会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1060

2016-04-29 20:11:17 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 9 

 「大和路」の「十月二十四日、夕方」の百済観音の場面は高浜虚子の斑鳩物語の話になる。
 「それから次ぎの室で伎楽面(ぎがくめん)などを見ながら待っていてくれたH君に追いついて、一しょに宝蔵を出て、夢殿のそばを通りすぎ、その南門のまえにある、大黒屋という、古い宿屋に往って、昼食をともにした。
 ・・・夢殿の門のまえの、古い宿屋はなかなか哀れ深かった。これが虚子の「斑鳩物語」に出てくる宿屋。なにしろ、それはもう三十何年かまえの話らしいが、いまでもそのときとおなじ構えのようだ。もう半分家が傾いてしまっていて、中二階の廊下など歩くのもあぶない位になっている。しかしその廊下に立つと、見はらしはいまでも悪くない。大和の平野が手にとるように見える。向うのこんもりした森が三輪山(みわやま)あたりらしい。菜の花がいちめんに咲いて、あちこちに立っている梨の木も花ざかりといった春さきなどは、さぞ綺麗だろう。と、何んということなしに、そんな春さきの頃の、一と昔まえのいかるがの里の若い娘のことを描いた物語の書き出しのところなどが、いい気もちになって思い出されてくる。――しかし、いまはもうこの里も、この宿屋も、こんなにすっかり荒れてしまっている。夜になったって、筬(おさ)を打つ音で旅びとの心を慰めてくれるような若い娘などひとりもいまい。」
 會津八一はこの「筬(おさ)を打つ音」を詠み、自註鹿鳴集で解説する。
 “夢殿に近き「かせや」といへる宿屋にやどりて、夜中村内を散歩して聞きしものなり。高浜虚子君が『斑鳩物語』(イカルガモノガタリ)の中で、同じ機の音を点出されしは、この前年なりしが如し” 
 法隆寺村にやどりて
  いかるが の さと の をとめ は よもすがら 
            きぬはた おれり あき ちかみ かも  解説
     (いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)

会津八一 1059

2016-04-28 20:04:56 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 8 

 「大和路」の「十月二十四日、夕方」の百済観音の場面は、像を思い出しながらゆっくりと読むと味わいがある。
 『・・・僕の一番好きな百済観音(くだらかんのん)は、中央の、小ぢんまりとした明かるい一室に、ただ一体だけ安置せられている。こんどはひどく優遇されたものである。が、そんなことにも無関心そうに、この美しい像は相変らずあどけなく頬笑まれながら、静かにお立ちになっていられる。……
 しかしながら、此のうら若い少女の細っそりとしたすがたをなすっていられる菩薩像(ぼさつぞう)は、おもえば、ずいぶん数奇(すき)なる運命をもたれたもうたものだ。――「百済観音」というお名称も、いつ、誰がとなえだしたものやら。が、それの示すごとく古朝鮮などから将来せられたという伝説もそのまま素直に信じたいほど、すべてが遠くからきたものの異常さで、そのうっとりと下脹しもぶくれした頬のあたりや、胸のまえで何をそうして持っていたのだかも忘れてしまっているような手つきの神々しいほどのうつつなさ。もう一方の手の先きで、ちょいと軽くつまんでいるきりの水瓶(すいびょう)などはいまにも取り落しはすまいかとおもわれる。
 この像はそういう異国のものであるというばかりではない。この寺にこうして漸(や)っと落ちつくようになったのは中古の頃で、それまでは末寺の橘寺(たちばなでら)あたりにあったのが、その寺が荒廃した後、此処に移されてきたのだろうといわれている。その前はどこにあったのか、それはだれにも分からないらしい。ともかくも、流離というものを彼女たちの哀しい運命としなければならなかった、古代の気だかくも美しい女たちのように、此の像も、その女身の美しさのゆえに、国から国へ、寺から寺へとさすらわれたかと想像すると、この像のまだうら若い少女のような魅力もその底に一種の犯し難い品を帯びてくる。……そんな想像にふけりながら、僕はいつまでも一人でその像をためつすがめつして見ていた。どうかすると、ときどき揺らいでいる瓔珞(ようらく)のかげのせいか、その口もとの無心そうな頬笑みが、いま、そこに漂ったばかりかのように見えたりすることもある。そういう工合なども僕にはなかなかありがたかった。……』
 八一の歌
 ほほゑみて うつつごころ に あり たたす   
            くだらぼとけ に しく ものぞ なき    解説    
     (ほほゑみてうつつ心にあり立たす百済仏にしくものぞなき)
 たなごごろ うたた つめたき ガラスど の 
            くだらぼとけ に たち つくす かな    解説 
     (たなごごろうたた冷たきガラス戸の百済仏に立ちつくすかな)
 くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
            かげ うごかして かぜ わたる みゆ  解説
     (観音の白き額に瓔珞の影動かして風わたる見ゆ)  

会津八一 1058

2016-04-27 20:29:18 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 7 

 「大和路」の「十月二十四日、夕方」から
 『きのう、あれから法隆寺へいって、一時間ばかり壁画を模写している画家たちの仕事を見せて貰いながら過ごした。これまでにも何度かこの壁画を見にきたが、いつも金堂のなかが暗い上に、もう何処もかも痛いたしいほど剥落(はくらく)しているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。――それがこんど、金堂(こんどう)の中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに、四方の壁に四仏浄土を描いた壁画の隅々までが蛍光灯のあかるい光のなかに鮮やかに浮かび上がっている。…』
 荒れてしまった壁画を保存する模写の様子を生き生きと堀は描写している。しかし残念なことだが模写中に壁画は燃えてしまう。
 八一の「病中法隆寺をよぎりて(第4首)」 
   ひとり きて めぐる みだう の かべ の ゑ の 
             ほとけ の くに も あれ に ける かも
      (一人来て巡る御堂の壁の絵の仏の国も荒れにけるかも)


会津八一 1057

2016-04-26 20:08:11 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 6 

 「大和路」の「十月二十一日夕」から
 「・・・午後からはO君の知っている僧侶の案内で、ときおり僕が仕事のことなど考えながら歩いた、あの小さな林の奥にある戒壇院(かいだんいん)の中にもはじめてはいることができた。
 がらんとした堂のなかは思ったより真っ暗である。案内の僧があけ放してくれた四方の扉からも僅かしか光がさしこんでこない。壇上の四隅に立ちはだかった四天王の像は、それぞれ一すじの逆光線をうけながら、いよいよ神々しさを加えているようだ。
 僕は一人きりいつまでも広目天(こうもくてん)の像のまえを立ち去らずに、そのまゆねをよせて何物かを凝視している貌(かお)を見上げていた。なにしろ、いい貌だ、温かでいて烈(はげ)しい。……
・・・僕がいつまでもそれから目を放さずにいると、北方の多聞天(たもんてん)の像を先刻から見ていたA君がこちらに近づいてきて、一しょにそれを見だしたので、「古代の彫刻で、これくらい、こう血の温かみのあるのは少いような気がするね。」と僕は低い声で言った。
 A君もA君で、何か感動したようにそれに見入っていた。が、そのうち突然ひとりごとのように言った。「この天邪鬼(あまのじゃく)というのかな、こいつもこうやって千年も踏みつけられてきたのかとおもうと、ちょっと同情するなあ。」
 僕はそう言われて、はじめてその足の下に踏みつけられて苦しそうに悶(もだ)えている天邪鬼に気がつき、A君らしいヒュウマニズムに頬笑みながら、そのほうへもしばらく目を落した。……」
 八一は 「戒壇院をいでて」で広目天を詠んだ。
   びるばくしや まゆね よせたる まなざし を
            まなこ に み つつ あき の の を ゆく
   (毘楼博叉まゆね寄せたるまなざしを眼に見つつ秋の野を行く)
 天邪鬼についてはこう詠う。
  三月堂にて
   びしやもん の おもき かかと に まろび ふす
            おに の もだえ も ちとせ へ に けむ
   (毘沙門の重き踵にまろび伏す鬼のもだえも千年経にけむ)
   “毘沙門の重い踵に踏まれて転び伏している邪鬼の悶えも、もう千年を
    経たのだなあ。”

会津八一 1056

2016-04-25 20:07:21 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 5 

 「大和路」の「夕方、西の京にて」は続く。
 「・・・裏手から唐招提寺の森のなかへはいっていった。
 金堂(こんどう)も、講堂も、その他の建物も、まわりの松林とともに、すっかりもう陰ってしまっていた。そうして急にひえびえとしだした夕暗のなかに、白壁だけをあかるく残して、軒も、柱も、扉も、一様に灰ばんだ色をして沈んでゆこうとしていた。
 僕はそれでもよかった。いま、自分たち人間のはかなさをこんなに心にしみて感じていられるだけでよかった。僕はひとりで金堂の石段にあがって、しばらくその吹(ふ)き放(はな)しの円柱のかげを歩きまわっていた。・・・
 僕はきょうはもうこの位にして、此処を立ち去ろうと思いながら、最後にちょっとだけ人間の気まぐれを許して貰うように、円柱の一つに近づいて手で撫でながら、その太い柱の真んなかのエンタシスの工合を自分の手のうちにしみじみと味わおうとした。僕はそのときふとその手を休めて、じっと一つところにそれを押しつけた。僕は異様に心が躍った。そうやってみていると、夕冷えのなかに、その柱だけがまだ温かい。ほんのりと温かい。その太い柱の深部に滲(し)み込(こ)んだ日の光の温かみがまだ消えやらずに残っているらしい。」
 八一の代表作 「唐招提寺にて
   おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
            つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
         (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)

会津八一 1055

2016-04-24 20:09:06 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 4 

 「大和路」の「夕方、西の京にて」は
 「秋篠の村はずれからは、生駒山(いこまやま)が丁度いい工合に眺められた」で始まる。
 先に引用した八一の「秋篠寺にて」 が浮かぶ。
    あきしの の みてら を いでて かへりみる 
         いこま が たけ に ひ は おちむ と す
 「・・・ひとりでに西大寺(さいだいじ)駅に出たので、もうこれまでと思い切って、奈良行の切符を買ったが、ふいと気がかわって郡山行の電車に乗り、西の京で下りた。・・・荒れた池の傍をとおって、講堂の裏から薬師寺にはいり、金堂や塔のまわりをぶらぶらしながら、ときどき塔の相輪(そうりん)を見上げて、その水煙(すいえん)のなかに透(す)かし彫(ぼり)になって一人の天女の飛翔(ひしょう)しつつある姿を、どうしたら一番よく捉まえられるだろうかと角度など工夫してみていた。が、その水煙のなかにそういう天女を彫り込むような、すばらしい工夫を凝らした古人に比べると、いまどきの人間の工夫しようとしてる事なんぞは何んと間が抜けていることだと気がついて、もう止める事にした」
 八一は 「薬師寺東塔」で水煙と天女を詠んだ。
    すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
               ひま にも すめる あき の そら かな
        (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな)

会津八一 1054

2016-04-23 20:01:11 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 3 

 「大和路」の「海竜王寺にて」は続く
 「・・・私はそれからその廃寺の八重葎(やえむぐら)の茂った境内にはいって往って、みるかげもなく荒れ果てた小さな西金堂(さいこんどう)(これも天平の遺構だそうだ……)の中を、はずれかかった櫺子(れんじ)ごしにのぞいて、そこの天平好みの化粧天井裏を見上げたり、半ば剥落(はくらく)した白壁の上に描きちらされてある村の子供のらしい楽書を一つ一つ見たり、しまいには裏の扉口からそっと堂内に忍びこんで、磚(せん)のすき間から生えている葎までも何か大事そうに踏まえて、こんどは反対に櫺子の中から明るい土のうえにくっきりと印せられている松の木の影に見入ったりしながら、そう、――もうかれこれ小一時間ばかり、此処でこうやって過ごしている。女の来るのを待ちあぐねている古(いにしえ)の貴公子のようにわれとわが身を描いたりしながら。……」
 八一の 「海龍王寺にて」第2首は柱の落書を詠む  
    ふるてら の はしら に のこる たびびと の 
               な を よみ ゆけど しる ひと も なし
        (古寺の柱に残る旅人の名を読み行けど知る人もなし)
 「楽書を一つ一つ見たり」と書く堀はきっとこの歌が頭にあったのだろう。 「大和路」は「海竜王寺にてから「夕方、奈良への帰途」に続く。
 「海竜王寺を出ると、村で大きな柿を二つほど買って、それを皮ごと噛(かじ)りながら、こんどは佐紀山(さきやま)らしい林のある方に向って歩き出した。・・・」
     まめがき を あまた もとめて ひとつ づつ
            くひ もて ゆきし たきさか の みち
        (豆柿をあまた求めて一つづつ食ひもて行きし滝坂の道)
 これは八一の「滝坂にて」第2首である。「噛(かじ)りながら」は「くひ もて」と同じ表現だ。

会津八一 1053

2016-04-22 21:09:53 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 2 

 「大和路」の「海竜王寺にて」でこう展開する。
 「・・・村の入口からちょっと右に外れると、そこに海竜王寺(かいりゅうおうじ)という小さな廃寺がある。そこの古い四脚門の陰にはいって、思わずほっとしながら、うしろをふりかえってみると、いま自分の歩いてきたあたりを前景にして、大和平(やまとだいら)一帯が秋の収穫を前にしていかにもふさふさと稲の穂波を打たせながら拡がっている。僕はまぶしそうにそれへ目をやっていたが、それからふと自分の立っている古い門のいまにも崩れて来そうなのに気づき、ああ、この明るい温かな平野が廃都の跡なのかと、いまさらのように考え出した。・・・」
 この描写から八一の「秋篠寺にて
  あきしの の みてら を いでて かへりみる 
       いこま が たけ に ひ は おちむ と す
  (秋篠のみ寺を出でてかえり見る生駒ヶ岳に日は落ちんとす)
が浮かんでくる。そして「古い門のいまにも崩れて来そうな」から「ついぢ の ひま」を連想する。「高畑にて
 たびびと の め に いたき まで みどり なる
          ついぢ の ひま の なばたけ の いろ
        (旅人の目に痛きまで緑なる築地の隙の菜畑のいろ)
 初めて海竜王寺を訪ねた時、真っ先に目に入ったのは門前にある古い築地だったのを昨日のように思い出す。

会津八一 1052

2016-04-21 19:59:02 | Weblog
「大和路(堀辰雄)」と會津八一 1

 會津八一は唐招提寺でこう詠んだ。 
  おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
           つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ      
    (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)   解説

 堀辰雄は「大和路」冒頭の「10月・夕方、唐招提寺にて」で
 「いま、唐招提寺(とうしょうだいじ)の松林のなかで、これを書いている。
・・・秋の日が一ぱい金堂や講堂にあたって、屋根瓦(やねがわら)の上にも、丹(に)の褪(さ)めかかった古い円柱にも、松の木の影が鮮やかに映っていた。それがたえず風にそよいでいる工合は、いうにいわれない爽(さわ)やかさだ。此処こそは私達のギリシアだ・・・この寺の講堂の片隅に埃(ほこり)だらけになって二つ三つころがっている仏頭みたいに、自分も首から上だけになったまま、古代の日々を夢みていたくなる。・・・」
 鹿鳴集を携えた堀辰雄が上記の八一の歌を思い浮かべていたことは想像に難くない。「古い円柱」「古代の日々を夢みていたくなる」は古代のギリシャや日本への思いであり、それは八一の「ものをこそおもへ(深いもの思いに耽っている)」に通じる。
 しばらく、「大和路」の中に八一を探してみたい。


会津八一 1051

2016-04-20 19:48:14 | Weblog
会津八一の歌碑 20(完)

五重塔をあふぎみて      解説

 ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を 
           ひとひ の ごとく たてる この たふ

      (千年あまり三度めぐれる百年を一日のごとく立てるこの塔)

会津八一 1050

2016-04-18 23:41:16 | Weblog
会津八一の歌碑 19

法隆寺村にやどりて    解説

 いかるが の さと の をとめ は よもすがら 
                きぬはた おれり あき ちかみ かも

         (いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)

               明日の第3火曜日は休みます
 

会津八一 1049

2016-04-17 23:27:56 | Weblog
会津八一の歌碑 18

御遠忌近き頃法隆寺村にいたりて(第1首)    解説

 うまやど の みこ の まつり も ちかづきぬ 
          まつ みどり なる いかるが の さと

          (厩戸の皇子の祭も近づきぬ松みどりなる斑鳩の里)


会津八一 1048

2016-04-17 00:43:26 | Weblog
会津八一の歌碑 17

中宮寺にて        解説 

 みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
           あさ の ひかり の ともしきろ かも

           (み仏の顎と肘とに尼寺の朝の光のともしきろかも )

会津八一 1048

2016-04-17 00:43:26 | Weblog
会津八一の歌碑 17

中宮寺にて        解説 

 みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
           あさ の ひかり の ともしきろ かも

           (み仏の顎と肘とに尼寺の朝の光のともしきろかも )

会津八一 1047

2016-04-15 21:06:48 | Weblog
会津八一の歌碑 16

夢殿の救世観音に       解説

 あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
         この さびしさ を きみ は ほほゑむ
         
      (天地にわれ一人ゐて立つごときこの寂しさを君はほほゑむ)