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社民党の将来や課題を語り合う、同党の若手地方議員=2月13日、東京都新宿区、大野亨恭撮影

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 社民党の党大会が22日、2日間の日程で始まった。吉田忠智党首は党刷新の目玉として若手地方議員の副党首起用を模索したが、党内の反発を受けて断念した。労組依存の体質から脱却し、新たな息吹を吹き込もうとした吉田氏の再建策は、早くも骨抜きになりつつある。

 「副党首をやってもらえんやろか」。今月上旬、吉田氏が副党首を打診したのは香川県議の高田良徳氏(53)だった。これまで福岡や沖縄の若手地方議員にあたったが、党内の反発で実現しなかった。最後の選択肢として、若手ではない高田県議に要請したが、断られた。若手を副党首にあてる刷新案は完全に行き詰まってしまった。

 吉田氏は昨年10月、福島瑞穂前党首が辞任した後の党首選で、参院議員1年生にもかかわらず、5人しかいない国会議員から推されて立候補した。これに対し、執行部への不満を抱える若手の地方議員が、ゲイを公表して東京都豊島区議に当選した石川大我氏(39)を対立候補に立てた。

 17年ぶりとなった選挙戦の結果、自治労出身の吉田氏が、党の支持基盤である労働組合の支援を受け、石川氏に圧勝して党首になった。

 その一方で、吉田氏は、党の再建には労組依存から脱却し、土井たか子元党首が植え付け、福島前党首が育ててきた「市民派」の流れを党内で強める必要があると考えていた。

 党の改革案をまとめる推進本部のメンバーに石川氏を登用。地方の声を聞く全国行脚も始めた。「脱原発」での連携を目指して小泉純一郎元首相とも会談した。そして、改革の象徴に掲げたのが副党首への若手起用だった。

 吉田氏は当初、石川氏の起用を模索。しかし、ベテラン国会議員に加え、石川氏が所属する東京都連合に激しく反対され、党内基盤の弱い吉田氏は断念せざるを得なかった。地方議員の重鎮の1人は「実績の無い若手にポストを与えても何も仕事は出来ない。若手の声を吸い上げる仕組みを作った方がましだ」と話す。

 吉田氏は19日の記者会見で、執行部人事について「党首は私。どういう執行体制をつくりたいのか私が提案する」と強がった。党大会最終日の23日には、若手の地方議員を副党首ではなく、党常任幹事会のメンバーに入れる代替案を検討している。しかし、後退感は否めない。

 党大会直前の20日には、若手地方議員6人から、石川氏を副党首に起用することを求める要望書を突きつけられた。吉田氏は「重く受け止める」とだけ答えたという。(大野亨恭)

 ■「革新だけど保守」

 低迷する社民党はどこへ行くのか。昨年の党首選で党の刷新を求めて石川氏の擁立に動いた若手地方議員に現状を語ってもらった。

 座談会に参加した若手地方議員は、石川大我(いしかわたいが)・東京都豊島区議(39)と、市来伴子(いちきともこ)・東京都杉並区議(36)、稲森稔尚(いなもりとしなお)・三重県伊賀市議(30)、勝浦敦(かつうらあつし)・埼玉県蓮田市議(28)、宮田団(みやたまどか)・北海道釧路市議(40)の5氏。やりとりの詳細は以下の通り。

 ――昨年10月の党首選。みなさんが連絡を取り合って、石川大我氏を擁立しました。その理由は何だったのでしょうか。

 宮田団・北海道釧路市議 福島瑞穂前党首が退任された後、地元党員との会議で、党首選の話になった。5人しか国会議員がいないのに、「党首は国会議員じゃなきゃダメなのか」という声があった。選挙のたびに党勢はどんどん下がり続ける。私は「今のままではダメだとの危機感を持ち、改革しないといけない。若い人でも良いんじゃないか」と訴えました。

 ――17年ぶりの選挙戦になりました。しかし、結果は、労組が支援した吉田忠智氏の圧勝でした。何を感じましたか。

 宮田氏 釧路支部は40歳以下は私だけでほとんど組合出身。でも、「組合頼りの選挙ではダメ」「復活には若い人が必要」と前向きな声が多かった。その一方で吉田氏に投票した人は、党首は国会議員じゃないとダメだと思っている人が多かったと思う。国会議員だからという「消極的選択」だったんじゃないか。

 石川大我東京都豊島区議 僕が党首選に出たために、ある関東のベテラン党員が離党したと聞いた。若さというよりは、僕がゲイでLGBT性的少数者)だったことに耐えられなかったみたいだ。多様性やマイノリティーに寄り添うのが本来の社民党の姿なのに。むなしいというか、ショックでした。

 勝浦敦・埼玉県蓮田市議 前向きな点もある。自己変革をしたい人たちが見えたことだ。石川さんに投じた人は組織が変わることを望んでいた。党首選を機にその人たちがアクティブに動き始めた。例えば、今度、群馬県連で女性向けの政治セミナーがあるが、石川さんを応援した人が中心になっている。

 ――社民党の現状をどう見ていますか。

 市来伴子・東京都杉並区議 結局、社民党は保守なんだよね。世の中に対しては変われと言うのに、自分たちは変わらない。革新だけど保守。変われって言う自分たちも変革していかないといけないのに、その気概が党員に伝わっていない。

 宮田氏 地域によっては労組はまだまだ強い。労組という過去の財産を食いつぶしているのが現状。そこを変えないといけないのにずっとしがみついている。労組がいらないということではなく、確実に減っていくもの。そこが発展しないのなら、新たなところを見つけないといけない。昔ながらの大きかった社会党を背負っている人がすごく多い。

 ――脱労組依存という課題がある一方、もう一つの頼みの綱が市民運動となるのでしょうか。

 市来氏 都知事選で思ったのは、今まで、市民のイメージは一つだった。しかし、今は多様になっている。市民をひとくくりにできる政治状況にはない。多様な市民をまとめ上げる根拠を持たないと負けると思う。社民党は単に「正義の味方」と言うだけではなく、もっと高次元のレベルで政策とかを協議できないと厳しい。

 ――党内にはリベラルが結集する野党再編の軸になるべきだ、という声もあります。

 市来氏 リベラルというものが見えにくくなっている。リベラルと言っても、実は保守的だったり、新自由主義だったり。だから、簡単に党の相乗りなどは非常に危険だと感じている。今までのように、権力者がいて声をかけたら集まるような状況ではない。

 ――変われないまま、ここまで退潮してしまった社民党になぜこだわるのでしょうか。

 勝浦氏 僕にはここしかなかった。社民党に集まって来るほとんどの人は、社会的に排除されている人だ。貧困や、非正規雇用や、精神疾患……。僕は教育システムから外れた。中学生の時はいわゆる不良だった。大学に進学した後は、子どもが生まれることを機に中退。ちゃんとやり直そうと飲食店で働き始めたとき、客として来た隣町の町長の横暴な姿を目の当たりにした。政治家に対する怒りが生まれ、たまたま店を訪れた社民党の市議に話したら、「じゃあ政治家になれば」と。社民党は、困った人が行き着く最後の場所だと思う。

 稲森稔尚・三重県伊賀市議 社民党は、辻元清美さんや原陽子さんなど、政界にいない人を国会議員にさせていた。半分以上は女性議員。女性の時代があった。立派だなという印象をもった。学生の時、イラク戦争開戦の直前に戦争反対の気持ちから、ビラ配りなどを手伝い始めた。その後、故郷の三重県内で社民党の公認候補がゼロになった。このままでは社民党が消えてしまうと思い、市議選に挑戦した。

 ――吉田党首になって4カ月。どう評価しますか。

 稲森氏 自治労出身で典型的な昔の社民党の人。しかし、殻を破ろうとしているのはすごく感じる。若い人の感覚や市民運動と接点を持とうとしているし、小泉純一郎元首相にも会った。誠実な人ではある。

 勝浦氏 党首選の結果を言えば、むなしさがある。街頭演説でも、福島前党首なら一般の人たちから反応があったけど、吉田党首にはない。「吉田党首=変われなかった」と市民は見ているのではないか。ただ、吉田氏は県議出身で、地方議員から党首になった点は喜ばしい。

 稲森氏 副党首に若手を起用できるかは、吉田さんが殻を破れるかどうかだ。又市征治幹事長らにちゃんと人事案を突きつけられるか。それができなければ、社民党は終わりだと思います。吉田さんがリーダーシップをとって、しっかり売り出していかないと。

 ――若手の起用が社民党に変革をもたらすのでしょうか。

 市来氏 若さが一つの分野になりつつある。若い候補者が出ると、自分たちの代表者だと思ってくれる。共感を引き出せる。ただ、若ければ良いというものでもない。党の幅を持たせるために若い人をどんどん登用すべきなのに、そういう意識があまりにも足りなさすぎる。

 石川氏 古い体制を新しくするのは若者、よそ者、ばか者だ。そういう人たちが執行部に入ることで社民党は変わる。そこに若者は希望を持っている。ピラミッドの順番で、上から吸い上げられて役職に就くのではなく、若手が意識を持って党の執行部に対して臨み、要求することで良くなる。(大野亨恭)