会津八一に関するブログ 344
会津八一の挽歌「山鳩 序」 2013・3・30(土)
きい子は八一の実弟高橋戒三夫人の妹、20歳で身の回りの世話に入り、33歳で八一の養女になるが、昭和20年7月10日34歳結核で死去。
このきい子については小説や舞台劇にもなっている。
八一はきい子を悼んで山鳩21首を詠むが、その序は涙なしに読むことができない。文語で句読点が無いので、読みづらいが是非味わってほしい。
寒燈集・山鳩 序
「きい子もと高橋氏二十歳にして予が家に来り養うて子となすよく酸寒なる書生生活に堪へ薪水のことに當ること十四年内助の功多かりしはその間予が門に出入せしものの齊しく睹るところなるべしもとより蒲柳の質なりしを幾度か予の重患に侍し遂に疲労を以て病因をなしたるが如し今春臥して痾褥に在るに當り一夜たちまち戦火を被りわづかに身一つを以て免れ予とともに越後に歸り・・・」 序 全文へ
会津八一の挽歌「山鳩 序」 2013・3・30(土)
きい子は八一の実弟高橋戒三夫人の妹、20歳で身の回りの世話に入り、33歳で八一の養女になるが、昭和20年7月10日34歳結核で死去。
このきい子については小説や舞台劇にもなっている。
八一はきい子を悼んで山鳩21首を詠むが、その序は涙なしに読むことができない。文語で句読点が無いので、読みづらいが是非味わってほしい。
寒燈集・山鳩 序
「きい子もと高橋氏二十歳にして予が家に来り養うて子となすよく酸寒なる書生生活に堪へ薪水のことに當ること十四年内助の功多かりしはその間予が門に出入せしものの齊しく睹るところなるべしもとより蒲柳の質なりしを幾度か予の重患に侍し遂に疲労を以て病因をなしたるが如し今春臥して痾褥に在るに當り一夜たちまち戦火を被りわづかに身一つを以て免れ予とともに越後に歸り・・・」 序 全文へ