会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 13

2013-03-30 22:02:36 | Weblog
興福寺をおもふ   解説  

 はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり 
                ほとけ の には に はな さく らし も

               (春来ぬと今かもろ人行き帰り仏の庭に花咲くらしも)

会津八一 12

2013-03-30 00:06:32 | Weblog
春日野にて  第9首  解説
 をぐさ はむ しか の あぎと の をやみ なく
                 ながるる つきひ とどめ かねつ も

           (を草食む鹿のあぎとのを止みなく流るる月日とどめかねつも)

会津八一 11

2013-03-27 00:47:52 | Weblog
春日野にて 第8首  解説 

 もりかげ の ふぢ の ふるね に よる しか の 
               ねむり しづけき はる の ゆき かな

              (森かげの藤の古根による鹿のねむり静けき春の雪かな)

会津八一 10

2013-03-26 00:40:43 | Weblog
春日野にて 第7首  解説
 かすがの に ふれる しらゆき あす の ごと 
               けぬ べく われ は いにしへ おもほゆ

           (春日野に降れる白雪あすのごと消ぬべく我はいにしえ思ほゆ

会津八一 9

2013-03-25 00:03:26 | Weblog
春日野にて 第6首  解説
 うらみ わび たち あかし たる さをしか の 
               もゆる まなこ に あき の かぜ ふく

             (恨み侘び立ちあかしたる牡鹿のもゆる眼に秋の風吹く)

会津八一 8

2013-03-23 21:42:27 | Weblog
春日野にて 第5首  解説
 こがくれて あらそふ らしき さをしか の 
                  つの の ひびき に よ は くだち つつ

         (木隠れて争ふらしき牡鹿の角のひびきに夜はくだちつつ)
 

会津八一 7

2013-03-23 00:23:29 | Weblog
春日野にて  第4首   解説

 つの かる と しか おふ ひと は おほてら の 
               むね ふき やぶる かぜ に かも にる
  
              (角刈ると鹿追ふ人は大寺の棟ふき破る風にかも似る)




ヘイトスピーチ    素空

2013-03-16 22:53:19 | Weblog
 恐れていた事が現実に起こっていると報道されている。竹島問題を契機にした韓国(人)に対する東京での過度な抗議デモである。それは憎悪にもとづいた発言や差別的行為を煽動する言動で色塗られている。
 そうした言動をヘイトスピーチと言う。ヘイト(Hate)は「憎む」「憎悪する」を意味する英語である。
 韓国で過度の排日行動が行われているから、我々も・・・ということもあるらしいが、程度の低い行動に同じレベルで対応するのは幼時のようだ。過去の歴史の教訓の中から、程度の低い悪しきナショナリズムからは何も生まれず、反って紛争や動乱が起こったことを学習してきたはずだ。
 いま求められているのは民族と言う特殊性を考慮に入れつつも、根幹にヒューマニズムを据えた国際的な視野で他国や他民族と接していくことだ。
ヘイトスピーチ
人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済状態、外見などを理由に、それの異なる集団や個人を貶め、暴力や差別的行為を煽動したり、行動すること。

会津八一 6

2013-03-06 23:56:25 | Weblog
春日野にて  第3首  解説 

 うち ふして もの もふ くさ の まくらべ を 
            あした の しか の むれ わたり つつ

       (うち伏してもの思ふ草の枕べを朝の鹿の群れ渡りつつ)


会津八一 5

2013-03-05 21:09:14 | Weblog
春日野にて 第2首  解説

 かすがの の みくさ をり しき ふす しか の 
               つの さえ さやに てる つくよ かも

        (春日野のみ草折り敷き伏す鹿の角さえさやに照る月夜かも)


会津八一 4

2013-03-03 22:42:30 | Weblog
春日野にて  第1首  解説

 かすがの に おしてる つき の ほがらかに 
             あき の ゆふべ と なり に ける かも 

    (春日野におし照る月のほがらかに秋の夕べとなりにけるかも)


会津八一 3

2013-03-03 01:02:31 | Weblog
南京新唱
 鹿鳴集にある南京新唱・99首は会津八一の処女歌集である。
順次紹介していこう。

「明治四十一年八月より大正十三年に至る
南京 なんきょう。ここにては奈良を指していへり。「南都」といふに
等し。これに対して京都を「北京」といふこと行われたり。
鹿持雅澄(カモチマサズミ)の『南京遺響』佐佐木信綱氏の
『南京遺文』などいふ書あり。
みな奈良を意味せり。ともに「ナンキン」とは読むべきにあらず。
                         (自註鹿鳴集より)   

会津八一 2

2013-03-01 01:05:13 | Weblog
年 表
1881年(明治14)
            8月1日 新潟市古町通五番町に生まれる
                   父、政次郎、母、イク。八一は3男4女の次男
1895年(明治28)14歳 新潟県尋常中学校(現県立新潟高等学校)入学
1899年(明治32)18歳 俳句を始め、万葉集や良寛らの歌を読む
                  この頃、尾崎紅葉、坪内逍遥に会う
1900年(明治33)19歳 高校を卒業、上京し正岡子規と面会、その後脚気を病み帰郷
1901年(明治34)20歳 「東北日報」「新潟新聞」の俳句選者となる
1902年(明治35)21歳 東京専門学校(現早稲田大学)高等予科に入学
                  翌年早稲田大学文学科に入学
1906年(明治39)25歳 大学卒業、 英語教師として新潟県中頚城(なかくびき)郡板倉村の
                  有恒学舎(現県立有恒高等学校)に赴任
1908年(明治41)27歳 初めて奈良に旅行し、20首の短歌を詠む
1910年(明治43)29歳 坪内逍遙に招かれ、早稲田中学校英語教師になる
1924年(大正13)43歳 第1歌集「南京新唱」刊行
1925年(大正14)44歳 早稲田大学附属高等学院教授となる
1926年(大正15)45歳 早稲田大学文学部講師となり東洋美術史を講義
1931年(昭和 6)50歳 早稲田大学文学部教授となる
1938年(昭和13)57歳 早稲田大学文学部に藝術学専攻科を設置し主任教授となる
1940年(昭和15)59歳 歌集「鹿鳴集」刊行
1942年(昭和17)61歳 随筆集「渾齋随筆」刊行
1944年(昭和19)63歳 歌集「山光集」刊行
1945年(昭和20)64歳 早稲田大学教授を辞任
                  空襲により罹災し、新潟県北蒲原郡中条町へ
                  7月10日、養女きい子亡くなる(33歳)
1946年(昭和21)65歳 夕刊新潟社の社長に就任
1947年(昭和22)66歳 歌集「寒燈集」刊行
1948年(昭和23)67歳 早稲田大学名誉教授となる
1948年(昭和24)68歳 従兄弟中山後郎の娘蘭を養女とする
1950年(昭和25)69歳 新潟日報社の社賓となる
1953年(昭和28)72歳 宮中歌会始の召人となる
                  「自註鹿鳴集」を刊行
1955年(昭和30)74歳 香川県五剣山八栗寺の鐘銘を揮毫
1956年(昭和31)75歳 11月21日、冠状動脈硬化症により新潟大学付属病院で永眠