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気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

高橋一三死す

2015-07-15 20:38:04 | 昭和レトロ
私が小学生の頃、一番初めに好きになった力士が「金剛」でした。
同じく一番初めに好きになったプロレスラーが「ジャンボ鶴田」。
同じく一番初めに好きになったプロ野球選手が「高橋一三」だったのです。
(文中しばらく敬称略で通します)
プロ野球は、昭和47年(1972年)頃から、毎日テレビ・ラジオで巨人戦を見聞きしていました。
当時、長野県には、民放テレビ局が信越放送と長野放送の2局しか無くて、ナイター中継は週3回あれば良い方でした。
なので、テレビ中継が無い日は、ラジオに噛り付いていました。
ちょうど、巨人がV9をやっていた頃ですよ。
右のエースが堀内恒夫。
左のエースが高橋一三。
高橋は、あの厳つい肩から「えもんかけ」のニックネームがありました。
無口で、肩が厳つくて、坊主頭。
堀内がやんちゃ坊主だっただけに、高橋の寡黙さが好印象でしたね。
昭和48年には、23勝13敗で2度目の沢村賞を獲得しました。



やがてV9時代は終わり、巨人の監督が長嶋茂雄になると、巨人は屈辱の最下位に転落します。
そのオフ、大型補強で、日本ハムから張本勲をトレードで獲得します。
交換要員が高橋一三と富田勝でした。
私、巨人という球団が嫌いになりました。
なんで、高橋一三が交換要員なの?って。
それ以降、しばらく(上田佳範活躍期まで)日ハム贔屓でした。
日ハムでの高橋一三の背番号が18。
エースナンバーですよ。
右のエース高橋直樹とともに、昭和56年(1981年)の優勝に貢献しました。



昭和58年限り現役を引退。
私は昭和58年から東京で郵便局員です。
最初の赴任地が、三鷹市の杏林大学病院近くの郵便局でした。
なんと、赴任1日目に高田繁(元巨人選手・現DeNA GM)がお客様として来局。
度肝を抜かれました。
この付近は、高田繁・吉田孝司(現DeNAスカウト部長)・高橋一三のV9戦士居住地だったのです。
なんという縁でしょう。
実は私も、昭和58年から13年間三鷹のこの辺に住んでいました。
大好きな高橋一三ともご近所さんだった訳です。
実際、たまに、コンビニで会いましたもんね。(正確には見掛けたーです)
また、10年前(清瀬転居後)に、プロ野球を見まくっていた頃、ちょうど巨人の2軍監督が高橋一三だったのです。
読売ランドのジャイアンツ球場で、良くお姿を拝見しました。

三鷹を離れて約20年。
東京を離れて約10年。
まさか、高橋一三さんが69歳で亡くなるなんて。
多臓器不全?
金剛も、J鶴田も、高橋一三までもが居なくなってしまいました。

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