会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

エベレストと女性登山家    素空

2012-06-30 22:33:55 | Weblog
 登山家・竹内洋岳さんが日本人初の世界8000メートル峰全14座制覇に成功したのは5月26日だが、その6日前の20日には73歳の女性登山家・渡辺玉枝さんがエベレスト登頂の女性最年長記録を作った。この快挙にも拍手を送りたい。
 女性登山家としては世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功した田部井淳子さんが有名である。渡辺さんより1歳年下の田部井さんがエベレスト登頂に成功したのは36歳だから、73歳での登頂は凄いの一言だ。
 スキー場のリフト券が70歳以上は無料の所があるので、その年までスキーを続けたい。まだまだ先だが渡辺玉枝さんが手本だ。しかし、それまで足腰が持つかどうか。


「総刑期」は50年   素空

2012-06-28 00:21:20 | Weblog
 朝日新聞5月25日付けの天声人語に『人は一生の間にどれくらい罪を犯すものだろう、と故・井上ひさしさんがユーモラスな随筆を書いていた。幼いころ、隣家の猫のひげをちょん切ったそうだ。これは立派な犯罪になるらしい。他にもスカートめくりやキセル乗車など、あれやこれやで「総刑期」は50年を超す・・・』とあった。 
 とても面白い発想だ。自らを考えると少なくとも彼よりは今の日本の法律で判断すれば、何倍もの「総刑期」になるだろうし、法には触れないが罪になりそうなものも沢山ある。
 法は相対的なもので絶対ではないので「総刑期」をそれ程気にしなくてもよいが、「総刑期」など全く無いと思っている人には閉口する。他人の些細な罪でも重い罪でも容赦なく批判し、責め立てるような人を見ていると気分が滅入る。宗教に頼ろうとは思わないが、こんな場合はいろいろな宗教家の寛容と愛の精神に学ぶべきだろう。
 またいつも思うが、法にも悪法は沢山ある。為政者が都合の良いように決めたものはその最たるものである。「法にふれるから」とか「みんながそう判断するから」などと言うのが一番怖い。もっと事の良し悪しを自分の思考で判断する習慣を付けた方が良い思う。
 最近は「寛容の精神」が培養されてきた。年かな~~?

77歳のスノーボード     素空

2012-06-25 23:39:53 | Weblog
 77歳の女性がゲレンデを見事に滑り下り、健康をアピールする。60歳を過ぎてからスノーボードを始めたと語り、今あるのは某健康食品のお陰だと言うコマーシャルである。
 これにはたまげた。40代の頃、転倒時の衝撃の強さなどを考えて挑戦しなかったことを思い出しながら、これなら今からでも遅くない、やってみようと思ったりした。ところがそう簡単なことではなかった。ネットサーフィンしていたら、こんな記事に出くわした。
 「・・・の中にはすごい人がいるんです!!スノーボードをしている・・・の中で最高齢でしょう!?アルパインスノーボードをこよなく愛す安田きよ子さん(77才)です。ニュージーランドやカナダのキャンプに参加したり、シーズン中はお仕事の合間にガッツリ 白馬岩岳スノーフィールドに通い、シーズンオフはテニス・トレーニングジムと英会話に通い常に前進している・・・」
 並みの人では無かった。強靭な体力と人一倍の努力をしている人なのだ。やっぱり無理なことは止めようと思ったし、コマーシャルは眉に唾をつけて見るものだと気がついた。

大飯原発再起動   素空

2012-06-24 01:45:32 | Weblog
 野田総理は「国民生活を守るために再起動」と言う。福島原発事故の処理が全く進まない中で原発再稼働とはびっくりである。人間とは愚かなものなのかどうか?昭和10年7月、中央公論に書かれた災害雑考・寺田寅彦の一部を転載する。
 「・・・地震の研究に関係している人間の目から見ると、日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもので、しかも、そのつり橋の鋼索があすにも断たれるかもしれないというかなりな可能性を前に控えているような気がしないわけには行かない。来年にもあるいはあすにも、宝永四年または安政元年のような大規模な広区域地震が突発すれば、箱根のつり橋の墜落とは少しばかり桁数のちがった損害を国民国家全体が背負わされなければならないわけである。・・・」
 「・・・大津波が来るとひと息に洗い去られて生命財産ともに泥水の底に埋められるにきまっている場所でも繁華な市街が発達して何十万人の集団が利権の争闘に夢中になる。いつ来るかもわからない津波の心配よりもあすの米びつの心配のほうがより現実的であるからであろう。生きているうちに一度でも金をもうけて三日でも栄華の夢を見さえすれば津波にさらわれても遺憾はないという、そういう人生観をいだいた人たちがそういう市街を造って集落するのかもしれない。それを止めだてするというのがいいかどうか、いいとしてもそれが実行可能かどうか、それは、なかなか容易ならぬむつかしい問題である。事によると、このような人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは天体の運行を勝手にしようとするよりもいっそう難儀なことであるかもしれないのである。・・・」

何必館(かひつかん)   素空

2012-06-22 00:30:55 | Weblog
 この美術館は京都の祇園・四条通りに面している。HNKの日曜美術館で開館30周年記念・村上華岳展を見た。何必館・京都現代美術館も村上華岳も初めて知った。
 何必館ホームページで見てもらえば分かるが、村上華岳の仏画は素晴らしい。友人たちを誘って見に行こうと思ったが開催は6月10日までで日程の調整がつかない。機会があれば、この作家の作品は必ず見ようと思う。
 ところで何必館の名の由来はこう書いてある。
 『人は定説にしばられる。学問でも、芸術でも人は定説にしばられ自由を失ってしまう。定説を「何ぞ必ずしも」と疑う自由の精神を持ちつづけたいという願いから「何必館」と名づけました』
 昔、四条通りで良く遊んだころにこの美術館は無かった。この展覧会は開館30年と書いてあるから当たり前、素空の記憶は40年以上前だから。


物売りの声    素空

2012-06-17 21:11:22 | Weblog
 「ご家庭にある洗濯機など古くなったものは~~~」とスピーカーの音を流してトラックがやってきた。庭いじりをしていると珍しく運転手が声をかけてきた。低調に断ったが、肉声の勧誘にあったのは久しぶりである。
 最近では「竹屋ー、青竹ー」などの物売りの声はほとんどなくなり、僅かに豆腐屋、焼いも屋ぐらいである。
 寺田寅彦が大正時代にこう書いている『「昔は「トーフイ」と呼び歩いた、あの呼び声がいったいいつごろから聞かれなくなったかどうも思い出せない。すべての「ほろび行くもの」と同じように、いつなくなったともわからないようにいつのまにかなくなり忘れられ、そうして、なくなり忘れられたことを思い出す人さえも少なくなりなくなって行くのであろう。』
 そして以下のような物売りの声をあげている。「ナットナットー、ナット、七色唐辛子(なないろとうがらし)」 「豆やふきまめー」 「ナスービノーナエヤーア、キュウリノーナエヤ、トオーガン、トオーナス、トオーモローコシノーナエ」(苗売り) 「花のたより、恋のつじーうら」 「あんま上下(かみしも)二百文」 「ええ朝顔やあさがお」 「ええ鯉(こい)や鯉」等など。そして提案する。「今のうちにこれらの滅び行く物売りの声を音譜にとるなり蓄音機のレコードにとるなりなんらかの方法で記録し保存して・・・・・」
 この大正時代の売り声をほとんど聞いたことがないが、落語の枕で江戸時代のリアルな物売りの声の再現を聞くことはできる。それとて本当のものではない。人の声がじかに伝わってくる商いは良いものだ。今では商いの仕方が変わってきたから仕方がないが寂しい。今年の冬、実際に聞いた「いしや~~きいも!」の美声は素晴らしかった。 

道風記念館と会津八一5(完) 八一と道風    素空

2012-06-16 00:31:29 | Weblog
 友人Nと書道が「蘭亭序」(王義之)に大きく影響されていることなどを話し、書の良し悪しについて語った。オーソドックスな書を信奉する彼は「(八一が言うような)オリジナルな書は良いか悪いかの判断が難しい」と言う。たしかに芸能人などの独特の字などの判定は難しい。
 會津八一は小野道風の書を評価した。厳しく排したのは道風などの字を無批判的にただ真似ること。八一は言う「字の趣味といふものは自分が相当の域に達した時に自ら湧いて流れでるところのものである。謂はばその人の体臭の如きものである・・・」「(だから)王義之の趣味、顔眞卿の趣味、小野道風の趣味といっていくらその人の字を真似てみたところで、生れつき違ふものが何になるか、そんなことは声色の稽古と同じことである」「自分で気がつかないうちに自ら湧き出て来るのが、その人の持味であると私は考へた・・・」そして独自の書のための基礎訓練を経て高いレベルでのオリジナルな八一の書を確立した。
 書の良し悪しは難しいが、それを芸術として見る限りは「美」を中心に据えて鑑賞するのみだと思う。鑑賞眼の良し悪しも問われるが、俗っぽく言えば一軸何十万円もする八一の書は評価されているのだろう。      

道風記念館と会津八一4 八一の奈良歌    素空

2012-06-14 23:00:03 | Weblog
 神林恒道(會津八一記念館館長)も言っているが、八一の奈良へのかかわりは失恋を背景したセンチメンタル・ジャーニーから始まった。それが「猿沢の池にて」の歌である。
     わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり 
             いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら 
 しかし、八一の古代への憧憬と芸術、学問への探求心が奈良歌を中心にした歌集・鹿鳴集を生み、また高いレベルの奈良に関する学術論文として結実していく。
 八一が初めて奈良を訪れた明治41年は、あの廃仏毀釈による仏教施設の破壊により荒涼としていた。処女歌集・南京新唱はそうした奈良の姿への「ため息」を詠んだ奈良歌であると神林恒道は強調し、「酷愛する奈良への捧げもの」であると言う。
 余談だが、奈良を35回訪れた八一の骨が唐招提寺にもあるということを初めて知った。墓は新潟市・瑞光寺にあり、東京(練馬)・法融寺に分骨されている。


道風記念館と会津八一3 古典への思い  素空

2012-06-12 21:04:28 | Weblog
 神林恒道(會津八一記念館館長)は會津八一の古代奈良への酷愛に象徴される古典主義について解説してこう言う。「19世紀以降の文明が分業主義による総体性の喪失により奇形化し醜くなったことに失望し、古代ギリシャや日本の古代の全人間的な表現を評価したことによる」
 28歳の時、八一は親友の伊達俊光への手紙でこう書いている。
「Humanity as a wholeを美とも真とも神ともして、個人に於ける人間性の完全完備を希求するのが、僕が半生の主張である。僕が希臘生活をよろこぶのも、古事記の神代の巻を愛するのも、この故である。僕が19世紀の文明に対してあきたらぬところあるは、僕の見解が氷の如く冷ややかなるが為めではない。分業主義の余弊として、deformityにみちみちたる此の世のあはれなる光景に対する悲憤の熱涙が、往々皮肉家の冷笑と混同されるのである」
 実際、早稲田大学ではギリシャ美術を講義し、その後奈良美術史や東洋美術史を担当する。教え子には分業主義を戒め、「個人に於ける人間性の完全完備」を説いた。
 古代奈良の酷愛や奈良の歌はこうした八一の芸術観を背景にして生まれている。
 注 Humanity as a whole   全体としての人間性
    deformity 形が損なわれていること、奇形