えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

結局、キツい仕事が残った

2022-02-28 23:23:00 | Weblog
パートの仕事の会社が変わりました。
コロナの影響などで業績が悪かったので、今までの会社では持ち堪えられなくなったらしく、新会社になりました。

職場は変わらないが、出社した時の検温だとか出勤退勤のやり方、使う食器もふきんも台布巾もその使い方も変わりました。

会社が変わることで15人のうちの4人が残ることなく、他の企業に移ったり辞めたりの人が居ました。

私を面接してくださった方も、長く働いていた方のようだったが急にキレる人で、どの場面でキレたり怒ったりするのかが掴めずみんなから嫌われていたが、つい1週間前に辞めることを親しい人に話したと言う。

前の会社の終わりの日私は仕事だった。無事に終わって帰ろうとしたらその面接をしてくださった方が走ってきて「東條さん、私今度辞めることにしたから今日が最後です。1年間だったけど、お別れです」と言って何か包みを渡された。

ハンドクリームだった。

他の皆さんにもそのようにしたものと思っていたが、新会社で始まってみたら他の方には何も言わずに辞めたそうで、驚いた。

私も辞めたかったのだが、私に仕事を教えてくれた人が「せっかく覚えた仕事だから、東條さんも頑張ってね」と言われてしまい、辞め損なった。

月に6日か7日の仕事だし、お金には全然ならないし、今後働く日数が増えることはない全く私に対しては、かなり失礼な会社なのだ。

私が歳だから朝の早番の仕事は教えず、昼から4時間の仕事のやり方を教えてくれただけだった。
割りに合わない仕事だなと本当に思うが、気遣って応援してくれる人が5人いるので、それだけのために辞め損なったのだった。

ただ私はドSなのか、苦労して手に職つけるとか大変な中頑張るなんてことが嫌いじゃないので、辞め損なった。
それと、だいぶええかっこしいなためだ。

結局自分の首を自分で締めてるだけだな。

この2週間、股関節と坐骨神経痛が痛くて、どうやっても痛みが治らなかった。

仕事でトレーを積んで持って行き所定に運ぶのだが、少なく持って何度も往復するしかなかった。
リハビリに行った時、今股関節と坐骨神経痛が最悪でどうなだめても言うことを聞いてくれないです…と理学療法士に話した。

どうやってトレーを持ちましたか?と聞かれ「足の付け根の前のところに押し付けて、足をせっせと運んでやりました」と言うと。

「お腹を膨らませて力を入れて背中を伸ばして、背中で待つくらいの気分で持たないと、お腹で持とうとすれば背中は丸くなって何の役にも立たないですよ」と言われた。

リハビリの次の日仕事だったので、股関節と鼠蹊部と腰に湿布を貼り鼠蹊部にはホカロンも貼って、ロキソニンを飲んで準備万端で出かけた。

いざトレーを持つ時に言われたように、お腹を膨らませ力を入れて、背中をピンと伸ばして背中で待つくらいの気で持って歩き出した。

歩ける歩ける。何と言うことだ。

姿勢が大事だったのだ。

無事に仕事を終えて帰りは元気に歩いて帰って来た。

痛みを脳が覚えていて、行きたくないと思うと痛くなるのかもしれないとも思った。その証拠に仕事が終わったら疲れたりしてるはずなのに、サッサと歩いて帰れたのだ。

今一年で一番寒い時。

次の仕事の時、また痛いのかな?と気にしながら、あの持ち方を忘れないようにしてまたやってみようと思う。

ドSな私らしく。ねっ!

ではまたね。

どこにも戻りたくない

2022-02-06 23:30:00 | Weblog
昔に比べると、身体のあちこちが変わってきて気にしたことのない様なことが気になったりしている今日この頃です。

友人が久しぶりに郷里に帰ったら、幼なじみの代わり様に驚いたという話を聞きました。
待ち合わせの時間を大幅に遅れてきたり、車で送ってもらう時に危ないことが何度もあったそうだ。
そんな話を聞くと、多かれ少なかれ違わないなと思うことがある。

しかしいずれにしても、個人差がある。

言葉は悪いが、もうろくの度合いやその加速の違いはあるが、確実にみんなその方向には向いているはずなのだ。

健康年齢との関係だと思う。

男性の健康年齢は72歳くらい、女性のそれは75歳くらいだったかしら。

私も夫も、ちょうどその年齢にも差し掛かってきましたよ。

気がついたことがあったら、話してわかってもらう様にしようとは思っている。

私自身の確認の意味でも、そうだ。

昔から良く予定表を書いては、大きな予定、小さな予定を把握して目標に向かって学んだり資料を揃えたりしていた。
小6の時もしていたし、高校生の時もしていたし、母親になってからもやっていた。

多くは、ピアノやエレクトーンの練習のことだったと思う。

今もやっている。

目標は達成してないと思うから、どの頃に戻ったら達成できたかなと考えてみた。

いつに戻りたいか考えてみた。

すると、どの頃にも戻りたくないということがわかった。

戻れば、若くなる分沢山の時間が貰えるのにね。

若い頃は仕事、家庭、子育て全て面白かったことは覚えている。
子供の進路を決める頃は最高に燃えた母親だった。
そして子供が、どういう道で生きていくのかが見たくて楽しみだった。

今も子供や孫を見ていて楽しいし、面白い。
面白いのは、自分のことも面白い。

どうしょっかなあ…といつも楽しんでいる。

だから今がいいのであって、若い頃に戻りたいわけではないのだと思う。

充分、戦って来たしね。

ただ病気のことばかりは悔いが残る。

どうすればあの手術をしなくて済んだのだろうとか、いくつもの手術をした私は身体の傷には悔いがある。
なぜ悔いるかというと、今後の寿命に大きく関係してくるかと思うからだ。
傷の数が勲章になんかならないって、わかっているからだ。

若い頃我慢した事が多かったかもしれないが、傷に変えたということは、結局我慢できなかったという結果だ。

身体や脳はとっても正直なんだね。

一度も身体にメスを入れたことがない人を見ると、あぁ、もうそこで私は負けていると感じる。

私は負け犬。そう思う。

この先の寿命が長いか短いかはわからないが、面白かったと思える人生だったことは確かね。

だから、ま、いいか。だね。

孫の成長も見たくなった様で、ちょっと欲が出て来たんだね。

欲張りは良いこと。
これからも、大いに楽しみたいと思います。

ではまたね。