「大和路(堀辰雄)」と會津八一 9
「大和路」の「十月二十四日、夕方」の百済観音の場面は高浜虚子の斑鳩物語の話になる。
「それから次ぎの室で伎楽面(ぎがくめん)などを見ながら待っていてくれたH君に追いついて、一しょに宝蔵を出て、夢殿のそばを通りすぎ、その南門のまえにある、大黒屋という、古い宿屋に往って、昼食をともにした。
・・・夢殿の門のまえの、古い宿屋はなかなか哀れ深かった。これが虚子の「斑鳩物語」に出てくる宿屋。なにしろ、それはもう三十何年かまえの話らしいが、いまでもそのときとおなじ構えのようだ。もう半分家が傾いてしまっていて、中二階の廊下など歩くのもあぶない位になっている。しかしその廊下に立つと、見はらしはいまでも悪くない。大和の平野が手にとるように見える。向うのこんもりした森が三輪山(みわやま)あたりらしい。菜の花がいちめんに咲いて、あちこちに立っている梨の木も花ざかりといった春さきなどは、さぞ綺麗だろう。と、何んということなしに、そんな春さきの頃の、一と昔まえのいかるがの里の若い娘のことを描いた物語の書き出しのところなどが、いい気もちになって思い出されてくる。――しかし、いまはもうこの里も、この宿屋も、こんなにすっかり荒れてしまっている。夜になったって、筬(おさ)を打つ音で旅びとの心を慰めてくれるような若い娘などひとりもいまい。」
會津八一はこの「筬(おさ)を打つ音」を詠み、自註鹿鳴集で解説する。
“夢殿に近き「かせや」といへる宿屋にやどりて、夜中村内を散歩して聞きしものなり。高浜虚子君が『斑鳩物語』(イカルガモノガタリ)の中で、同じ機の音を点出されしは、この前年なりしが如し”
法隆寺村にやどりて
いかるが の さと の をとめ は よもすがら
きぬはた おれり あき ちかみ かも 解説
(いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)
「大和路」の「十月二十四日、夕方」の百済観音の場面は高浜虚子の斑鳩物語の話になる。
「それから次ぎの室で伎楽面(ぎがくめん)などを見ながら待っていてくれたH君に追いついて、一しょに宝蔵を出て、夢殿のそばを通りすぎ、その南門のまえにある、大黒屋という、古い宿屋に往って、昼食をともにした。
・・・夢殿の門のまえの、古い宿屋はなかなか哀れ深かった。これが虚子の「斑鳩物語」に出てくる宿屋。なにしろ、それはもう三十何年かまえの話らしいが、いまでもそのときとおなじ構えのようだ。もう半分家が傾いてしまっていて、中二階の廊下など歩くのもあぶない位になっている。しかしその廊下に立つと、見はらしはいまでも悪くない。大和の平野が手にとるように見える。向うのこんもりした森が三輪山(みわやま)あたりらしい。菜の花がいちめんに咲いて、あちこちに立っている梨の木も花ざかりといった春さきなどは、さぞ綺麗だろう。と、何んということなしに、そんな春さきの頃の、一と昔まえのいかるがの里の若い娘のことを描いた物語の書き出しのところなどが、いい気もちになって思い出されてくる。――しかし、いまはもうこの里も、この宿屋も、こんなにすっかり荒れてしまっている。夜になったって、筬(おさ)を打つ音で旅びとの心を慰めてくれるような若い娘などひとりもいまい。」
會津八一はこの「筬(おさ)を打つ音」を詠み、自註鹿鳴集で解説する。
“夢殿に近き「かせや」といへる宿屋にやどりて、夜中村内を散歩して聞きしものなり。高浜虚子君が『斑鳩物語』(イカルガモノガタリ)の中で、同じ機の音を点出されしは、この前年なりしが如し”
法隆寺村にやどりて
いかるが の さと の をとめ は よもすがら
きぬはた おれり あき ちかみ かも 解説
(いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)