会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

四日市市とフェロシルト 

2005-12-30 01:37:43 | Weblog
 四日市公害を起こしたあの石原産業がリサイクル製品と偽って認定を受け、投棄したフェロシルト。法が未整備だった過去とは違い、今回は意図的にしかも姑息な方法を使って行った。四日市市民として、とても情けないし憤慨している。
 ところがあろうことか、四日市市はこの事件を今年の市の10大ニュースから外した。しかも驚くことに30位以内にも入れていない。なんという姑息な責任隠し、行政がそんな姿勢だから、金儲け主義は蔓延り、人間の健康、命、尊厳などがないがしろにされる。
 悪いことは悪いのである。市内で実行された悪を市民の代表である行政がないがしろにしていては、どんなに立派なお題目を唱えても誰も信用しない。猛省を促したい。
 石原産業はフェロシルトを全て処理した上で、会社を解散すべきである。それなのに何と甘い市の対応、情けなくて涙が出る。

 

辺見庸9 いま、「永遠の不服従」とは何か G

2005-12-27 01:02:06 | Weblog
 根源の恥辱と心ばえ

 山谷での活動の中で、まだまだ自らが観念的であることに気付いた彼は、いろいろな能書き(理屈)を言うことなく淡々と山谷の救援活動をする人に、理論ではない「心ばえ」を感じ、その中に人が本当に人でありうるかすかな導きの糸を想定する。心ばえとは理屈ではない心持とか気だてとか言う意味であろう。
 亡者達「無宿者、羅刹(らせつ)の類、淫虐(いんぎゃく)の主たち」を描いたゴヤの銅版画を紹介して、現代の亡者達は「勝ち組」といわれる人たちであると言う。理由は資本の論理に徹底して従う彼らに最も障害になるのは自らを含む人間及び人間性だからである。彼らこそ亡者であり、現代は非人間的な生き物であることを強要する社会であり、その非人間性を感じて身もだえするのさえ冷眼視する傾向にある。これらを彼は「根源の恥辱」と指摘する。
 だから、眼球はこの絶望的な世界(外界)を拒否し、時折自らの内奥に潜り込もうとする。(反応を全く外に表せない脳血管障害者たちの花見風景を描写しながら、彼は表面に付着した目は義眼で、本当の眼は自らの内奥を見ていたと言う)
 内奥には何があるのか?そこにあるのは、失われた「曲がりなりにも人でありえた時代」の記録である。そして、恥辱のあり処を照らし出す心ばえの、かすかな光を探し続けるのだと言う。

辺見庸近況

2005-12-23 01:36:38 | Weblog
 辺見庸が結腸癌で入院した。相次いで友人達が知らせてくれた。日刊ベリタ参照。
 辺見庸の解説と団塊の叫びを書きたいと思っているが、なかなか書けないので困っている。日刊ベリタによると「がんになったからと言って、今まで書き続け、言い続けてきたことを変えるつもりはない」と語りながらも、そのショックは大きそうだ。有能な人には試練が多いのかと悲しくなる。右傾化し、人間性が無視されていく現代日本には無くてはならない人なのに!

周平さん

2005-12-09 00:49:59 | Weblog
 周平さんは団塊の世代より一回りも上で、戦争体験のある方だ。その原体験を元に現状を憂いておられる。四日市のいろいろ商業関係の長や役員を兼任して活躍してみえます。
 今日お会いしたので、氏がお書きになっているHP・パズルランドの木曜のコメントをこのブログに転載する許可を頂いた。先の戦争を体験された先輩の貴重な話を今後ここで紹介したい。以下は12月8日のコメントです。

正しく世紀末   周平

 ついこの前まで、第一線で働く人たちの中でフトドキな人がいて、赤ちゃんのミルクが危なかったり、原子炉のナントカリュウムが拡散したり、電車がホームを通り越したり、曲がり角でビルに突っ込んだりで、つい昨今は子どもが意味なく殺されてやりきれない世の中になったと思っていたら、今度は地震が来たらすぐ倒れるビルやマンションが無数にあることがわかった。解らないより解ったほうがいいに決まっているが、アスベストなんか知らぬが仏で四十年も住んでいた私の例もある。

 第一線で働く人々の無責任は、上司の指導不足や不注意にあるのだが、不法建築は国まで問われるのだから世界の先進国日本が呆れる。

 官から民へと改革だ変わらなきゃと叫んでいる国のお偉い方々よ、今一度何を成さねばならぬのか、何が一番大切なのか視点観点を変えてくださいな。
劇場ゴッコばかり為さらないでネ。
 
 嘆きの師走。

相国寺派管長とみのもんたの平和

2005-12-06 23:13:36 | Weblog
 若い頃、京都の今出川烏丸と下鴨を往復した。同志社大、相国寺を抜けて鞍馬口通りへでて、出雲路橋を渡るコースだ。静かな境内と思ったが、神社仏閣に興味が無かったのでそこは通路に過ぎなかった。今思えばもったいない話だ。大学も寺も文化の宝庫なのに!その管長・有馬頓底さんが言う。
「(沖縄の女子高生から質問)世界中でどの国が一番、平和ですか、と。私は答えた。日本だ、と。憲法9条があるからですよ。戦はしない、戦争は放棄した。それを変えようとする動きがあるけれど、みなさん、しっかり、守ってくれ、わが国で唯一、地上戦があった沖縄、ご先祖が苦労なさったんだ。拍手でした。仏教は殺生を禁じています。虫けらだって殺しちゃいかんのですから。人間同士が殺しあっていいはずない」
 自衛隊のイラク派遣を続行し、さらに防衛庁を省に昇格させようとしている。あろうことか仏教の政治組織である公明党が容認している。お釈迦様がお嘆きになっておられることだろう。それが阻止できない現状を情けなく思う。民主主義では数が力なのだ。
 紅白の司会をするみのもんたも言う。
「ぼく、はっきり言いますよ。護憲派です。紛争の解決に軍事力を用いない、軍隊を持たない。すごい憲法だと思うね」
 こうはっきりと発言できるみのもんたも立派だ。
 現実の日本社会は恐ろしい方向に進んでいる。団塊の世代はもうじき、長い間の仕事を終えて、第2の人生を歩き始める。新しい仕事や趣味の世界へと生きる方向を変えていかねばならないが、もっとも望まれることは宮仕えなどの束縛から解き放たれた新しい立場で、社会のために活躍することだろう。

建築問題を憂う 活火山

2005-12-05 00:36:32 | Weblog
 建築をめぐって、今年はおかしいことがありすぎる。アスベスト問題は長い間伏せられてきた公害のようなものではあるまいか。そして、今問題になっている建築強度偽造は許しがたい行為だ。震度5程度で倒壊する恐れのある建物が、一業者のみならず、高度な資格を持つ建築士を含めて組織的に作られていたようだ。建築業界のモラルが問われるような手抜き工事の横行。問い詰められると「コストを下げて何が悪い、経済設計がいけないのか?」と開き直る業者たち。
 国土交通省も、当初は民間の検査が問題だといっていたが、ここにきて、よく調べてとかいいはじめた。コイズミ流なら、民間のことは民間でとなろうが、この問題はそうもいかない。建物は外壁が塗られると中がよくわからない。問題があるのではないかと疑って検査も徹底してもらわなければいけない。
 信頼、信用などいろいろなことが、根こそぎ音を立てて崩れていっているような気がする。阪神大震災だって、そういう建物も多く倒壊したのではないかと疑わざるを得ない。経済至上主義というか、市場経済の問題というのだろうか、すべてのことが、根っ子のところが、どうもおかしいといわざるを得ない。
 多くの消費者は、住まいという人生最大の買い物を、わかっているデータだけで素人なりになんとか判断し、ローンなどを組んで購入している。今回の被害者たちに国の対策とフォローが早急に望まれる。今後ホテルなどは大丈夫だろうか?と不安を持って泊まることになるのだろうか。どうも困ったことが多すぎる時代になった。