気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

高津臣吾引退

2012-09-22 17:20:22 | 日記
BCリーグ・新潟アルビレックスBCの高津臣吾投手兼任監督が本日の信濃グランセローズとの一戦をもって現役を引退しました。
日米通算300セーブ以上を挙げて名球会会員でもある高津投手、現在43歳です。
亜細亜大学からヤクルト・スワローズに入団。
ヤクルトの守護神として大活躍した後、メジャーに挑戦。
シカゴ・ホワイトソックスやニューヨーク・メッツ でも通算27セーブを記録しました。
その後、ヤクルト―韓国(ウリ・ヒーローズ)―台湾(興農・ブルズ)―新潟と渡り歩いています。
今シーズンは、兼任監督として新潟の前期・後期優勝に手腕を発揮しました。
ただし、登板は、今日まで一度も無し。
今日の引退試合で、9回表2アウトから初登板。
最後の1人(信濃・原)をレフトフライに打ち取って、有終の美を飾りました。

私と高津の付き合いは、長いですよ。
…と言っても向こうは、私のことまったく知らないと思いますが。
私は、武蔵野市の亜細亜大学に一番近い郵便局に勤務していました。
そして、毎日窓口に来る長野県出身の山崎マネージャーと大の仲良しでした。
当時の亜大のエースは、日本を代表する大学球界のエース・小池秀郎(後に近鉄)。
小池も山崎マネージャーと同じ信州工高の出身でした。



その大エース・小池の影に隠れていたのが高津でした。
ちなみに、小池・高津の同級生には阪神に行った川尻哲郎もいたのです。
これだけの投手陣なら、大学日本一にもなりますわな。

私は、東都大学リーグ戦を観に、神宮球場に通いましたよ。
そして、亜大の学生と一緒に応援しました。
「あっ、郵便局のお兄ちゃん!」と学生も歓迎してくれましたっけ。
亜大が優勝すると、提灯行列が武蔵境の街を回ります。
その行列にも付いて行きましたからね。
大学の講堂で行われた祝勝会にも、地元郵便局代表で行ったことがあります。



そんな縁で、もう22~23年前から高津のことは知っていました。
小池の影に隠れていた高津が、これほど活躍するとは思いもしませんでした。
立派です。
22年間お疲れ様でした。

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