会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 293

2014-03-30 20:38:56 | Weblog
唐招提寺にて(第2首)  解説

 あまぎらし まだき も くるる せうだい の
          には の まさご を ひとり ふむ かな         

        (雨霧らしまだきも暮るる招提の庭の真砂を一人踏むかな)


会津八一 292

2014-03-29 23:13:39 | Weblog
唐招提寺にて(第1首)  解説

 せきばく と ひ は せうだい の こんだう の
           のき の くま より くれ わたり ゆく         

           (寂寞と日は招提の金堂の軒の隈より暮れわたりゆく)

会津八一 291

2014-03-28 22:39:13 | Weblog
会津八一 鹿鳴集・南京続唱(十四首)

 昭和3年10月十三首、昭和5年一首、計十四首。南京新唱(九十九首)、南京余唱(四十二首)に対する続唱である。
 故植田重雄早大教授は南京続唱についてこう記している。
 「昭和三年秋十月に、美術史研究のために奈良の諸寺を訪れ、十三首ほど生まれた。今までとはちがい学問考証に没頭し、歌は余滴のように詠まれている。・・・・以前の抒情的、パセティックな作品とちがい、一首一首が歌域(かいき)をひろめ、言葉が緊密な構造力をもっている。


会津八一 290

2014-03-28 00:33:35 | Weblog
某生の訃(ふ)をききて   解説
     
 くれ かねて いざよふ はる の むさしの の
           いづれ の そら に きみ を もとめむ  

         (暮れかねていざよふ春の武蔵野のいづれの空に君をもとめむ)  


会津八一 289

2014-03-26 23:16:41 | Weblog
折りにふれてよめる(第3首)  解説
     
 ふじ の ね の そこ つ いはね に もゆる ひ の
             あかき こころ は しる ひと も なし 

         (富士の嶺の底つ岩根に燃ゆる火の赤き心は知る人も無し)

会津八一 288

2014-03-25 20:21:20 | Weblog
折りにふれてよめる(第2首) 解説
     
 さき ををる もも の したみち ひたすらに
          くだち も ゆく か よる の をすぐに 

      (咲きををる桃の下道ひたすらにくだちも行くか夜のをすぐに)

会津八一 282

2014-03-17 20:05:04 | Weblog
小園(第1首)    解説
     
 たち わたす かすみ の なか ゆ とり ひとつ
           こまつ の うれ に なき しきる みゆ 

         (たちわたす霞の中ゆ鳥一つ小松のうれに鳴きしきる見ゆ)  


会津八一 281

2014-03-16 20:47:53 | Weblog
会津八一 鹿鳴集・小園(九首) 大正十三年前後より昭和九年に至る
  (小園 さきに「村荘雑事」に詠みたると同じ庭園なり。自註鹿鳴集より)   

 親戚筋にあたる市島春城(しゅんじょう)の別荘「閑松庵」を無償で借りた八一はここを秋艸堂と名づけ、14年間生活した。下の不動谷を加えると3千坪もあった下落合秋艸堂は学問、芸術が成熟するのにとても役立った。

注 市島春城(1860~1944)
 政治家・文筆家。新潟県北蒲原郡生まれ。本名謙吉。ジャナーリスト、衆議院議員、早稲田大学図書館初代館長として活躍した。八一の親戚にあたり、住居の借用など、学業から生活まで手助けした。


会津八一 280

2014-03-15 23:28:06 | Weblog
京都東山のあたりをおもひて   解説

 はる と いへど まだしき れんげわうゐん の 
           ひとき の やなぎ もえ いで に けむ 
 
         (春と言えどまだしき蓮華王院の一木の柳萌え出でにけむ)
    
              会津八一 鹿鳴集・旅愁(十九首)  終り