すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

「桜の木は生きていた」と惜しむ声

2018年10月10日 | 日々思うこと

昨日の「健康づくりセンターはぴねす」の桜の木の伐採は、一夜明けて地域の人たちの「プール建設のため駐車場を広げるだけなら何も全部切らなくともよかったわね」、「この間、市から“木を大切にしましょう”というような回覧版が回ってきたけど、役所がやっていることはコレ!?」などの驚きと惜しむ声です。

写真は今年4月4日に撮った満開の桜です。ここは日本海の直ぐ傍で、アメリカシロヒトリにも負けない“健康樹”でしたが、もうこの雄姿を見ることができないと思うと胸が詰ります。

実は昨日の午後、市内のYさんのお宅へ伺うと丁度、軽トラック2台に伐採した庭の木々を山ほど積んで出発でした。広い庭の大きくなった木の枝などの剪定作業で、Yさん曰く「亡くなった父親が植えた木はどんどん成長し、私たち夫婦は年々老いていくので大変・・・」と、シルバー人材センターに委託です。そしてスッキリして明るくなったと喜んでいましたが、それでも根こそぎ伐採された木はなく、長年大事にされていることが伝わってきました。

花梨の木も見上げる高さになり、いつも秋になると咳止めにと果実をいただいているのですが、昨年は不作だっただけに今年はたわわに実がいっぱいで、少し黄色くなって目を細めるひと時です。

子どもの頃だったか、ロシアの児童文学の『森は生きている』のお芝居を見たことがあるのですが、何処でだったのか思い出せません。でもそれからずっと“森は生きている”と、森や林だけでなく“木も生きている”と街なかの木々を見て歩くのが趣味のようになりました。

今回、たかが桜の木の伐採ごときでと思われるかもしれませんが、私にとっては“されど桜”であることに変わりはなく、“一寸の虫にも五分の魂”の如くです。私は真宗信徒ではありませんが、今日は親鸞聖人の「歎異抄」から浄土真宗公式HPに出会いました。https://www.shinrankai.or.jp/koe/080221tannisyou.htm

万物のいのちは目に見えないだけに、その大切さを受け止め伝えていく難しさを感じながら、40年間生き続けそのいのちを失った桜の木へのレクイエムです。