会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1641

2017-12-30 20:03:47 | Weblog
会津八一に関するブログ 557

南京余唱・第25首(会津八一) 2015・5・30(土) 解説

 たはむれに東京の友に送る
                  
  あをによし なら の かしうま たかければ
        まだ のらず けり うま は よけれど 

  (あをによし奈良の貸馬高ければまだ乗らずけり馬はよけれど)

 中国大陸へ行くために乗馬の練習をしていたが、その目的は果たせなかった。

   明日、31日は休ませていただきます

 よいお年を!

会津八一 1640

2017-12-29 16:32:59 | Weblog
会津八一に関するブログ 556

南京余唱・第24首(会津八一) 2015・5・25(月) 解説

 またある日(第2首)
                         
  いにしへ に わが こふ らく を かうべ に こ     
           おほさか に こ と しづこころ なき

  (古に我が恋ふらくを神戸に来大阪に来としづこころなき)

 訪ねておいでとたびたび誘う友、それでは心が落ち着かない煩わしいと詠うが、心は逆で嬉しいのだ。  

会津八一 1639

2017-12-28 20:07:49 | Weblog
会津八一に関するブログ 555

南京余唱・第23首(会津八一) 2015・5・20(水) 解説

 またある日(第1首)                        

  あまごもる なら の やどり に おそひ きて
           さけ くみ かはす ふるき とも かな

  (雨ごもる奈良の宿りに襲ひ来て酒酌み交はす古き友かな)

 この友は伊達俊光。八一は成就しなかった女子美術学校生・渡辺文子への思いをたびたび手紙で伊達に送っている。

会津八一 1639

2017-12-27 18:46:09 | Weblog
会津八一に関するブログ 554

春日野のやどりにて(会津八一) 2015・5・15(金) 解説

かすがの の よ を さむみ かも さをしか の     
         まち の ちまた を なき わたり ゆく

  (春日野の夜を寒みかもさ牡鹿の街の巷を鳴き渡りゆく)

 少しかん高い牡鹿の鳴き声をとらえて奈良の夜を詠う。彼の代表歌集は鹿鳴集である。

会津八一 1637

2017-12-26 19:00:41 | Weblog
会津八一に関するブログ 553

春日野にて(会津八一) 2015・5・11(月) 解説
  
 かすがの の しか ふす くさ の かたより に     
         わが こふ らく は とほ つ よ の ひと   

   (春日野の鹿伏す草のかたよりに我が恋ふらくは遠つ世の人)

 鹿が伏した後の草の「かたより」から、古代への憧憬(かたより)を詠う。 

会津八一 1636

2017-12-25 20:06:30 | Weblog
会津八一に関するブログ 552

奈良博物館即興・第4首(会津八一) 2015・5・6(水) 解説
   
 のち の よ の ひと の そへたる ころもで を     
             かかげて たたす ぢこくてんわう   

  (後の世の人の添へたる衣手をかかげて立たす持国天王)

 後世の拙い修理のため、袖が重そうであると詠む。仏像彫刻に携わっているとその心が良く分かる。

会津八一 1635

2017-12-24 23:43:01 | Weblog
会津八一に関するブログ 551

奈良博物館即興・第3首(会津八一) 2015・5・2(土) 解説
 
 ガラスど に ならぶ 四はう の みほとけ の       
         ひざ に たぐひて わが かげ は ゆく   

 (ガラス戸に並ぶ四方のみ仏の膝にたぐひて我が影はゆく)

 八一は奈良の仏像を風の動きやさしこむ光などと共に詠んできた。ここでは自らの影を詠んで、仏像を浮き上がらせる。

会津八一 1634

2017-12-23 19:03:42 | Weblog
会津八一に関するブログ 550

春の奈良6・頭塔(完) 2015・4・29(水)

 頭塔(ずとう)はあまり知られていない。奈良市高畑町にあるピラミッドのような土製の塔(土塔)で、一辺が30m、高さ10m、7段になっていて、石仏が配置されている。
 後世の研究で「仏塔」と結論付けられたが、玄昉の首塚であるという伝承から「頭塔」と呼ばれて来たらしい。ではこれはいったい何なのかと言うと難しいが、仏塔であるなら、お釈迦さんの遺骨(舎利)を安置した場所と言うことになる。各地の寺にある塔と同じようなものだと思われる。
 壁面にある仏像を双眼鏡でながめたりしてひと時を過ごした。ここもずっと訪れたいと思っていた所なので、見学の予約をしてくれた鹿鳴人にとても感謝している。
 最後に鹿鳴人の店「器まつもり」でお茶を頂いて休憩し、解散した。
 じっくりと奈良を味わったとても良い旅だったので、6回に分けてブログに書いた。(完)

 頭塔は鍵がかかっており事前の予約が必要。
    現地管理人・仲村表具店(0742-26-3171)料金300円。

会津八一 1633

2017-12-22 22:19:57 | Weblog
会津八一に関するブログ 549

春の奈良5・万葉植物園 2015・4・27(月)

 早大教授・大橋 一章(かつあき・1942年生れ)が今年出版した「會津八一」(中央公論新社)の中で“春日大社の万葉植物園にある八一の歌碑が彼の碑の中で一番素晴らしい”と書いてあったので、無性に行きたくなった。この歌碑を見るために兄に同行して貰ったのは随分前である。
 歌は彼の歌集のトップに出てくる「春日野にて(第1首)」である。 解説

  かすがの に おしてる つき の ほがらかに     
        あき の ゆふべ と なり に ける かも 

 (春日野におし照る月のほがらかに秋の夕べとなりにけるかも)

 この植物園は9000坪の敷地に万葉集にかかわるものを含む約300種類の植物があり、代表的な万葉歌の陶板と植物解説が並んでいる。あいにくの雨で足早になったが、歌も観賞しながらゆっくりと散策すると楽しい一日になる。また、訪れたいと強く思った。

会津八一 1632

2017-12-21 19:07:52 | Weblog
会津八一に関するブログ 548
   
奈良博物館即興・第2首(会津八一) 2015・4・26(日) 解説
  
 あせたる を ひと は よし とふ びんばくわ の     
           ほとけ の くち は もゆ べき ものを   

  (褪せたるを人は良しとふ頻婆果の仏の口は燃ゆべきものを)

 「古色蒼然としたものを喜び、“わび”とか“さび”とか言って評価する」ことが、芸術を離れて骨董趣味に陥ることがある。作られたばかりの仏像の口は赤だと言う。

会津八一 1631

2017-12-20 19:43:48 | Weblog
会津八一に関するブログ 547

春の奈良4・春日大社 2015・4・22(水)

 春日大社は20年に一度の社殿などの修理のため、4柱のご神体が仮殿に移されている。今年は第60次の式年造替(ぞうたい)である。それを記念して御本殿(国宝)が特別公開されている。特別公開は20年に一度と言う。本殿の前から、さらに140年ぶりに後(うしろ)からも参拝できると言う貴重な経験だった。
 通常、神社は本殿の前までは入れず、拝殿などから参拝する。子供の頃、「何があるのだろう?」と近くの神社の本殿に塀を乗り越えて入ったが、そこには小さな社殿があるだけだった。子供には立ち入り禁止の所に入ることに意味があったのだろう、そのことだけを鮮明に覚えている。
 春日大社の燈籠に囲まれた表参道をゆっくりと歩きながら、戦地に向かう若者の姿を詠んだ八一の歌を思っていた。

  かすがの の かみ の やしろ に たらちね と 
            たづさはり きて ひと の をろがむ 
  (春日野の神の社にたらちねとたづさはり来て人のおろがむ)  解説

会津八一1630

2017-12-18 21:14:52 | Weblog
会津八一に関するブログ 546

奈良博物館即興・第1首(会津八一) 2015・4・20(月) 解説
 
 たなごごろ うたた つめたき ガラスど の         
        くだらぼとけ に たち つくす かな 

(たなごごろうたた冷たきガラス戸の百済仏に立ちつくすかな)

 冷たいガラス戸の向こうには美しい百済観音が立つ。食い入るように見続ける熱い八一の心。

     (明日第3火曜日は休みます)

会津八一 1629

2017-12-17 17:57:30 | Weblog
会津八一に関するブログ 545

春の奈良3・東大寺本坊 2015・4・17(金)

 今回の目玉は東大寺本坊にある日本画家・小泉淳作の襖絵である。5年がかりで取り組み、85歳で完成させた大作(平成22年)である。
 NHKの日曜美術館 「千年の花を咲かせたい ~小泉淳作・東大寺ふすま絵に挑む~」(2011年1月23日放送)で知ってからずっと見たいと思っていた。公開は4月10日からわずか3日間、奈良行きが10日だったのはラッキーだ。この襖絵展については鹿鳴人のブログに紹介されている。小泉淳作の見事なしだれ桜を見て欲しい。襖絵には「東大寺本坊の桜」があるが、実際に本坊の庭のしだれ桜も見事に咲いていた。雨だったからか訪れる人が程良く、ゆっくりと鑑賞できた。
 その後、御本殿が公開されている春日大社に向かった。


会津八一 1628

2017-12-16 21:49:40 | Weblog
会津八一に関するブログ 544

豊浦にて (会津八一) 2015・4・16(木) 解説
 
 ちよろづ の かみ の いむ とふ おほてら を    
         おして たて けむ この むら の へ に

 (ちよろづの神の忌むとふ大寺をおして建てけむこの村の辺に)

 仏教伝来、それを広めようとする蘇我氏と阻止しようとした物部氏の歴史的な構想を想定して詠んだ。

会津八一 1627

2017-12-15 22:15:22 | Weblog
会津八一に関するブログ 543

春の奈良2・八一の歌碑 2015・4・15(水)

 東大寺本坊に入る前に鹿鳴人が誘ってくれたのは大仏殿前の八一の歌碑である。

  東大寺にて(第1首)    解説

   おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
            おほき ほとけ は あまたらしたり 


 大仏をこの宇宙に広く満ち広がっておられる(あまたらしたり)と詠むこの歌にふさわしい大きなものである。高さ276cm、幅75cmの御影石で作られた石碑は台石をあわせると3mを越える。
 予定に無かった歌碑見学に導く友人の心配りが嬉しい。彼を頼りにしたメルヘンの奈良見学は15年余になる。この歌碑を2000年9月23日に訪れている。