気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

月に1回の病院

2012-09-25 19:11:38 | 日記
娘のカウンセリングで伊那中央病院へ行って来ました。
2月から月1回のペースで通っています。
多人数のクラスが馴染めず不登校になったところから、カウンセリングが始まりました。
小児科の女性医師と、女性のカウンセラーに診て貰っています。

いつもは午前中のカウンセリングですが、今日は初めて午後。
娘は、通常は遅刻ですが、今日は3時限で早退です。
最近は、私のカウンセリングが無いので、ひたすら娘が終わるのを待つのみ。
今日は、待合室で寝ちゃいましたよ。
午後の病院(外来)は、午前中ほどの混雑は無く、ガラガラで静か…。
睡魔が襲うのも、仕方ありません。

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コスモス

2012-09-24 19:52:11 | 日記
コスモスが綺麗に咲いています。
アパート横の小沢川沿いです。
山口百恵の「秋桜」大好きです。
なんかコスモスを見ると、もの悲しくなりますね…。

20年くらい前、郵便局で私の1年先輩の女性がガンで亡くなりました。
「スズケン」と呼んでくれて、随分可愛がってくれました。
「根曲がり竹の味噌汁」は、この先輩が作ってくれたのを飲んだのが一番最初でした。
ある日、足の親指が痛いと、東大病院に入院したんですよ。
でも、なかなか退院しない…。
「日付印」を足の指に落としたくらいで、こんなに長引くの…?
と思っていたら、突然の訃報です。

闘病生活の最後の方は、故郷の新潟県・妙高高原で過ごしたみたいです。
そして、亡くなって間もなく、妙高高原の実家にお線香を上げに伺ったときに、親御さんからもらったキャビネ版の1枚の写真…。
亡くなった先輩が、近くの黒姫高原のコスモス畑の真ん中で撮ったとっても綺麗な写真でした。
この写真、悲しくて見ることが出来ません。
でも、今でも私の脳裏にはっきりと構図が残っています。

コスモスの花を見ると、思い出す20年前の悲しい出来事です。

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日馬富士横綱へ

2012-09-23 18:48:19 | 鶴竜・御嶽海&大相撲
久し振りに相撲ネタです。
秋場所千秋楽の結びの一番くらいは、見ないとね…。
何だか、横綱・白鵬には悪いですが、全然日馬富士が負ける気がしなかったですよね。
案の定、力強い下手投げで日馬富士の勝ち。
白鵬、これから東西に横綱が揃うんだから、老けてもらっちゃ困ります。
毎場所、千秋楽に全勝決戦、頼みますよ。

日馬富士の2場所連続の全勝優勝は凄いです。
大関での2場所連続の全勝優勝(場所後横綱)は、双葉山と貴乃花しかいないんですってね。
あの小さい体で、良くやりましたよ。



表彰式の内閣総理大臣杯の授与。
当然、野田首相本人が来ますよね。
視聴率20%のここで、アピールしないと、男が廃るってね。
以前、小泉元首相が、横綱・貴乃花最後の優勝で「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう!」 とアドリブで言って、印象づけましたからね~。
2匹目のドジョウを狙って、野田さんもアドリブで何か言ってました。
でも、もう覚えていない…。
野田さんじゃ、そんな程度です。

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高津臣吾引退

2012-09-22 17:20:22 | 日記
BCリーグ・新潟アルビレックスBCの高津臣吾投手兼任監督が本日の信濃グランセローズとの一戦をもって現役を引退しました。
日米通算300セーブ以上を挙げて名球会会員でもある高津投手、現在43歳です。
亜細亜大学からヤクルト・スワローズに入団。
ヤクルトの守護神として大活躍した後、メジャーに挑戦。
シカゴ・ホワイトソックスやニューヨーク・メッツ でも通算27セーブを記録しました。
その後、ヤクルト―韓国(ウリ・ヒーローズ)―台湾(興農・ブルズ)―新潟と渡り歩いています。
今シーズンは、兼任監督として新潟の前期・後期優勝に手腕を発揮しました。
ただし、登板は、今日まで一度も無し。
今日の引退試合で、9回表2アウトから初登板。
最後の1人(信濃・原)をレフトフライに打ち取って、有終の美を飾りました。

私と高津の付き合いは、長いですよ。
…と言っても向こうは、私のことまったく知らないと思いますが。
私は、武蔵野市の亜細亜大学に一番近い郵便局に勤務していました。
そして、毎日窓口に来る長野県出身の山崎マネージャーと大の仲良しでした。
当時の亜大のエースは、日本を代表する大学球界のエース・小池秀郎(後に近鉄)。
小池も山崎マネージャーと同じ信州工高の出身でした。



その大エース・小池の影に隠れていたのが高津でした。
ちなみに、小池・高津の同級生には阪神に行った川尻哲郎もいたのです。
これだけの投手陣なら、大学日本一にもなりますわな。

私は、東都大学リーグ戦を観に、神宮球場に通いましたよ。
そして、亜大の学生と一緒に応援しました。
「あっ、郵便局のお兄ちゃん!」と学生も歓迎してくれましたっけ。
亜大が優勝すると、提灯行列が武蔵境の街を回ります。
その行列にも付いて行きましたからね。
大学の講堂で行われた祝勝会にも、地元郵便局代表で行ったことがあります。



そんな縁で、もう22~23年前から高津のことは知っていました。
小池の影に隠れていた高津が、これほど活躍するとは思いもしませんでした。
立派です。
22年間お疲れ様でした。

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花柳弥寿太郎氏葬儀

2012-09-21 18:49:46 | 日記
日本舞踊家の花柳弥寿太郎(本名白鳥敏雄)氏が18日に突然お亡くなりになりました。
85歳でした。
何を隠そう、私の実家のお隣。
毎朝、早朝から庭木に水をやり、夕方には打ち水を欠かさなかった元気な先生でした。
それが、18日早朝の訃報。
救急車が来たものの、間に合わなかったそうです。

以前、このブログでもご紹介の通り、伊那まつりで「勘太郎月夜唄」に合わせて踊られている勘太郎踊りの振り付けは、花柳弥寿太郎氏が創作したものです。

http://blog.goo.ne.jp/suzuken204/e/9cf24a592df2e867983a989f0e519a54

また、伊那市に絵画の寄贈を何回にも渡って行っていたようです。
なかなか出来ることではありません。

http://inamai.com/news.php?s=1&i=200801181749130000025785

http://inamai.com/news.php?c=shakai&i=201108251925180000044047

生涯現役で、毎日のように、自宅の稽古場でお弟子さんたちに踊りの稽古をつけていました。
私などは、先生は不死身なんじゃないかと思っていたくらいお元気だったのに…。

今日は、隣組として、葬儀のお手伝いを行って来ました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

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