コロナのことで、郵便局から発送していたお中元のカタログが6月中旬になると、はがきをもらっていました。
今日マイプライベートレッスンの日でした。その恩師に、いつものハムを今日お持ちしようと思った。
西武デパートに寄り、さいぼくハムに決めた。恩師以外のところにもそれに決め、発送伝票を書いた。
隣の売り場にお茶屋さんがあった。
懐かしい店主はおいくつなのかな、まだお店に出ていた。
大昔私が20歳の頃、楽器店に勤務していた。店員兼事務員の私は、お茶を買いに行くのも仕事だった。
そのお茶屋は今のみずほ銀行のばしょにあった。店に入ると床は土間だったのを覚えている。
今の店主が30歳くらいかもう少し上だったかな。
私は社長に強く言われて買いにきた。
「100g100円のを買ってきなさい
」
そのお茶屋さんで、100g100円のをくださいと言うのが恥ずかしかったが、そう言って何回買いに行っただろう。
その後社内結婚して所沢の人間になってからは、苗字が変わってからも自宅のお茶を買いに寄ったものだった。だから私のことは店主は覚えているのでは無いかと思うが、お茶屋がデパートに入ったあとは足が遠のいた。
お茶は、生徒さんからたくさんいただくようになったからだ。
それにデパートの地下まで行かなくなった。
それでも10年ほどは叔母たちに送るときはまだ買っていたな。
店主はおいくつなのかな?
私より10歳上だと、もう80歳近い。
しっかり立って店番をしているが、声が小さくなったような。もともとそんなに通る声ではなかったな。ボソボソと穏やかに話す人だった。
覚えているか聞いてみようかなと思ったが、私もボソボソ声だしざわざわしている中で、コロナのこともあるし、あまり近づいて話すのも良く無いと思い、ニコニコ会釈しただけにした。
マスクしているし、誰だかわかるはずもないな。
そこから今度は、お魚売り場に寄った。
20歳の頃同僚だった人の元奥様が長年仕事しているので、探したら「あらまあ、えみこさん!」と言っていた。
この人もある意味、懐かしい人だ。
ここに来ると、懐かしいのだなと思った。
所沢の街が、フロペ通りが砂利道だったころだ。
ピノンがあって、カツ屋のかく大があって、丸井があって、パチンコの景品受け渡しの小さか建物があって、土にホウセンカやおしろい花が咲いていた頃のことだ。
子供を産んで、仕事もして夢中で生きていた頃を思い出していた。
あのころに戻りたいかって?
戻りたくないよ。
たいへんだったもの。あ
戻るなら、50歳の頃に戻りたいな。
6月になってから、良いことが増えて来た。
ほっぺたをつねる毎日なの。笑笑
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