子育て真っ最中の頃、コバちゃんに気を使って生きていた私でも、1年に1回くらいの割合で朝起きれない時があった。
子供にご飯食べさせて登校させなければならない朝だ。
コバちゃんに、子供たちをお願いします…と頼むこともせず布団から出なかった。
出られなかったのだ。
コバちゃんは普段は台所をしないが、そんな時は何かを作って子供たちに食べさせて登校させてくれたのだった。
私は昼過ぎにやっと起きた。
その時はコバちゃんは外出していた。私が起きて来やすいように。そんな気遣いをしてくれたのを覚えている。
私の分の朝食がテーブルにあったので、食べた。美味しかった。
午後になってコバちゃんが帰って来て、美味しい苺か何かを買って来たな。
それを2人で食べて、今朝のことをコバちゃんは何も言わなかったな。
またある日は、コバちゃんは私に「ピアノの先生だなんて人にものを教えてたって、庭の草の一本もむしったこともない」と言った。
私は、ほんとにそうだなと思った。しかし余計なものを取れば怒られるし、そう言われてもほんとに草など取らなかった。
今は家の周りの状態が気になる。
「北側は鬼門と言って大事な場所、そこを汚くしていたのでは病気になったり良くないことがおこるのよ」と夫に言って、木の枝落としを手伝わせた。
これは昔からコバちゃんの口癖だった。
今は私がやる番になった。
コバちゃんの口癖まで真似して言ってる。
実の母親とは早く死別したので、私自体はコバちゃんでできているのかもしれない。
友人に対する意地の悪い捉え方など、まさにコバちゃんそのもののようだ。
血も繋がってないのに、似た感覚があるようだ。
実母が素直に育ててくれたから、コバちゃんの言葉などがすんなり心に染み込んで残っているのだろう。
昨夜は息子を悪く言った夫に腹を立てた。
娘たちもそうだが、息子も私の作品なのだ。それにけちをつけるとはどういう了見だ、子育てなど手伝いもしなかったくせに!と、こう思う。
私が息子の肩を持って、自分の味方をしなかったために夫はキレた。
キレる夫って、どうよ?
私は夫の持ち物ではない。
その夜は私はよく考えてみた。
音楽教室、音楽仲間、この2つのことを辞めたくないから我慢が必要なのだ。
音楽教室など辞めればいい。仲間とは別れれば良い。ボランティアもコンサートも辞めれば済むことなのに。
アパートでも借りようかな?
最近は熟年のための合コンがあるという。
どこかのおじいさんと出会おうかな?
音楽教室もなく、仲間たちとも別れて仕事はと言っても体力にも自信が無かったら、私の場合生きる意味が無い。
仕方ない、今のままが一番楽だ。
フッと居なくなって旅してまわり、女番のトラさんにでもなって気に入らないことがあると出かけて、時々帰ってきて…みたいに過ごせば良いのかも。
そうだ、そうしよう。
ではこの次のために、行きたいところを決めないと!
ただし、コロナには気をつけないとな。