昭和63年に京都大学医療技術短期大学部理学療法学科の助手で教員生活をスタートしました。
その年に、京都府の保健師さんが私のボスである藤原哲司教授に挨拶にこられ、私を京都府の市町村の地域リハビリテーション事業に関わらせてほしいとの要望がありました。多くは京都市内の保健センターでしたが、その中に福知山市保健センターがありました。教授より、「どこかにかかわってほしい。ちなみに私の故郷は福知山市だけど・・」の一言で「福知山市にお世話になります。」とお話しました。それから今年まで23年間、お世話になりました。
福知山市の保健師さんは大変優秀な方が多く、私の動作の見方も少しづつ理解してくれて、大変適切な自主トレーニングをしてくれるのです。保健師さんが自主トレーニングのメニューをまとめたパンフレットを作成するなど大変積極的な活動をしてくれました(パンフレットの内容は、私の書籍である「神経疾患の評価と理学療法(アイペック)」に紹介させていただいてます。
今回、制度がかわり、機能訓練事業から別の事業に変わることを聞きました。私が関与する日には、福知山市民病院の先生も勉強に来てくれており、病院と地域のリハビリテーションの大変良い連携ができていたのに残念です。
今日も多くの患者さんが来てくれました。最後であることを知っているので、大変心配そうにされている方や、リハビリテーションの効果を見せに来てくれた方など様々でした。
みなさんから、「ありがとうございました」と言われますと、少しうるっときてしまいました。
大学教員が地域の方々の現状を知ることは、PTである自分自身のためにも、学生教育のためにも大変有意義でありました。本当にありがとうございました。
私はこれで最後であると思っていますが、担当保健師さん達は、「来年度もぜひお願いしますね。」と明るい顔で見送ってくれました。
でも・・これで最後なんだろうと思い、福知山をあとにした私でした。
その年に、京都府の保健師さんが私のボスである藤原哲司教授に挨拶にこられ、私を京都府の市町村の地域リハビリテーション事業に関わらせてほしいとの要望がありました。多くは京都市内の保健センターでしたが、その中に福知山市保健センターがありました。教授より、「どこかにかかわってほしい。ちなみに私の故郷は福知山市だけど・・」の一言で「福知山市にお世話になります。」とお話しました。それから今年まで23年間、お世話になりました。
福知山市の保健師さんは大変優秀な方が多く、私の動作の見方も少しづつ理解してくれて、大変適切な自主トレーニングをしてくれるのです。保健師さんが自主トレーニングのメニューをまとめたパンフレットを作成するなど大変積極的な活動をしてくれました(パンフレットの内容は、私の書籍である「神経疾患の評価と理学療法(アイペック)」に紹介させていただいてます。
今回、制度がかわり、機能訓練事業から別の事業に変わることを聞きました。私が関与する日には、福知山市民病院の先生も勉強に来てくれており、病院と地域のリハビリテーションの大変良い連携ができていたのに残念です。
今日も多くの患者さんが来てくれました。最後であることを知っているので、大変心配そうにされている方や、リハビリテーションの効果を見せに来てくれた方など様々でした。
みなさんから、「ありがとうございました」と言われますと、少しうるっときてしまいました。
大学教員が地域の方々の現状を知ることは、PTである自分自身のためにも、学生教育のためにも大変有意義でありました。本当にありがとうございました。
私はこれで最後であると思っていますが、担当保健師さん達は、「来年度もぜひお願いしますね。」と明るい顔で見送ってくれました。
でも・・これで最後なんだろうと思い、福知山をあとにした私でした。