会津八一に関するブログ 331
観仏三昧(会津八一)第18首 2013・2・28(木)
万福寺仏殿の用材は故国より筏(いかだ)に編みて曳き来りしとて柱に貝殻の着きし跡あり 開山の鴻図(こうと)を憶(おも)はしむ 解説
ひむがし の うみ に うかびて いくひ に か
この しきしま に よ は しらみ けむ
(ひむがしの海に浮かびていく日にかこの敷島に夜は白みけむ)
「開山 隠元を開山とす。中国福州の人。承応三年(1654)日本に着したる時、すでに六十三歳なりしといふ。その年齢恰(あたか)も天平時代に来朝したる鑑真のそれと同じ。当時の日本人には、この年齢にて海外に航してかくの如き新事業に着手せんとするものは、たえて無かりしならむ。」(自註鹿鳴集)
観仏三昧(会津八一)第18首 2013・2・28(木)
万福寺仏殿の用材は故国より筏(いかだ)に編みて曳き来りしとて柱に貝殻の着きし跡あり 開山の鴻図(こうと)を憶(おも)はしむ 解説
ひむがし の うみ に うかびて いくひ に か
この しきしま に よ は しらみ けむ
(ひむがしの海に浮かびていく日にかこの敷島に夜は白みけむ)
「開山 隠元を開山とす。中国福州の人。承応三年(1654)日本に着したる時、すでに六十三歳なりしといふ。その年齢恰(あたか)も天平時代に来朝したる鑑真のそれと同じ。当時の日本人には、この年齢にて海外に航してかくの如き新事業に着手せんとするものは、たえて無かりしならむ。」(自註鹿鳴集)