「死に魅入られて」
“戦争の時代には大いに反逆するにしくはない。その行動がときに穏当を欠くのもやむをえないだろう。必要ならば、物理的にも国家に対抗すべきである。だがしかし、もしもそうした勇気がなければ、次善の策として、日常的な不服従のプロセスから離脱することだ”
強固な意志でこう不服従を叫んでいた倒れる前の力強い辺見庸は、ある意味で傲慢に見えた。しかし、倒れてから、落花する染井吉野を前に「ぼくの眼は、傲慢でも酷薄でも賢しげでもなく、ただ弱弱しく朦朧として」死を見ていたと述べ、そればかりではなく死も彼を見返していたと言う。
一線で活躍するジャーナリストが「見る」側からしか物事を見ていなかった不遜に気付く。〈見る者は見られない〉〈見られる者は見てはならない〉と言う関係の傲慢さを患者になって初めて医者の態度から悟る。患者が医者を見る・診てはいけないという不条理。
僕ら団塊の世代は激動の1960~70年代に、もっと広義に言えば元気な青壮年期には「見る」側からしか見ていなかった。その後、多くの人が志を曲げ、大きく体制の中に編みこまれていった。生きていく上で仕方が無かったともいえるが、あの巨大なうねりの一翼を支えた世代の脆さを同世代として容認はできなかった。しかし、挫折、転向、転進は「見られる」側の「眼」を培ったかもしれない。
見られる側の眼が備わったとき、世の中はどのように見えるのだろう?見る側だけの眼が何を見ているのか厳しく検証しなければいけない。そこには挫折や蹉跌や死を味わってきた者の優しさがあるはずだ。
“戦争の時代には大いに反逆するにしくはない。その行動がときに穏当を欠くのもやむをえないだろう。必要ならば、物理的にも国家に対抗すべきである。だがしかし、もしもそうした勇気がなければ、次善の策として、日常的な不服従のプロセスから離脱することだ”
強固な意志でこう不服従を叫んでいた倒れる前の力強い辺見庸は、ある意味で傲慢に見えた。しかし、倒れてから、落花する染井吉野を前に「ぼくの眼は、傲慢でも酷薄でも賢しげでもなく、ただ弱弱しく朦朧として」死を見ていたと述べ、そればかりではなく死も彼を見返していたと言う。
一線で活躍するジャーナリストが「見る」側からしか物事を見ていなかった不遜に気付く。〈見る者は見られない〉〈見られる者は見てはならない〉と言う関係の傲慢さを患者になって初めて医者の態度から悟る。患者が医者を見る・診てはいけないという不条理。
僕ら団塊の世代は激動の1960~70年代に、もっと広義に言えば元気な青壮年期には「見る」側からしか見ていなかった。その後、多くの人が志を曲げ、大きく体制の中に編みこまれていった。生きていく上で仕方が無かったともいえるが、あの巨大なうねりの一翼を支えた世代の脆さを同世代として容認はできなかった。しかし、挫折、転向、転進は「見られる」側の「眼」を培ったかもしれない。
見られる側の眼が備わったとき、世の中はどのように見えるのだろう?見る側だけの眼が何を見ているのか厳しく検証しなければいけない。そこには挫折や蹉跌や死を味わってきた者の優しさがあるはずだ。