会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1612

2017-11-30 19:13:13 | Weblog
会津八一に関するブログ 528

吉野塔尾御陵にて(会津八一) 2015・2・5(木) 解説
  
 すめろぎ の こころ かなし も ここ にして         
       みはるかす べき のべ も あら なく に

(すめろぎの心かなしもここにして見晴るかすべき野辺もあらなくに)

 活躍した後醍醐天皇の御陵の前でその悲哀を詠む。

会津八一 1611

2017-11-29 22:13:02 | Weblog
会津八一に関するブログ 527

斑鳩物語(高浜虚子) 2015・2・1(日)

 高浜虚子は明治40年(1907)「ホトトギス」に「斑鳩物語」を発表し、そこで機織りの音を印象的に表現する。翌年、会津八一は初めて奈良を訪れ、斑鳩で歌を詠む。

 法隆寺村にやどりて(八一)      解説

  いかるが の さと の をとめ は よもすがら 
           きぬはた おれり あき ちかみ かも  

  (いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)

 この歌について、堀辰雄は「大和路」の中でこう書いている。

 會津八一はこの「筬(おさ)を打つ音」を詠み、鹿鳴集自註で解説する。
 “夢殿に近き「かせや」といへる宿屋にやどりて、夜中村内を散歩して聞きしものなり。高浜虚子君が『斑鳩物語』(イカルガモノガタリ)の中で、同じ機の音を点出されしは、この前年なりしが如し”

 
 「大和路」は何度も読んだが、「斑鳩物語」ははじめて読んだ。友人・鹿鳴人がブログで紹介し、青空文庫のアドレスを掲載してくれたおかげだ。以前から八一の歌との関連で、斑鳩物語を読みたかったのでとても感謝している。面白いし、短文ですぐに読めるのでお薦めする。

会津八一 1610

2017-11-28 16:19:49 | Weblog
会津八一に関するブログ 526

吉野北六田の茶店にて(会津八一) 2015・1・30(金) 解説
  
 みよしの の むだ の かはべ の あゆすし の     
           しほ くちひびく はる の さむき に
 
   (み吉野の六田の川辺の鮎鮨の塩口ひびく春の寒きに)

 鹿鳴集の中の南京余唱(なんきょうよしょう)42首は奈良を詠んだ大正14年の作。前半27首は同年3月に、後半15首は同年11月に詠まれた。「新唱」に対する余唱である。この歌は南京余唱第1首。

会津八一 1609

2017-11-27 23:05:20 | Weblog
会津八一に関するブログ 525

望郷・第7首(会津八一) 2015・1・26(月)  解説

 みゆき ふる こし の あらの の あらしば の      
           しばしば きみ を おもは ざらめ や

  (み雪降る越の荒野の荒柴のしばしば君を思はざらめや)

 故郷の人々を思って詠う歌だが、恋人や友人への思いが背景にある。“人を思う”が直接表現されるのは、八一には珍しい。

会津八一 1608

2017-11-26 19:08:08 | Weblog
会津八一に関するブログ 524

望郷・第6首(会津八一) 2015・1・22(木) 解説

 すべ も なく みゆき ふり つむ よ の ま にも     
            ふるさとびと の おゆ らく をし も

 (すべもなくみ雪降り積む夜の間にも故郷人の老ゆらく惜しも)

 「幼児より1年の大半を、常に灰色の曇天をのみ眺めつつ育ちたれば・・・」と新潟生まれの八一は言っている。

会津八一 1607

2017-11-25 19:03:44 | Weblog
会津八一に関するブログ 523

望郷・第5首(会津八一) 2015・1・17(土) 解説

 かすみ たつ はま の まさご を ふみ さくみ      
        か ゆき かく ゆき おもひ ぞ わが する

 (霞立つ浜の真砂を踏みさくみか行きかく行き思ひぞ我がする)

 いろいろな事を“か ゆき かく ゆき(行きつ戻りつ)”考える。意外に思考が進むものだ。

会津八一 1606

2017-11-24 19:30:40 | Weblog
会津八一に関するブログ 522

望郷・第4首(会津八一) 2015・1・13(火) 解説

 よ を こめて あか くみ はなち おほかは の     
         この てる つき に ふなで す らし も

 (夜をこめて閼伽汲み放ち大川のこの照る月に船出すらしも)

 額田王の歌を思い出す。
  熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今漕ぎ出でな (万葉集)

会津八一 1605

2017-11-23 19:05:15 | Weblog
会津八一に関するブログ 521

望郷・第3首(会津八一) 2015・1・9(金) 解説

 ふるさと の ふるえ の やなぎ はがくれ に      
         ゆうべ の ふね の もの かしぐ ころ

     (故郷の古江の柳葉がくれに夕べの舟の物炊ぐ頃)

 明治時代、水上で暮らす人が夕餉の支度をする情景を詠う。調べの良さとともに目の前の姿が懐かしさを持って浮かんでくる。 

会津八一 1604

2017-11-22 21:48:08 | Weblog
会津八一に関するブログ 520

望郷・第2首(会津八一) 2015・1・5(月) 解説

 あさり す と こぎ たみ ゆけば おほかは の      
         しま の やなぎ に うぐひす なく も
  
   (漁りすと漕ぎたみゆけば大川の洲の柳に鶯鳴くも)

 調和して絵になるものを「梅に鶯、柳に燕」と言う。でも川、掘割、柳が印象的な故郷・新潟の思い出は柳に鶯なのだ。

会津八一 1603

2017-11-20 19:16:29 | Weblog
会津八一に関するブログ 519

今年を振り返って・会津八一 2014・12・29(月)
 歌と奈良が気にいって、気楽に紹介を始めたのは12年前だった。まさか全てを網羅するとは思っていなかったが、終わったのは事実だから自分でもびっくりする。ただただ、根気がよかっただけで、未だにミスが目立つので修正を行っているが、完成はいつになるか分からない。
 八一の歌と言えば奈良だが、山光集にある戦争末期の歌に良い悪いは別にして、大変な時代を追体験出来たことは大きなことだった。
 素空の恩師・植田重雄が出征のため、八一と共にした最後の奈良見学旅行の記述は常に冷静だった植田先生が感情を表に出していて読む者の心を打つ。社会人になって二度東京でお会いしたが、2006年5月14日に亡くなられた。
                最後の奈良見学旅行へ

   (明日第3火曜日は独り言を休みます)

会津八一 1602

2017-11-19 19:02:40 | Weblog
会津八一に関するブログ 518

望郷・第1首(会津八一) 2014・12・27(土) 解説

 はる されば もゆる かはべ の をやなぎ の     
          おぼつかなく も みづ まさり ゆく

 (春されば萌ゆる川辺のを柳のおぼつかなくも水増さりゆく)

 故郷を離れて暮らす八一が新潟を思って詠った7首の最初。先ずは信濃川を詠う。

会津八一 1601

2017-11-18 15:09:30 | Weblog
会津八一に関するブログ 517

会津八一 鹿鳴集・望郷(七首) 2014・12・23(火)
        いつの頃よりか大正十四年七月に至る

自註鹿鳴集より   
 作者の郷里は新潟の市内なり。されど一生の大半を東京にて暮らし、罹災して困窮に陥りしために、やむなく老後の身を故郷に寄せ来りしなり。かへつて新潟の歌を詠むこと少きは、住むこと久しからざりしためなり。  
 
 会津八一は1881年(明治14)8月1日に新潟市古町通五番町に生まれ、1902年(明治35)21歳の時、東京専門学校(現早稲田大学)高等予科に入学する。1925年(大正14)44歳に早稲田大学附属高等学院教授になるまでに詠んだ若き日の望郷の歌を含む7首である。
 作品を収録した歌集「鹿鳴集」の刊行は1940年(昭和15)59歳の時、その鹿鳴集を自ら解説した「自註鹿鳴集」の刊行は1953年(昭和28)72歳の時である。

会津八一 1600

2017-11-17 21:57:16 | Weblog
会津八一に関するブログ 516

淡島寒月老人に(会津八一) 2014・12・19(金) 解説

 わが やど の ペルウ の つぼ も くだけたり    
           な が パンテオン つつが あらず や

  (わが宿のペルウの壺も砕けたり汝がパンテオン恙あらずや)

 20歳ほど年上の敬愛する淡島寒月にも諧謔の語をもって歌を送る。

会津八一 1599

2017-11-16 19:24:36 | Weblog
会津八一に関するブログ 515

会津八一の歌と解説(完) 2014・12・18(木)

 たびびと の め に いたき まで みどり なる    解説
          ついぢ の ひま の なばたけ の いろ

 崩れた築地の向こうに萌え立つ緑の菜畑が見えるという。何でもない様な風景だが、歴史のある奈良であるからこそ感慨深い。築地の崩れが時を感じさせるのだ。この大好きな歌を解説した2002年5月18日が始まりで、それから886首完成に12年半かかった。詩心も乏しいのに、思いつきでいい加減にはじめたがここまで来れたのは根気だけ。能力不足でも少しずつ実行すればなんとかなるということかな?

 わたつみ の そこ ゆく うを の ひれ に さへ    解説
          ひびけ この かね のり の みため に

 四国の五剣山八栗寺の鐘の鐘銘として詠んだ歌、海の底を行く魚にまでこの鐘の音が仏の教えとして届けと詠う。この歌が886首目(2014年12月9日作成)最後の歌である。
 終わって少し虚脱感はあるが、ほっとしている。作成に協力していただいた友人、知り合い、あるいは投稿の方に感謝している。そして、最後のお願いとして、誤りその他を見つけられたら、是非指摘して欲しいと思っている。
 会津八一死後58年、命日は12月21日。

会津八一 1598

2017-11-15 18:55:08 | Weblog
会津八一に関するブログ 514

山口剛に(会津八一) 2014・12・14(日) 解説

 うつくしき ほのほ に ふみ は もえ はてて     
            ひと むくつけく のこり けらし も

 (美しき炎に書は燃え果てて人むくつけく残りけらしも)

 (山口剛が)罹災して悉く蔵書を喪(うしな)ひ、悲嘆の状見るに堪へず。是を以て作者ことさらに諧謔(かいぎやく)の語を以て、一首を成して贈る。意はむしろ倶(とも)に啼(な)かんとするに近し。(自註鹿鳴集)