えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

家を守るなら

2020-06-29 01:20:00 | Weblog
子育て真っ最中の頃、コバちゃんに気を使って生きていた私でも、1年に1回くらいの割合で朝起きれない時があった。
子供にご飯食べさせて登校させなければならない朝だ。

コバちゃんに、子供たちをお願いします…と頼むこともせず布団から出なかった。
出られなかったのだ。

コバちゃんは普段は台所をしないが、そんな時は何かを作って子供たちに食べさせて登校させてくれたのだった。

私は昼過ぎにやっと起きた。
その時はコバちゃんは外出していた。私が起きて来やすいように。そんな気遣いをしてくれたのを覚えている。

私の分の朝食がテーブルにあったので、食べた。美味しかった。
午後になってコバちゃんが帰って来て、美味しい苺か何かを買って来たな。
それを2人で食べて、今朝のことをコバちゃんは何も言わなかったな。

またある日は、コバちゃんは私に「ピアノの先生だなんて人にものを教えてたって、庭の草の一本もむしったこともない」と言った。
私は、ほんとにそうだなと思った。しかし余計なものを取れば怒られるし、そう言われてもほんとに草など取らなかった。

今は家の周りの状態が気になる。
「北側は鬼門と言って大事な場所、そこを汚くしていたのでは病気になったり良くないことがおこるのよ」と夫に言って、木の枝落としを手伝わせた。
これは昔からコバちゃんの口癖だった。

今は私がやる番になった。
コバちゃんの口癖まで真似して言ってる。

実の母親とは早く死別したので、私自体はコバちゃんでできているのかもしれない。
友人に対する意地の悪い捉え方など、まさにコバちゃんそのもののようだ。

血も繋がってないのに、似た感覚があるようだ。
実母が素直に育ててくれたから、コバちゃんの言葉などがすんなり心に染み込んで残っているのだろう。

昨夜は息子を悪く言った夫に腹を立てた。
娘たちもそうだが、息子も私の作品なのだ。それにけちをつけるとはどういう了見だ、子育てなど手伝いもしなかったくせに!と、こう思う。

私が息子の肩を持って、自分の味方をしなかったために夫はキレた。

キレる夫って、どうよ?

私は夫の持ち物ではない。

その夜は私はよく考えてみた。

音楽教室、音楽仲間、この2つのことを辞めたくないから我慢が必要なのだ。
音楽教室など辞めればいい。仲間とは別れれば良い。ボランティアもコンサートも辞めれば済むことなのに。

アパートでも借りようかな?

最近は熟年のための合コンがあるという。
どこかのおじいさんと出会おうかな?

音楽教室もなく、仲間たちとも別れて仕事はと言っても体力にも自信が無かったら、私の場合生きる意味が無い。

仕方ない、今のままが一番楽だ。

フッと居なくなって旅してまわり、女番のトラさんにでもなって気に入らないことがあると出かけて、時々帰ってきて…みたいに過ごせば良いのかも。

そうだ、そうしよう。

ではこの次のために、行きたいところを決めないと!

ただし、コロナには気をつけないとな。

裏庭

2020-06-23 18:52:00 | Weblog
30年ほど前に、コバちゃんと2人で庭づくりしたことがあった。
島忠から敷石など買ってきては、コバちゃんの言う場所に手伝って敷いたのだった。

その時裏庭にも目隠しになればと10本苗木を買ってきて植えたのが、とても大きくなった。

ぼうぼうだ。

その木は2種類ある。

数日前に小枝を切って袋に3つ作ったが、ゴミ収集者が遅いので、また2つほど作って出した。

それでノコギリを見つけて、少し太い枝も切り落としたが、収集車が来てしまったので、出すのは次回にする。

裏庭だって広くはないが、親からの譲りの土地だ。ぼうぼうではかわいそうだ。

8月までにはすっきりさせる。そうすれば台所もお風呂場も明るくなるのだ。

夫はあてにできないが、今日は裏庭を見せた。そしてきれいにしないとと思っていることを話した。

それから狭山市に物置として借りているところの片付けはやはり7月になりそうだと言う。
私は7月どころか年内かかるんじゃないかと詰め寄った。借りている大家さんに話もまだしていないらしい。

借りていたところを引き継いで借りてくれそうな人に電話をかけさせた。
それで7月になるが、以前の約束通り借りてくれるのか、コンテナをもらってくれるのかを確認した。

大丈夫のようだ。

大家さんの電話番号がわからないらしいので、明日か明後日菓子折でも持って挨拶してこようと思う。長年のことで、賃料を未払いの月があってはならないので、それを聞いて近々7月分まで支払うつもりだ。

やることは山積みだ。

断捨離はまだまだつづく。



いちばん若い叔母

2020-06-21 21:16:00 | Weblog
何回電話してもなかなか出ないので心配してましたが、叔母は元気でした。
今日は長電話ができました。

以前にたくさんの手編みのセーターを送ってもらい、それを仲間で分けたことがありました。最近は編み物ではなく、古い着物をほどいてブラウスやチャンチャンコを作っているとのことでした。

今年88歳になったそうです。

「せっかくだからえみちゃんも身体に気をつけて、私のように長生きしなさいよ」と言われました。

叔母から言われてしまうと、長生きできるものならしたいなあと思いました。

お水、ジュース、ぬるいお茶をストローで飲むとむせないからいいよと言ってました。年取ると嚥下が難しくなるからな。

叔母が言うならやってみようかなと言う気になる。

長女の結婚式で叔父と2人で演歌を歌ってくれた叔母でした。数年前に叔父が亡くなった後も、明るく前向きに生きている。

叔母は夫のことを「あの人は良い人だから、仲良くしてね」とも言っていた。

そうだな。悪口はよくないね。

言った後虚しいもの。

叔母はいろいろなことを覚えていて、また他の従兄弟たちの話もしてくれた。

大きな印刷会社に嫁いだ従姉妹は、今はスーパーの駐車場でパートしていて、旦那様は毎日お酒飲んで仕事してないらしい。
親の代から従姉妹夫婦の代に変わった時、お得意さんが仕事を頼まなくなり、倒産してしまったそうだ。前々から旦那様は働く意欲が薄かったのだろう。

でも明るくパートをしているそうで、先日叔母の家に遊びに来てビールを飲んで笑っていたそうだ。

そうなの、うちの一族ってこんな感じ。
前向きなんだな。


どんな時も、楽しく生きた方がいい。
仕事もあれば、やった方が良い。
仕事があるなんて幸せだと思う。

7月から始まる仕事、しっかりやろう。

今日も午後には2時間ほど昼寝をしてしまった。
夜、眠れるかしらん。笑

すべてが、それ…

2020-06-21 08:52:00 | Weblog
生き方改革をしてきた。
無駄をなくし、シンプルに。
夫の物置として借りていた場所を、早くから返してしまいたかった。
コロナのこの時期だが、今月いっぱいで片付けるつもりだった。

夫は痛い足を引きずりながら、数日前から少し動き出した。だが今月中にはどうにもならないと思う。
なぜかというと、物をうちに持ってきて移動させただけだから。うちの南側の廊下がいっぱいになっただけだ。

多分こんなことだろうとはわかっていた。
これだと7月いっぱいにはというつもりだろう。

このままだとそれも難しい。

西側にある乗れないバイクと、溶けてきた自転車は退かすのに年内までかかると思う。

昔から夫は家の周りに車の物を置いては、コバちゃんと揉めていた。いつもその追いかけごっこだった。

どんなにどかして捨てても、まず物を玄関に置く。そこから始まってどんどん家の中に持ち込まれる。

北側は鬼門と言って大事なところだ。そこがゴミなどで汚ければ、病人が出たりするほどだ。

糖尿になったらなりっぱなし、守れないことを人のせいにして誰よりも多く食べようとするのはいかがなものだろう。
ルーズさがそのまま身体や病気に出ている。そして食事を作っている私のせいになるのだ。

一度でも自分から生き方改革するとか、考える力をつけようとしなかった。
わがままなおじいさんになったな。

わがままでがんこだと、話す言葉も決まってくる。
うるせえ、てめえ、悪い言葉は天下一品。説明の際は、「意味は…」これが口癖。
使う語彙は、決まっている。

さあ、家の周りの物をどうしようかしら。

昨日は鉢植えを置くのも虚しくなって、裏庭の土に植えてしまった。
植木を置く場所も、草木を楽しむことも出来ない。

もっと裏庭に植えてしまおう。そして夫以外の息子の車のものも、なんとか動かして形よく見えるようにおこう。

外から見たら、または大通りの方から見たらなんじゃこの家は!ということになる。

整然としたところで住みたい。

家の裏にある鉄の棒やら、あれは捨てよう。
何年も使わないものだった。

ルーズだから片付かない。
ルーズだから病気になる。
ルーズだから治らない。

今日は出来るだけ片付ける。
植木も減らす。

断捨離!

一昨日、昨日、今日

2020-06-19 18:04:00 | Weblog
おとといから昨日までの昼間はグーグー合計で6時間は寝ていた。どの夜中も、これまた良く眠れました。
今日は言ってみれば3日目。
頭はスッキリです。

薬無しの睡眠確保、大成功です。
慢性の睡眠不足だったのだろう。股関節とか腰が痛い時があるので、寝ていても、いたいなあ…と思っていた。

CMで桃井かおりさんが「眠った人にはかなわない」というのがあるが、本当にわかるな。

今日は1人の生徒さんのレッスンがあり、午後から街へ出た。
買い物と銀行の記帳の用事をいくつかためると歩けますから。

4,400歩歩くことができました。

夜はこれから孫や娘やお嫁さんを呼び、ささやかな夕飯をします。
トンカツを揚げる元気はなく、買ったカツなど。味噌汁や添える野菜炒めなど。

明日は4人ほどのレッスンの日だ。
土曜日は去年は10人ほど教えていたが、コロナで休んでいる方が3人いらっしゃるので、こんな感じです。

今年コロナのことが起きてから、これからの生き方が変わってくる。今までできたことができなくなり、人と会うなどがそう簡単にいかなくなる。

はやくワクチンができることを願うばかりです。

どんな時も、睡眠が取れているかいないかで仕事もはかどったり、心配が増えたりするので、いかに睡眠が大事かというのがわかる。

だって今日は本当に私、調子がいいのです。

睡眠不足があっても、このように解決させながら元気にやっていこうと思います。

仲間たちと会うのは、まだまだだと思います。ずーっと先だね。

元気でいましょうね。

昨日も今日も

2020-06-18 21:30:00 | Weblog
昼間、寝てました。
横になると眠れちゃうものですから。
昨日の夜は、それでも眠れました。
そしたら今日も寝てました。
昼に起きてお風呂に入ったりしたのに、横になったらグーグー。

友人は1日8千歩くらい必ず歩いているらしい。私は歩いたとしても2千歩になればいいくらい。

あーあ、このままでは良くないわ。
ゴロゴログーグーしていれば、今に首からお尻までが1つになってしまう。
仕事がないからたるみ切っている。

身体が丸く大きくなるのは簡単なんだからね。そしてそんな時はお菓子がものすごく美味しい。

かりんとうが。


明日から心を入れ替えて、何とか動き出そう。

朝起きて、午前中2人ほどレッスンして午後からはサスペンスの再放送を見るというより聴きながら、家の中を片付けたりしてた。犯人はすぐ察しがつき、殺人方法も似たり寄ったり。

相棒はまだマシな方ですが。

今日からBGという番組が始まった。
これは目を見張るアクションで、私には刺激が強すぎる。

がいこくの昔のサスペンスはもっともっとすごい。
上には上があるものです。

そうか、刺激が足りなかったのだ。

よーし、明日からちょっと気持ちを入れ替えて身体のために歩くぞ。

歩くぞ。

6千歩くらい。

懐かしい場所

2020-06-14 18:53:00 | Weblog
三人会のうちの1人が毎日ウォーキングしてるので、私も今日はやってみた。

日頃駅の方の銀行の用事の時などは徒歩で行くこともあるが、彼女のように8千歩や1万歩まではなかなか歩けない。

自宅から出て、行政道路を歩くことにした。
途中、子供や孫が通った幼稚園の方の路地に入ってみた。

街に大きなお店を持っている方の自宅あった。幼稚園の頃の同級生だった。
父母の会会長でもあった。

夫の高校時代の知り合いが、自宅で整体をやってるところも通った。一時期お世話になったなあ。

ステーキのドンの隣に、音楽教室ができていた。みんなお庭も綺麗にしている。

帰りは反対側の行政道路を歩き、線路の方に向かった。
カラオケサロンもあって、音楽が流れていた。またボーリング場側のマッサージのお宅は、アパートになっていた。あの全盲のご夫婦はもう亡くなったのかもしれないな。息子が5年か6年の頃だから、もう25年も前になる。

ゲーっと思った。

私が所沢の住人になって、約50年だもの。
年月の経つのは早い。

義父が亡くなってコバちゃんが未亡人になったのが72歳。コバちゃんはそれからさらに26年も生きたのだった。

そう言う歳にだんだんと近づいていくが、これは正に順番に繰り返されることだな。

コロナの自粛でなかなか仲間たちとも会えないが、みんなこの数ヶ月の間に変に歳を取らないで欲しいな。家にこもって食べて寝てをしていたら、体が丸まってしまうからな。

明日も歩こうと思いました。
良いことは、真似しますよ。

ではまたね。

懐かしい人

2020-06-10 16:21:00 | Weblog
コロナのことで、郵便局から発送していたお中元のカタログが6月中旬になると、はがきをもらっていました。
今日マイプライベートレッスンの日でした。その恩師に、いつものハムを今日お持ちしようと思った。

西武デパートに寄り、さいぼくハムに決めた。恩師以外のところにもそれに決め、発送伝票を書いた。
隣の売り場にお茶屋さんがあった。
懐かしい店主はおいくつなのかな、まだお店に出ていた。


大昔私が20歳の頃、楽器店に勤務していた。店員兼事務員の私は、お茶を買いに行くのも仕事だった。

そのお茶屋は今のみずほ銀行のばしょにあった。店に入ると床は土間だったのを覚えている。
今の店主が30歳くらいかもう少し上だったかな。

私は社長に強く言われて買いにきた。
「100g100円のを買ってきなさい
 」
そのお茶屋さんで、100g100円のをくださいと言うのが恥ずかしかったが、そう言って何回買いに行っただろう。

その後社内結婚して所沢の人間になってからは、苗字が変わってからも自宅のお茶を買いに寄ったものだった。だから私のことは店主は覚えているのでは無いかと思うが、お茶屋がデパートに入ったあとは足が遠のいた。

お茶は、生徒さんからたくさんいただくようになったからだ。
それにデパートの地下まで行かなくなった。
それでも10年ほどは叔母たちに送るときはまだ買っていたな。

店主はおいくつなのかな?
私より10歳上だと、もう80歳近い。

しっかり立って店番をしているが、声が小さくなったような。もともとそんなに通る声ではなかったな。ボソボソと穏やかに話す人だった。

覚えているか聞いてみようかなと思ったが、私もボソボソ声だしざわざわしている中で、コロナのこともあるし、あまり近づいて話すのも良く無いと思い、ニコニコ会釈しただけにした。

マスクしているし、誰だかわかるはずもないな。

そこから今度は、お魚売り場に寄った。
20歳の頃同僚だった人の元奥様が長年仕事しているので、探したら「あらまあ、えみこさん!」と言っていた。

この人もある意味、懐かしい人だ。

ここに来ると、懐かしいのだなと思った。

所沢の街が、フロペ通りが砂利道だったころだ。
ピノンがあって、カツ屋のかく大があって、丸井があって、パチンコの景品受け渡しの小さか建物があって、土にホウセンカやおしろい花が咲いていた頃のことだ。

子供を産んで、仕事もして夢中で生きていた頃を思い出していた。

あのころに戻りたいかって?
戻りたくないよ。
たいへんだったもの。あ

戻るなら、50歳の頃に戻りたいな。

6月になってから、良いことが増えて来た。

ほっぺたをつねる毎日なの。笑笑

昨日も今日も明日もやる

2020-06-09 19:30:00 | Weblog
昨日からやっているのが、片付けです。
そして断捨離。

昨日はプラスチックのA4サイズの引き出しが10段あるケースを整理した。

今日は木製の三段の引き出しと、鎌倉彫りの三段のが2つあるのと、ただの5段の小さな引き出しも整理できました。

午後からは居間の押し入れを整理しました。薬、化粧品などが混ざってしまっていました。

当然ゴミがたくさん出ました。

7月からは忙しくなるので、仕事の引き出しや医療関係の引き出しなど、細かく分けました。
整理されていると、きっと仕事もやりやすいと思うのです。

終わったものの引き出しもひとつ作りました。辞めた仕事の後のことに大事なのです。
しかも何やら忘れっぽくなりかけているので、年取った方には整理がおすすめですよ。

今日は孫がピアノのレッスンでした。
その先生がゆきちゃんなので、孫のレッスンの後会い湿布や鎮痛剤のクリームをたくさんいただきました。

これは助かるのです。

今コロナで、なかなか会えないので来た時に情報交換するようにしています。

渋ちゃんとはいつでも会うのが簡単で、昼めがけて牛丼を買ってきてくれて2人で食べたりしています。

ゆきちゃんは卯年。o型だがちょっと心配症というか不安症みたい。
だからコロナが怖いから、なかなか会えない。

渋ちゃんは車を運転して、すぐどこにでも行けるが、ゆきちゃんはバイクなのでなるべく家にいるようだ。
今はそれが1番だね。

臆病なうさぎなんです。

大きい身体で、ビクビクしている感じ。

でも優しいところがあります。
だっては湿布やクリームくれたからね。

それに牛丼は食べられないんだって。牛丼の中の玉ねぎは食べられるそうです。

つまんねえ奴だなあ…ってチコちゃんに言われるね。
だからっていじめちゃいけないらしい。
パワハラっていうんだね。

平気でやってた私。
でも、おととしからやめたのよ。

同じくらいの人も、若い人も、年寄りも、夫も、絶対とは約束できないけどいじめない。

いじめないよーーー!
だから嫌いにならないでーーー!

明日は片付けは、お休みします。



寂しい胸の内

2020-06-05 23:45:00 | Weblog
デパートの仕事の締めくくりの日でした。
社員証を下げてバックヤードに入り、更衣室のロッカーを片付けてまた売り場の裏の小さなロッカーも空っぽにした。

ちょうど昼時だったので、社食でお寿司にした。最後の社食でした。
なんでも最後だと思うと寂しかった。

職場にはみんながいて仕事をしていました。休んでいる間にコロナになって、こんなふうに退職するとは3ヶ月前には思ってもいなかったことだ。

なんだか格好の悪い自分が可哀想と思った。

しかしこの仕事は私には緊張の連続だったから、本当は辞めれてホッとしている部分もある。ただ残念な部分もある。

割り切れないという感じ。

しかし私は、もう次のやりたい仕事を考えていた。

そんなに働いてどうするねん!

ただ、あと3年ほど働きたいだけ。
自分のへそくりを作るためにね。

だから、寂しい気持ちを引きずらないで前に進もう。


夕方から孫たちが集まった。息子も嫁さんも娘もです。
またいつもの二色丼と味噌汁と野菜の炒め物くらいだったが、作って食べてもらった。

今日は私のひとつの区切りの日だったからね。

また明日から明るく生きるの。

生きるよー、明るくね!

おやすみなさい。