えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

ブログ

2019-02-27 20:37:55 | Weblog
20代はまだ、心理学的な勉強はしていなかったな。それをしたのは40代になってから。

暮らしていていろいろな疑問が出てきても、相談する人がいなかった。親に何か言えば心配するから言えなかった。

父方の伯母にちょっと愚痴った時、その伯母は電話で「嫁の分際で…」と言って私をたしなめた。それからは1人で考えるようにして、良い方にとった。

40歳過ぎて心理学を学ぶにあたり、自分の子育てが良くなかったらどうしようと思った。子供の元は母親だろうと常々思っていたからです。
仕方ない。子育ての様々なことを心理学的に考えていろいろわかるだろうが、そうしたのは私だから責任を持つことにしようと思った。

人の性格は変わることや、自分の中に最大の味方がいることを知った時、ジーンと涙が溢れてきた。

良かったなと思った。

心理学はなんだかんだ言って10年近く学んだ。頭が悪いので、そこまでかかったの。

50代半ばでブログを初めて、日々のことを赤裸々に近いほど書いて、その書くことが自分の癒しになった。

先日若いシンガーソングライターが言っていたが、彼女も詩を書くことで自分を整理しているとのことだった。

書くことはいいらしい。

しかし時には、書き過ぎてアップしてしまってから後悔することもあった。

ああ、あれを読まれちゃったかあ…と自己嫌悪になったことも。
それでそれを書いた自分をフォローしたりもした。

書くことは難しい。ブログは特にだ。

今は元気な60代になって、気持ちはたくましくなった。
人並みに孫からばあばなんて呼ばれて、心の癒しになっている。

そしてこれからも、ブログに育てられていくのかもしれないな。

これからもよろしくね。


三回忌

2019-02-24 18:08:31 | Weblog
コバちゃんの三回忌でした。
昔から日本では数え年で数えるため、3年目に入る前に三回忌をやるのだそうです。

昨年一周忌だったのだから、2年目に三回忌という意味がわかりました。

夫の姉2人と従姉妹1人、私と長女の6人で滞りなく終えることができました。

お経の後の説法で住職は、5年10年と経つうちに亡くなった人を思い出すことが、だんだん薄れるものだが、三回忌の後は七回忌十三回忌と続きます。忘れることなく供な養するように…とのお話でした。

そうか、コバちゃんはあまりに長生きだったから亡くなった途端に私たちの老後がもう足元に来ていた。
三回忌さえやれば後は普通のお墓参りで良いかなと思っていたが、そうもいかなさそうだな。

本郷のお寺さんに行けるうちは、法事をしようと思った。

コバちゃんの話をみんなでたくさんしました。

お天気にも恵まれ、よい法要になりました。

まぐろアボガドご飯

2019-02-22 08:33:17 | Weblog
このお店に来ると必ずこれを食べています。私だと大盛りが欲しいくらい美味しいです。
昨日は講師数人でした。

音楽教室として、今の時代どうなのか?やはり学習塾が需要大だと思う。
お若い先生は方向転換も複数の仕事をやるのも良いが、私ほどの年齢だとそれもなかなかできそうにない。

社会人の音大生たちが今年も卒業する。
中には短大卒だが、実力を認められて大学院に進学する人がいる。

とても刺激的で名誉なことだなと、他人事ながら嬉しくなった。

そんなこんなで、コーヒーも飲まなかったのに夜中になかなか寝付けなかった。

えいっ、いいやと思って3時までごそごそやっていた。
音を出す、声を出すことをのびのびとできるのはどうすればいいのか…このことについて1人でセッションした。

カラオケ館が、もってこい。

今は1人カラオケなど人気があるらしい。フルートやサックス、バイオリンなど持って行けば遠慮なく音が出せる。

アナウンサーが練習に使う早口言葉など大声で練習にできる。画期的ですね。

孫とカラオケに行こうかと話したことがあるが、祖母同伴なら可能だ。

得意でないこと、得意なこと、どちらも練習にいいようですね。

世の中うまくできていますね。

工夫して、生きやすい老後にしましょう。

もう、立派な老後のレールを歩いているのです。

ギャーギャー泣いた息子

2019-02-20 11:43:54 | Weblog
息子が一歳半くらいの時、まだ若かったコバちゃんとおじいちゃんが秩父まで電車に乗せてやろうということで連れて出かけてくれた。

私はレッスンの日だった。

息子は一歳ちょっと前で歩き出していたので干支と同じにネズミのようにチョロチョロ良く歩く子だった。

所沢から秩父まで、行きにちょうど特急が来たので3人で乗った。息子もご機嫌だったそうでした。
秩父でご飯など食べたり少し散策して帰りは、普通の電車に乗った。

息子は眠くて限界だった。
座れていたので眠ったようだった。
あの頃チェッカーズのフミヤに似ているとよく言われ、可愛らしい息子だった。
もう夕方で、帰り途中の駅から電車には女子学生がドッと乗って来た。

そこで目が覚めた息子だった。

きゃー、可愛い!、と女子学生が言い始め息子が泣き出しても、可愛いフィーバーは収まらなかった。

困ったのはコバちゃんとおじいちゃんだった。息子は泣き出したら止まらず、降りるにも歩かないほど怒ってしまった。
ほんとは所沢で降りるのにコバちゃんは困り果てて1つ手前の、西所沢で降りることにした。

あの頃だから携帯などなく、駅の近くの公衆電話から困り果てたコバちゃんが電話して来た。
私はレッスンを中断して1人を休みにして車で迎えに行った。

息子はもう泣き止んでいた。
コバちゃんとおじいちゃんは、大汗かいていた。

行きに普通の電車で行って、帰りに特急に乗ればよかったよと盛んに言っていた。
でも、午前中からのレッスンがスムーズにできたので助かったと伝えた。

帰ってから夕飯の後、またレッスンがあった。一番忙しい頃だった。

なんだかんだと言いながら、息子がおじいちゃんの寝ているところを蹴ったりするようになるまで、2人はよく子守りをしてくれました。

コバちゃんとの同居は、私には過酷だったが子供達にはとても大事でいいことだとわかっていたので、子供第一主義の私はそれでよかったのを思い出した。

息子の保育園時代の連絡帳が出て来たので、いろいろと思い出していました。

懐かしいな。

本番でした

2019-02-19 21:03:15 | Weblog
2ヶ月に一回行っている施設でのコンサートでした。
静岡から駆けつけてくれた仲間を含め、準メンバー2人の8人でのコンサートでした。
私でも懐かしいブルーコメッツのブルーシャトーと思い出の渚の演奏から始めた。

この施設や病院でのコンサートはおよそ25年ほど前からやっているが、当初のお客様は今現在ご存命なら98歳とか100歳になっているはず。もう少し若かった人だったなら、85歳かな。

あの頃の選曲から変えなければと考えながら、まだ青い山脈などを5年ほど前まで演奏していた。
で、今回少し曲を変えたつもりの曲がブルーシャトーと想い出の渚なのだ。お客様の反応は悪くはなかったように思う。

歯切れの良い、ビートの効いた感じにアレンジしたいと思う。リズムは高齢者には良い刺激になるはずだからだ。

次回に向けて数曲、候補を考えてアレンジしてみようかな。

北国の春、津軽海峡冬景色と演歌も二曲頑張って入れた。歌詞が用意されていればお客様も歌えたかもしれない。プログラムを早めにファクスしておくべきだったと反省しました。

仲間はいいものです。

本番後、みんなでよやくしておいた店で早めの夕飯をとった。みんなで食べるご飯は美味しかったです。

本番は毎月やってもいいが、この頃は1ヶ月おきにしている。ちょうどいいようだ。


また週一の割合でやっていくが、新曲が入ると練習にも熱が入る。

またコツコツだね。

ほぼほぼ、頑張りましょう。

ほぼほぼでいいのさ。

巣立ちの頃

2019-02-17 23:13:36 | Weblog
あと2週間もすれば春が訪れることでしょう。
今日などは暖かい日曜日でした。

昨年ピアノをやめた大人のまりな様と駅で待ち合わせしてお茶してきました。
顔色も良く、健康そうでしたのでホッとしました。
すごく小さなオカリナを見せてくれました。思わず持って音を出してみました。
人のものなのに口をつけて悪かったなとあとで思いました。

2時間ほど話しして別れてきました。

大人の生徒さんは、いつまでも続くとは思えない。いろいろな事情もあるし、ある程度楽譜が読めればもういいのですから。

電車を乗り継いで通うというのも身体の状態によっては負担になるだろう。

そう言ったことを考えると、もう年だと思ったりしぼむ一方なのだと思い知ることになる。
いつのまにかこんな年になってしまい、先が見えてきてしまうけど、今日はいいお話も聞けた。

ともかく1日1日を、悔いのないように生きることだな。

私は本当にいい人生だった。

子供の進路を決める時などはワクワクして楽しかった。今はそれぞれ自分の道を見つけて、社会で活躍している。

生活に困ったりもしていない。

30年ほど前のある発表会の日、コバちゃんに息子を託して会場入りした。
息子は家でコバちゃんとすごしているはずだったので、私は発表会に集中できていた。

ある生徒のエレクトーンのレジストを準備している時、客席の後ろから小さい息子が入ってきた。
舞台の上でまさにこのあと演奏する生徒の音作りを何秒かでしなければならず、それをしている時だった。

息子はきっと朝から私を探していたのだろう。そしてママのところへ行くと、コバちゃんにせがんだのだろうな。
家で子守りしようと思ったが、あまりに強く息子が言うのでおじいちゃんとコバちゃんで連れて来たことだろう。

ママがいたっ!と思った途端、息子は全速力で走って舞台に上がって来た。

ダダダダーー!っと。

会場の客席の生徒や生徒の家族、舞台で今から弾こうとしている生徒、舞台裏の講師たちみんなの前で起きた。

一直線に駆け上がった息子を私は磁石みたいに一瞬で抱えたのだった。
そして音作りがすむと、生徒に弾くように促し舞台袖に息子と引っ込んだ。

舞台裏では仲間の講師たちが笑っていた。

コバちゃんは慌てて来て、あまりにもママママというから連れてくるのはどうかと思ったが連れて来たと言っていた。

いいのよ。と私は言った。
おかあさん、ありがとね。とも。

親だけではやり通せない部分、コバちゃんやおじいちゃんには本当に世話になった。
私が思う存分仕事に没頭できたのは、コバちゃんやおじいちゃんがいたからだ。

それはずっと思っていた。

そして息子の高校受験、大学受験…すごく面白かった。

娘たちの進路を決めるのも、これまた劇的だった。どんなことでも可能という字しか私の辞書にはなかった。

面白かったなあ。

これだけでも出来過ぎの、私の人生だな。

やり残したことはないな。

私が死んだら、きっと子供たちは泣くだろうな。それが困る。それがかわいそうだな。
私はもう死んでしまえば、なにもわからないからいいのだが、親をなくすのは私も経験したけどかなりしんどかった。

車を運転していて、大声で泣いたが危なく事故を起こしそうだったからな。

このブログは赤裸々なブログなんでね、思ったことを書くのがこのブログの信条なのでね。

明日から新しい週ね。

頑張ります。

おやすみなさい。

運気は2月から…

2019-02-13 23:57:32 | Weblog
運勢の区切りは2月という説がある。
1月までに起きたことは去年のこと。だから今から運気を上げることもできる。

アッちゃんは1月はじめ頃、転んで左ひじを骨折した。救急車を嫌がって自力で病院に駆け込んだが、そこは救急病院だからアッちゃんのことは後回しになった。
格好つけずに救急車を呼べば、即手術してもらえたはずだった。

おそらく心配する家族のことや、すぐに駆けつけられないなど気を使った結果だったろうと思う。

女は事故にあった時とっさに「あ、あそこの押入れ片付けてないぞ」などと思ったりする。見栄っ張りなのと、気にしてしまうクセがついている。

責任感が強いとも言える。

アッちゃんは1週間待たされてから入院になり手術したのだった。

アッちゃんは大事な手術なのに、あの病院でいいと思ったのかな。
あの病院は私はだけど、あまりお勧めできない。
やはり来てくれる家族が来やすいところと思って決めたのだろう。

余計なことは言ってないですけど。

ま、気を取り直して、アッちゃんは2月からやり直してリハビリを頑張りながら、今年を良い年にしてほしい。

というか、私だって何が起こるかわからない。
運気を上げることは、これからだって間に合うということをアッちゃんに言ったら、とても喜んでいた。

アッちゃんの肘が良くなったら、あと歯痛も落ち着いたらまた菊水邸で美味しいラーメンを食べたいな。
そしてお風呂に入って、ノーンビリしたい。

アッちゃんの歯痛はもう3ヶ月も続いていたが、ここで歯医者を変えたらしい。

それはとてもいいこと。

いい歯医者だと思っても長年のうちには、もっといい歯医者が出て来るのだから、信じてついていってもダメと分かったら、バシッと潔く切り捨てて乗り換えた方が良い。

私もアッちゃんの紹介で同じ歯医者に行っていたが、検診のハガキはきたが、そこは辞めて、アッちゃんが乗り換えた新しい歯医者に行くつもりなの。

どこのなんていう歯医者に変えたの?と聞いたら教えてくれたので、今度そこにいこうと思っています。

アッちゃん、笑うだろうな。

いいことは共有して、ダメなことは反省して、いい老後を送るの。

子供にも頼るけど、友人とも助け合うんですの。

ではね。
こんなに遅くなったわ。

おやすみなさい。

新年会

2019-02-13 17:56:56 | Weblog
2月になってしまいましたが、昨日は講師の新年会でした。
上から70代1人、60代2人、50代2人、40代5人が集まった。

私が40代で、娘世代が20代だったのがついこないだのようだ。

年月の経つのは早い。

顔が合えばもう大好きな仲間なので、大声で喋る喋る…。

来年やる発表会の場所取りの話はそこそこで、世代ごとに悩みや実話に盛り上がった。

大きく2つに分かれた。

もう子育てがおわり、子供が結婚したりが近づいてきてる講師と、子育て真っ最中のママ講師たちだ。

私が一番戻りたい年代は、40代。夢もあり、若さもあり、子供の将来を楽しみにしていた頃だ。
その頃はコバちゃんも元気だったが、コバちゃんが居てもいいからあの頃に戻りたいな。


今となっては、しぼむだけみたい。

大事なことは、筋肉をつけること。
ムキムキになる必要はないが、自分で自分の身体を移動させられなくなったらおしまいですもの。

お金のかからない筋トレは歩くこと。

せっせと歩いています。

もう一度だけ、フランスに行きたいな。

ま、譲って日本の名湯でもいいが。
なんなら、湯楽の里でも構わない。

休む時間が欲しい。

孫たちはお泊りでーす。

2019-02-09 23:47:47 | Weblog
アンとみーちゃんが泊まることになっていたら、そこにゆうちゃんも加わった。

11歳、9歳、3歳だ。3歳のゆうちゃんは、じきに4歳になりますが。

上の2人にはよくいっておいた。
まだ生まれてから3年しか経ってないのだから、ゆうちゃんに対しておバカとか言ってはダメと。

以前ゆうちゃんは訴えていたのだ。
ゆうりはおバカじゃないのにアンたちはゆうちゃんをおバカと言うんだよ!ばあばアンたちを怒って!…と。

これだけ離れてると遊びも違うが、みーちゃんがゆうりと遊んでくれていた。

朝になったら、ゆうりとは別行動になる。

湯楽の里にもいき、マッサージも受けてみたいな。

マミーマートにもいこう。

寝る時間になると、ゆうちゃんがぐずりだした。

帰るという。

ママとパパのところがいいと。

涙が出て、ぬぐっていた。

明日パパに、ゆうちゃんは帰るって泣いたよと言うね。ほんとだから。そういうと、
ダメだという。

じゃあ、全然泣かないで寝ちゃったよっていうの?と聞くと、何にも言わなくていいとか言った。

わかったよー。と手をつないでいると、そのうちに寝てしまいました。

やっぱ、家が良いんだね。

おやすみなさい。

結果オーライ

2019-02-08 23:53:12 | Weblog
昨年、股関節は置換手術しかないと言われたのはお話しましたね。

なのに立ち仕事などをはじめたの。
動き回ることはほんの少しだけ。

最近、痛くなるのを怖がらず歩くようにしていて、電車で立っているのも平気になったら少しずつ筋肉がついてきたのか歩行も怖くなくなりました。

昔は陸上やっていたし、足には自信があったが、スキップや飛び上がることなどはしなくなった。

かかと落としなどやった時に、一度飛び上がって見たが無理はしないほうがいいなと感じた。

一回飛び上がるのも重い。

ブルルン…と育った身体が揺れるのよね。

やはり少し痩せないと…といつも思うだけ。

先日など、友人から三笠山5個入りや大福などもらったかと思ったら、ちゃんと摂取しちゃった。

それでまた、ダイエットは明日から…と、なる。

昔のようには痩せなくて良いの。

正月太りを解消するだけでいいわ。

豊満な女性で、ほっかりしてるのがいいや。

負け惜しみかな。

そして今年も、健康で明るい年にしたい。
昨年は妹のことの心配、夫の度重なる骨折があったが今年は滑り出し良好だ。

妹はラッキーな星の元に生まれたんだなあ。何せお彼岸の中日が誕生日なのだから。

神頼みも効いていて、結構今年はいいかもー!

やっほーー!