミクスにはそれがあるのでしょうか」と林川さん。
この道しかないと、安倍首相は力説する。だがそれは富国裕民とは程遠く、大企業や資産家を潤すだけと感じる人もいる。アベノミクスの「これから」に期待をかけるか、「ルビコン川を渡った」(伊藤さん)日銀が2%にこだわって格差を拡大させ、日本をスタグフレーションに陥れる危険を回避すべきか。
バイ(買い)か、セル(売り)か。国民の冷静さが試されている。
ベアテ・シロタ・ゴードンさんをお迎えして/憲法行脚の会 2008年5月8日 その1
辺野古抗議で初の逮捕者 シュワブにミキサー車入る
2015年1月11日
基地内に入ろうとするミキサー車の前で抗議する市民と市民らを強制排除しようとする警察官=11日午前1時20分ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前
米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設の作業再開を前に、10日夜から11日未明にかけて、辺野古の米軍キャンプ・シュワブにミキサー車など15台以上が入った。シュワブのゲート前では抗議する市民が約30人集まり、そのうちの男性1人が警備員への暴行容疑で名護署に逮捕された。昨年7月に始まったシュワブゲート前での反対運動で逮捕者が出たのは初めて。
11日午前8時現在、辺野古沿岸部では海上作業に向けた動きは確認されていない。ゲート前でも新たな資材や工事車両の搬入は確認されていない。
関係者によると、逮捕された男性はシュワブの旧ゲート前の山形鉄板に座り込もうとして警備員に制止された際、持っていたペットボトルが警備員の顔に当たったという。男性は「当たっていないと思うが、当たっていたなら謝罪する」と話しているという。
シュワブのゲート前では11日午前3時前まで市民が抗議活動を展開。同7時前から再び活動を再開しており市民約10人が抗議の声を上げている。
10日夜から11日未明に掛けてのミキサー車や工事用重機などの搬入は10日午後7時すぎまでゲート前で座り込みをしていた市民らが解散した後、午後9時前から始まった。午後10時すぎ、状況を聞いてゲート前に再度集結した市民らの抗議行動を警官が排除する中、午前3時までに次々とにミキサー車などがシュワブ内に入った。 【琉球新報電子版】
「成人の日」アピール
本日、成人の日を迎えられたみなさん、こんにちは。
私たち社民党は、みなさんの前途が平和で希望に満ちたものであることを心から願っています。
しかし今の社会構造はとりわけ若者に困難を強いています。進学を諦めざるを得ない若者、奨学金とアルバイトで学生生活を送らざるを得ない若者など、家計と連動した教育の格差が、その後の人生に大きな影響をもたらしています。今、20代の約4割が低賃金の非正規雇用で働き、正規雇用の現場でもサービス残業が横行しています。雇用破壊や貧困・格差の拡大を放置するわけにはいきません。「自己責任」を強要し、若者たちをモノ扱い・使い捨てにする現状こそ日本の重大危機であり、これを変えなければ日本の未来はありません。社民党は、若者の味方となって一人一人の人格や個性を尊重し、みなさんが「生きやすい」と感じられる社会をめざします。
また、エネルギーや環境問題にも若者の高い関心が寄せられています。被災地の復興支援活動や原発再稼働に反対するデモに集うたくさんの若者の姿、沖縄の美ら海・ジュゴンを守るために辺野古に結集する若者の姿こそ日本の希望です。日本が選択すべき道は「脱原発」の実現と持続可能で安全な「再生可能エネルギー」への転換を着実に進めることであり、米軍基地被害に苦しむ人たちを自分の身に置き換えて、原発や基地など国策の誤りを正し、日本の国土と自然、暮らしを守ることです。
社民党がめざすのは「いのちと暮らし」を保障した「平和憲法」の理念が生きた社会の実現です。しかし、安倍政権によって私たちの、特に若者の「いのちと暮らし」がないがしろにされています。昨年4月の消費税増税の悪影響は、中高年層に比べて所得が低く可処分所得の少ない若者世代・子育て世代を直撃しています。また、昨年7月に閣議決定された「集団的自衛権の行使」をはじめとする「戦争できる国」づくりが、若い世代に多大な犠牲を強いることは、日本と世界の歴史が証明しています。社民党は、憲法で保障された様々な権利を国民から奪い、平和国家としての信頼を失墜させる憲法改悪の動きを阻止していきます。日本国憲法は、戦争の惨禍を教訓につくられたものであり、憲法9条(戦争の放棄)はひとりひとりの命の重みであり世界平和を守るものです。
今春は4年に1度の統一自治体選挙が行われます。政治は日々の暮らしに深く結びついています。社民党は、若い人たちが政治や様々な分野に関心を持ち、ともに社会を変えていく力であることを確信しています。未来を担う若者が活躍できる機会を一緒につくるため、社会生活を送る上での困難を解消する施策に全力をあげます。
平和で希望ある社会を一緒に創っていきましょう。
本日は、本当におめでとうございます。
東洋経済に掲載されていた記事から
ドイツには、過ちを懺悔した大統領がいた
反省の心がドイツ人のアイデンティティに
ベルリンで行われた日本に関する会議に出席した。初めて訪問したベルリンで、とりわけ印象的だった事実がある。こと歴史に関していえば、ドイツは日本とは違う。確かに日本の戦争犯罪はホロコーストとはまったく別物だが、だからといってその凄惨さが劣るわけではないし、薄らぐものでもない。
ベルリンでは、街中にホロコーストの記憶を見いだせる。歩道に「つまずきの石」を見掛けるが、次のような文字が刻まれている。「ここに居住していた誰々は、Xキャンプで194X年に命を絶たれた」。ある芸術家によって1992年に始められ、今ではドイツ中に約2800個ある。
あまりに非人道的なニュルンベルク法
バイエリッシェ・プラッツのあたり、アインシュタイン氏とハンナ・アーレント氏が住んでいた地域には変わった記念物がある。街灯柱にニュルンベルク法が記されているのだ。この国のかつての法律の文章を見たときは大きな衝撃だった。たとえば「ユダヤ人が食料を購入できるのは午後4時から5時の間のみとする」「ユダヤ人は電気製品をすべて没収されなければならない」などだ。
有名なブランデンブルク門の近くにあるのは、ヒトラーによる1939年のポーランド侵攻に関する巨大な屋外展示だ。ヒトラーの東部総合計画ではスラブ人3000万人を殲滅し、ドイツ人の居住地を作るつもりだった、と記されていた。
ドイツ人の会議参加者にこの話をしたら、彼はこう語った。戦後数十年間は、人々は思い出したくないと考えていた。しかし1968年の学生運動後に新しい世代が出てくると、この記憶は多くのドイツ人のアイデンティティとなった。
別のドイツ人は、この態度の変化はブラント元首相(西独)に強く推し進められたものだと言う。ワルシャワのゲットーでナチに対し起きた蜂起の跡地を1970年にブラント氏が訪れ、ひざまずいて許しを請うたときだった。後に彼はこう書いている。「あの振る舞いはいったい何だったのかとよく聞かれる。最初からそうするつもりだったのか? いや、違う。ドイツが生み出した歴史的な地獄の縁に立ったとき、何百万人もの虐殺を犯した重責がのしかかってきたのだ。誰だって言葉を失ったときにはそうする」。
ブラント氏はドイツ人に誇りをもたらした。彼の心からの振る舞いには、世界中のユダヤ民族、また伝えられるところでは当時まだ共産主義だったポーランドの知識層の一部すら心を打たれた。
中国でも文化革命を総括する動き
中国では文化大革命の加害者に謝罪を要求する反体制派が2014年の会合で、「旧紅衛兵もブラント・モーメントを持つよう期待する」と表明した。ある将官の息子は、公式に謝罪した動機を政治的暴力の連鎖を止めるためだと語った。
ブラント氏は大きなリスクを冒した。訪問後の世論調査では、彼の「跪座(き ざ)」に48%が反対し、肯定したのは41%のみ。さらに彼は「ドイツ国土」を放棄したと糾弾される。多くの戦争を引き起こしたとされる古い国境線を維持せずに、ドイツ・ポーランド間の国境をオーデル川・ナイセ川に定めると同意したためだ。1972年4月には不信任決議の憂き目に遭い、わずか2票の差で生き残った。
だがその後もブラント氏は世界中で称賛され、東方外交で1971年にノーベル平和賞を受賞、国内の社会福祉再建に取り組んだ。1972年末には、所属のドイツ社会民主党に地滑り的勝利をもたらした。
私がベルリンに到着したのは、壁崩壊の25周年記念祝賀に4日遅れてだった。新聞はメルケル首相の祝賀会での発言を伝えていた。首相が30万人の参加者に思い起こさせたのは、11月9日はホロコーストの布石となった1938年の大虐殺、水晶の夜の記念日だったこと。彼女もまた、過去の罪の否定は国に誇りをもたらしはしないと理解しているのだ。
仮にこのドイツ首相が岸信介氏のドイツ版ともいえるアルベルト・シュペーア氏の孫だったなら、こうした一連のことは想像もつかない。
敗戦70年の節目の年頭に非戦と護憲を誓う
【写真】小選挙区連続5選を決め、歓喜のカチャーシー=2014年12月14日、選対本部 事務所
2015年、悲惨な沖縄戦終結と太平洋戦争の敗戦から70年のときを迎える。
この節目の年頭に非戦と護憲の誓いを新たにした。私の「非戦と護憲の誓い」について敷衍(ふえん)する前に、「選挙イヤー」といわれた2014年の沖縄で起こった「民意の反乱」について記述しておきたい。
近年の沖縄における最大の政治・社会問題は、米軍普天間基地の辺野古移設(正しくは辺野古新基地建設)をめぐる動きである。
ここ数年、美ら海辺野古の海上で、米軍キャンプ・シュワブゲート前で、さらには普天間基地と県庁前で、ウチナーウマンチュによる辺野古新基地建設阻止の非暴力抵抗闘争が続けられている。この闘いは、立憲主義に基づき近代憲法で人民に信託された権利、すなわちウチナーンチュの人間としての尊厳を侵す国家権力による行為に対する抵抗権の行使である。
ところが、ウチナーがいくら抵抗し、拒否の意思を示そうとも、歴代政権は一顧だにしない。中でも、安倍政権は強権的だ。日米合意を大上段に県民を分断し、国家権力を総動員して辺野古新基地を建設せんと躍起になっている。
その象徴的な出来事、事態の重大な転換点になったのが、仲井真知事(当時)と沖縄選出・出身衆参5人の自民党国会議員、自民党県連による“公約裏切り”であった。
彼らは選挙で普天間基地の辺野古移設反対を掲げて当選したのに、政府の強大な権力に屈服し、いくばくかの“カネ”の誘惑に負けて、ウチナーンチュの誇りと尊厳をかなぐり捨てたのである。
2013年末には、仲井真知事が公有水面埋立法に基づく辺野古埋め立て承認をした。その直前には、自民党国会議員5人が石破幹事長(当時)の脇でうなだれて辺野古容認に転じた姿が、各種メディアで大々的に報じられた。報道を通じ、その異様な姿を現認した多くの県民が「平成の琉球処分」だと直感した。
2014年の年明け早々、名護市長選挙があった。再選を賭けた稲嶺名護市長は、一期目同様に「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」との公約を掲げた。相手の自民党推薦候補は、辺野古新基地建設推進の立場であった。
この市長選挙でも、安倍内閣と自民党は「琉球処分官」石破幹事長を先頭に巧妙な利益誘導と恫喝を仕掛けてきた。
だが、結果は大差での稲嶺市長再選であった。名護市民は再び辺野古新基地建設反対の民意を示したのである。
同年8月の名護市議会選挙でも稲嶺市長与党が多数を占めた。
そして11月、天王山の知事選挙は、安倍政権に屈服・迎合し、辺野古新基地推進を公約した現職・仲井真候補と「オール沖縄」で「建白書」実現をめざす勢力に推され、辺野古新基地建設阻止を公約に掲げた翁長雄志候補(前那覇市長)との事実上の一騎打ちとなった。
翁長候補は「イデオロギーよりアイデンティティ」「誇りある豊かさを」とのキャッチフレーズを前面に押し出し、従来の「保守・革新」の枠組みを越えた共闘体制を構築した。一部企業人や自民党を除名された那覇市議団(新風会)も「ひやみかち うまんちゅの会」(翁長選対)に結集した。1950年代の米軍支配下の沖縄における「島ぐるみ」抵抗闘争の“現代版”とでも呼ぶべき、辺野古新基地建設阻止に向けた「オール沖縄」の選挙共闘である。
結果は、翁長候補が約10万票の大差で、歴史的勝利を果たした。同日選挙となった那覇市長選挙でも「オール沖縄」陣営の城間幹子氏が圧勝し、県都那覇市に初の女性市長が誕生した。
辺野古新基地建設反対のウチナーの民意は、安倍内閣はもちろんのこと、アメリカをはじめとする国際社会に向けても示されたのである。
知事選挙の終盤戦になって、永田町の政局は風雲急を告げ、衆議院は11月21日に解散された。
迎えた12月14日の解散総選挙に向け、知事選に続いて衆議院選挙でも「オール沖縄」の「建白書」勢力が共闘体制を組んだ。沖縄4選挙区全てに候補者を擁立し、(1)辺野古新基地建設反対(2)自民党4衆議院議員の“公約裏切り”弾劾(3)国政の場で翁長新知事を支える―との共通公約を掲げて戦ったのである。
選挙結果は、1区から4区まで「オール沖縄」の「建白書」勢力が全員当選し、公約違反の自民党公認候補に「落選」の鉄槌を下した。ウチナーの民意は、紛れもなく辺野古新基地建設反対にあることが衆議院選挙でも示されたのである。
一方で、自民党公認候補4人全員が「比例復活」したのは残念至極、悔しい限りだ。ただ、それは「小選挙区比例代表並立制」という民意を正確に反映しえない選挙制度の「負の側面」によるものだ。彼らは、代議制民主主義に基づく選挙民たる有権者の信託を受けていない。県民は決して、ウチナーの民意に背く自民党4衆議院議員を国会に送り出したわけではない。
私は今度の衆議院選挙でも、普天間基地や嘉手納基地など在日米軍基地が一番多く集中し、この国の「安全保障の縮図」のような沖縄2区から立候補した。
選挙戦を通じ、これまで同様(1)辺野古新基地建設反対(2)東村高江の米軍ヘリパッド建設反対(3)オスプレイ撤去―など基地負担と犠牲の強要は認められないと有権者に訴えた。
同時に、相手の自民党公認候補が自衛隊の「国防軍」への格上げ、9条改憲など自民党「日本国憲法改正草案」に基づく公約を明示したのに対し、徹底的に反論、追及した。悲惨な沖縄戦の中で、軍隊は住民の命を守らなかったという沖縄戦の実相に触れ、本土復帰前の「無憲法」下での米軍支配による惨状を具体的に有権者に語りかけた。
私の評価では、相手候補は安倍総理以上の“軍国主義者”である。絶対に負けまい!と毎日のように決意を新たにして選挙戦に臨んだ。
結果は、51.58%という低投票率の中で8万5,781票(得票率62.2%)を獲得し、相手候補に3万3,625票の大差で圧勝した。選挙区管内でいえば、知事選挙での翁長候補の得票率を10ポイント上回り、普天間基地を抱える宜野湾市で相手候補に6千票以上の大差(知事選挙での票差の2倍)をつけての当選である。
今や“政界の絶滅危惧種”と揶揄される社民党の私が、小選挙区で5連勝した。
だが、私や社民党の勝利ではない。国家権力を総動員して、受忍限度をはるかに超えた基地負担と犠牲を強要する安倍独裁政権にウチナーウマンチュが“一票一揆”の抵抗権を行使した結果である。
解散総選挙後が終わり、12月24日の特別国会での首班指名を経て、第3次安倍内閣が誕生した。(「大惨事安倍内閣」と命名したのは早稲田大学・水島朝穂教授だが、言い得て妙だ)
解散総選挙で「この道しかない」と政治的詐術を弄した安倍内閣の「この道」の先に集団的自衛権行使のための法整備、そして“壊憲”と改憲が待っているのは間違いない。
「戦争国家」への暴走を見過ごすわけにはいかない。
敗戦70年の節目の2015年、「非戦と護憲の誓い」も新たに国会内外で不屈に闘い続ける覚悟だ。
※しばらく中断していた「憲法コラム」を再開します。ご一読のうえ、ご叱正ください。
(2015年1月7日 社民党衆議院議員 照屋寛徳)