えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

大人になって

2020-03-31 07:52:00 | Weblog
数日で今後のことを決めるのは大変だった。
理不尽なことへの批判、失望感などを経て1番考えたのは自分の身体のこと。

あと半年、慣れた環境で仕事をして締めくくると言う結論になった。
職場の仲間たちはみんなが、よかった!と言っている。

そうだね、これが正解だ。

新人さんは57歳、朝の仕事を教えて欲しいと言われたが、忘れてないか心配している。

新人さんをみる先輩の気持ちがわかるな。私も大変だったから、優しくしてあげるんだと思っている。
この新人さんが、仕事を続けてくれるのを祈るつもりだ。

その上で、老い先短い私の今後と向き合い、面白そうなことが少しでもあればそちらに方向転換したい。

3日から再開するが、結構緊張する。コロナも人ごとではない。年齢の近い芸能人が亡くなっている。わが町の隣町の出身である。

しばらくこのショックは、日本中を包むだろうな。私も気をつけて、マスクを二重にしてマイ石鹸を持つとか除菌シートを持ち歩くようにしよう。

電車は空いている時間帯に乗ること、食べ物は密閉されたものを買うなり、自宅から持っていく。

そういう意味でも緊張する。

昨日と今日はゆうちゃんとさいちゃんと過ごす。
夫の仕事を息子がやってくれるので、私にできることはお弁当を作ることと、孫をみることだ。

休みの日にも働くのだから、息子は休む時間がないな。
健康面が心配だが、どうしても頼るのは息子だ。他の面では娘を頼る。

子供を頼るようになってきたな。

できることをやり、自立していたい。
次へのステップのつもりで今後のことを決めてホッとしています。

忙しくなるが、以前よりは水曜日も日曜日もゆっくりできる。

時間をみてピアノやエレクトーンも弾けるだろう。

少し楽しくなってきたわ。

ヤッホー!

失恋したみたい

2020-03-30 02:12:00 | Weblog
大昔、失恋したときの気分が蘇ってきた。もう要らなくなった自分が嫌いになった、あの気分だ。

この2ヶ月休んでいたもう一つの仕事場に、復帰しようかこのままやめようかという気で甘んじていたところ、年齢制限で働くのならあと半年と言われたのだった。

2ヶ月間休んだことでも気が滅入っていたのに、年のこと言われて期限を決められてしまった。

定年がないと聞いていたのに。

辞めてもいいし…なんておごっていた自分に天罰が下った感じ。
謙虚さがなく、可愛くない者にはこういうことがあるのだな。

そんな風に言われると働きたくなる。そんなものだな。虫のいい話だ。

どうしようかな?悩む。

このまま音楽の仕事だけならどんなに良いか。無駄をなくして、心にゆとりがある生活は良いだろうな。

コロナも怖いしね。

また仕事を探すのも良いかも。

ただ、あそこの職場で親友と呼べる人が出来たのだよな。でもあと半年なのだ。

揺れる揺れる。

今日は我が家に息子家族と娘家族が集まって、たった六畳の部屋に8人で過ごした。10時間ちかくいたのだった。

トランプしたり、話したり食べたり、楽しく過ごしました。

私にはこんな家族がいるのだから、仕事なんてもう良いんじゃない?なんても思う。

あーあ、ある意味これがタイムリミットなのか?

寂しい。

悲しい。

悔しい。

音楽教室を主宰してきて、こんな気持ちになったことは無かった。有頂天にさえなっていたほどだ。

だから今頃、天罰かも。

コバちゃんの苦労などあっても、やりたい放題の人生を歩いてきた私だ。
子供達もそれなりに思ったように育ってくれたし、みんな伴侶を得て無事にいる。

孫だって4人もいる。よく家に遊びにきてくれる。

もうこれだけで充分な人生さ。このまま明日死んでしまっても、あの人はいい人生だったと人は言うだろう。

そうなんだから、もうそこは辞めちまいな!

欲張りも、大概にしろ!

という一方では、意地でも半年働く!それまでに何かが起きて、続けて仕事してくれませんか…などと言われないかなと思ってる虫の良い私がいる。
いやいや、この頃は思っても見ない方向に向かっていることばかりだから、そうは問屋がおろさないだろうな。そういったことが、これでもかこれでもかとやってきてたからな。

ただ言えることは、欲張りはもうよせ!ということだ。

とてもよくわかっている。

欲張りは傲慢。傲慢は身体を壊す。

意地などやめたら良い。人にはこう言うだろうな。

きっと、言うだろうな。

歌声喫茶再開

2020-03-26 17:34:00 | Weblog
3ヶ月休んでいた歌声喫茶の日だった。会員さんの目の手術や私がインフルエンザになったことなどが重なって、中断していた。

私はあまり声は出にくかったので、発声練習は替えてやってみた。
結構みなさん声出ていました。

8曲から10曲ほど歌った。
恋の季節、真っ赤な太陽、昴を終わり頃に歌ったが、懐かしいリズムのある歌で、ノリノリだった。

おしゃべりの時、芭蕉布の歌をCD化した今は亡き生徒さんの歌声をかけて聴いた。懐かしかった。
芭蕉布と四季の歌が一枚になっているのと、瀬戸の花嫁と涙そうそうの二曲で一枚になっているのがあった。

その方は50歳で初めてエレクトーンを習いに見えて34年間通ってくださった方でした。
CDを作る時、息子に録音してもらって作った。まだ息子が大学1年くらいだったろうか。

それを聴かせてというので、隣の恵美子さんにお貸しした。

歌声喫茶は私が40代後半の頃から60歳ちょっと過ぎまで、世田谷でゆきちゃんとやっていて、いろんなノウハウをもっているので、新しくやれる場所があればまた増やしたいくらいに思っている。

しかしな、ま、無理はやめよ。
どうしてもと頼まれでもしたらやるくらいでいいのだ。
自分から行動しすぎると、また疲れてしまうからね。
今の私は、生きているだけで立派だ。

立派なついでに、第二の4月から仕事を再開する。

できるだろうか?

なあに、できるさ!

伸びきったゴムのような生活では、嫌なのだ。メリハリのある、少々無茶な生活の方が私らしい。

よっしゃーーーー!

孫からの手紙

2020-03-25 19:39:00 | Weblog
今日はアンの小学校の卒業式だった。
コロナの為、生徒だけの卒業式で、親は外で待っている形だったそうだ。

娘が「サクッと実家に寄ろうかな」と言ってきた。
「おいでよー」と誘った。そうかもっと気を利かせて昼ごはんなど準備しておいてあげればよかったんだと思った。
なんせ骨折夫がいるもので、そこまで気が回らなかった。

有り合わせでお昼を食べてもらった。

アンは私に手紙をくれた。

今までもアンもみーちゃんもよく手紙をくれることがあったが、手紙はもらうと嬉しい。

3時から先生の赤ちゃんの子守りを頼まれていたので、みんなで赤ちゃんを見ていた。
アンもみーちゃんもこんなだったなあと、年月の経つのが早いと実感する。

みんなが帰ってからアンからメールで、手紙読んでね…ときた。

そうだったと思い読んでみると、今日の卒業のこと、これからもたくさんのことを学んでグングン成長します。とあった。そしてこの6年間でいっぱいばあばに迷惑をかけた。真面目にピアノを練習しなかったり、たくさんお金を使わせちゃったり
…などと書かれていた。

こんな事書くようになったのかと感心してしまった。

私は孫や娘にお金を使うおばあちゃんではない。何かのご褒美と言っては、ただ湯楽の里に連れて行ったり1人いくらまでと限度額を決めて、ちょっと買ってあげるくらいだ。

アンとみーちゃんのお雛様だって、熊本ばあばに買っていただいてしまったし、とくにたくさんお祝いをあげたことはあまりない。

貧乏なばあばだから、有り合わせでチャーハン作ったりするくらいだ。

先日うちに遊びにきた時に、イオンに行こうと誘い、私のメガネを買うのに付き合わせたが、何か買ってほしいと言わなかった。

なんだかわきまえているのか、今日は買ってもらわないほうがいいと思ったようだった。

それでコロナも気になるが、しっかりマスクしてイオンで2人に進級祝い買いに行こうと誘ってある。

手紙の中には、これからも今までよりたくさん相談にのってねとあった。
ばあばもアンの恋愛の相談に乗れるかな?笑笑

進路とかいろいろ、両親に話してることを確認も込めて私にするのだろうか。楽しみだな。

子育ての頃、1番緊張して張り切ったのは子供の進路を決める時だった。それは何回かあった。

中学から高校に進学する時、高校から大学に進学する頃、将来の仕事を決める時だ。

3人いたので3倍楽しませてもらったな。

私も今度は、孫たちの夢を一緒に見たいと思う。
最後まで見れなくても想像できるから、見れる時まで頑張って生きていたいと思う。

柔軟さが良いだろう

2020-03-24 00:37:00 | Weblog
82歳くらいの生徒さんのレッスンがありました。
転んだりしたことがあると聞いたので、家まで迎えに行き、レッスンが終わると送って行きます。

近所なもので、送り迎えは何でもない。

始める前に、椅子に座ったままで足の運動などをしたことがあるが、どうも乗り気ではないらしい。

身体が丸まってしまうのにな。

歩く時足はすり足気味だ。でもいつかよりは良くなった気がする。
デイサービスで体操しているからかな?

音楽仲間に腹式呼吸のお手伝いに、ストローを使う方法を教えたが、ま、やらないだろうと思う。
私のお節介など、聞かないと思った。
そして腹式呼吸がイマイチわかりづらいなどと、永久に言うのかもしれない。

特に年が上の人は、どうせダメだ年なのだから…と言うことをよく言う。

私もそうだ。

音楽以外の仕事場で私は、最年長の為素直になれないでいた。

でも、もうそれは止める。
可愛くない年寄りなんて、ほんとに可愛くないもの。

若い人や他の方の意見は、素直に聴いて、自分に取り込みたい。
いつも柔軟でいたい。
照れずに謙虚で、柔らかい心を持ちたい。

年寄りだから、皆さんのようにはいかない…などと決めつけない。

だから身体に良いラジオ体操も時々やる。
ストレッチは毎朝起きるときに、布団の上でやってからゆっくり起きるんだ。

ピアノもさまざまな本を、初見の練習と思って続けよう。

全ては自分のため。

身体も心もやわらかーくね。


今日は〇〇ちゃんとオカリナの練習をした。
この半年、続けてきた。

子供の時私などはリコーダーを習った。たて笛のことである。

しかし〇〇さんは、ハーモニカであった。だからオカリナに馴染みにくかったことだろう。

それがこの半年で、だいぶ変わってきた。

〇〇さんは、なんて柔軟なのだろうと感心してしまう。
この姿は、私も見習いたい。

オカリナを持ち帰らず、週一で練習してる人に追いつきそうだ。

こつこつ、亀のごとしでもウサギに勝つことがある。
すごいな。

オカリナを吹き終わってから、色々な話になった。

「あと10年もしたら、死んでしまうかもしれない私たち。いつのまにかこんな風になってしまった」とか、好きな気の合う友人を大切にして、楽しみを共有することの大切さについて、話し合った。

夜眠れないときに思うことを、話し合ったりできるのも友人だ。

心を割って、腹を割って話せる。

幸せなひとときだ。

明日はそんな仲間が集まってくるひだ。

あ、明日ではないぞ、もう今日のことだ。

12時を回ってしまった。

時間は過ぎる、容赦なく。
どんどんどんどん、過ぎて行く。





もっと早く気づくべきでした

2020-03-17 23:34:00 | Weblog
コロナウィルスの影響で、このところの練習を2回お休みにした。
今日は久々の音楽仲間との練習日だった。
久々の練習だが、後期高齢者だから、今日も休みますという1人と、この時期学校を休んでいるお孫さんの面倒を見るように頼まれているからということで、休む人。
その2人はお休みだった。

所沢メンバーの4人での練習でした。
オカリナも結構な曲数を、音合わせのために吹いた。
最近は合唱とオカリナだけにしている。

その昔は合奏もしていた。
何でも練習すれば上手くなると信じているのは、私を含む3人くらいで、あとはその練習も辛かったのかなと思う。

大正琴でもオカリナでも、吹ける人弾ける人はジャカジャカ音を出して練習する。練習するから上達するのだが、自信のない人は音を出さない、弾ける人のを聴くだけで萎縮するから、なお音を出さない。
よってどうしても差ができて、どんどん悪循環でその差が大きくなってきてしまう。

それでコーラスとオカリナの二科目にしたのだった。

それでもオカリナから逃げたいという気持ち、わかる。
人によってプライドの高い人は、やはり遠慮して引っ込んでしまうことが多い。

または違うものを見つけ、それに没頭する場合もある。
ある人は、ドラムにハマって楽しんでいる人もいる。

今日は静岡にいて、最近お休みしている人に電話をかけて、遠距離合唱が叶った。急に思い立って電話したので、驚いたことだろう。

今は便利な世の中です。携帯で顔を見ての電話も可能だし、パソコンならスカイプで交流もできる。

今後も使えそうです。

うかうか休んでいられないと思うかしら?笑笑

ま、でも今日はすごく楽しかった。
私の今後の生きがいになることだろうな。

今後も楽しみ。

今年もコンサートやるぞ!

大変遅くなりました

2020-03-16 01:28:00 | Weblog
昨日の日曜日は、懐かしい場所に行ってきました。
入間市の眼科に夫を連れて行く前に、椿峰教室の近所のお宅でした。

大人の生徒さんが3、4年前にレッスンをお辞めになったのですが、確かお孫さんのお世話が忙しくなるからとのことでした。
私は自分の不手際が原因かと考えていました。
その頃レッスン始められて10年が経ち、お祝いの盾を差し上げる予定でした。

コバちゃんのいろいろがあり、亡くなったりとなかなかお届けできなかった盾をお手紙つけて届けようと思い立ちました。

懐かしいそのお宅の前に行き、日曜日の朝ということもあり、フェンスの内側にかけて戻りました。

眼科に着いて待っている間に、携帯に着信があったのでかけたらその方でした。

のちにメールが入って来ました。
娘様ご家族と同居なさっているとのこと。お孫さんが3人いて、面倒見たり忙しいとのこと。
もう1人の娘さんに2人目の赤ちゃんが4月に生まれることなど。そして、盾をもらえて嬉しいとありました。

同居はあと4年の約束のようです。

期限つきなのですね。

このかたの娘様お二人は、椿峰教室に通っていただいていました。お辞めになったかと思ったら、今度は娘様お二人のお父さんが習いに見えました。高校の物理の先生で、熱血先生でした。

ある時私が椿峰教室でのレッスンを終えて帰るとき、近所に救急車が停まっていました。
胸騒ぎがして近づいてみると、そのお父さんが運ばれて行きました。
共通の知人から翌日、亡くなられたことを聴きました。

お葬式に参列しました。
何百人もの方々が見えて、大きな告別式でした。高校の先生なので、生徒さんも大勢見えていました。

それから5年ほど経ってから、今度はその奥様つまりは3、4年前にお辞めになった方が習いに見えたのでした。そして10年が経ち、あっという間に昨日になったのでした。

椿峰教室は35年の歴史がありました。
何度もリフォームして、教室もやりながら長女家族が住んだり長男夫婦も住んだりした思い出深い場所です。

夫と懐かしい話もできました。

夫が足の骨折のせいで、私が同行したり一緒にいることが多いのですが、なんせ最後には少しの行き違いで残念な気持ちになったり、喧嘩のようになります。

このストレスから離れるには、どうしたら良いかと考えると、私が家にいない方がいいのかもしれないと思いました。

親友に会ったり高校のクラスメートに会ったり、音大や大学の時の友人と過ごしたりしようと考え着きました。

包容力の無さが、残念なことになる。

ま、私も私で意地悪だからね。
私はモラハラしちゃってるしね。

どちらも悪いのでしょうね。

もういい年のおばあさんだからね、高校のクラスメートの男の子、と言ってもおじいさんだけどね。
よそのおじいさんとランチなどするのも良いだろな。

そのくらいのお誘いは結構あるのだ。
うやむやに断っているだけだから、気にしないで会って、昔を思い出して笑って過ごすのも良いでしょうね。

昔を語れる友人がいる。
男女問わず、楽しいだろうな。




身内同然と言っても良い

2020-03-14 22:20:00 | Weblog
私の恩師は、私と同じ名前の恵美子さんです。21歳から今までお世話になっている。
途中恩師も私も親の介護の時は休んだりしましたが、それ以外はずっと切れずに続いていた。
5年ほど前に所沢から成瀬に転居してからは、通うのに無理があったのでエレクトーンの先生一本だった。

西武池袋線に横浜中華街行きの電車が乗り入れになってから、成瀬までは一度の乗り換えで行けることがわかった。


若い時から突っ走ってきたが、少し緩やかに生きていこうと決めてから、月一か二ヶ月に一回のレッスンをお願いしたところだった。

成瀬のお家は、1人で住むには広ーいお家だった。お城のようにステキなお家でした。近くに息子様家族もあるという。

そうか、それで所沢から離れたのだな。

老いては子に従いということなのですね。

5年ぶりに会った時私は泣きそうになるくらい懐かしかった。
私が21歳からずっと知っている恩師だから、あー、この匂いだと思った。

恵美子さんは、うちの隣にもいてね。音楽仲間に入って来てくれた人です。
この2人の恵美子さんには、これからもお世話になるのだろうな。

いつだったか入院した時、隣のベッドの人も絵美子さんだった。
私より先に退院する日が来た時「隣の絵美子さん、退院おめでとうござきます」と挨拶した。
すると次に入院して来た人は、中国の方で○○エミールさんという方だった。

偶然に驚いたものでした。


この頃は時間があるせいか、昔を懐かしむことが多くなった。
私の若かりし頃をよく見ていらした恩師の恵美子さんは、5歳年上。
私の長女も次女も、音楽の道へ進む時はお世話になったのでした。
親子共々お世話になったのだった。

懐かしいわけですね。

準備ができたら、またレッスンを受けに行くつもりです。

小旅行のつもりでね。


みんなも、そうなの?

2020-03-11 20:05:00 | Weblog
今日は講師会議だった。
28歳から75歳までの幅広ーい講師たち。
一番若い先生が赤ちゃんを連れて来た。すると、みんなで子育て時代の話に花が咲く。

一番若い先生を教えていたのは、今中堅の40代半ばの先生。中堅の先生を教えていたのが、50代半ばの先生。

私たちの講師仲間は、教え合うということもやって来た。
今でも、エレクトーンの先生がピアノを習ったり、フルートの先生がピアノを習ったり、歌の先生に歌を習ったり、オカリナも教わっている。

信頼関係が確立しているのだと思う。
指導して音大に入れて、卒業したらうちの先生になるなど普通のことだ。 

50代半ばの先生が、昔を懐かしむ場面があった。私などはこの頃そんな毎日を送っていたが、私の下の世代の先生がもうそうなったのかと思うと、ちょっと嬉しかった。

私も同感!

月日の経つのは、年月の経つのは、なんと早いのだろう。

時間があったりすると、考えなくてもいいようなことを考えて、憂いを考えたりするから、忙しいほうがいいですね。

あと1ヶ月半ほどで、発表会になる。
コロナウィルスが収束するのを待っているのだ。
発表会が実施されるとなったら、徹底的に除菌、消毒などわるのだ。
ホールの扉も1時間おきあるいは30分おきに開放する。
やれることは精一杯やって、無事に発表会を終えることができるよう、一丸となって協力し合おうと思います。

忙しい発表会になるが、スマートにやろうと思う。

さみしくなる時

2020-03-09 08:33:00 | Weblog
昔コバちゃんが言ったことがあります。「えみちゃんわかる?道を歩きながらわあわあと泣くなんてこと」

何を言ってるうさぎさん!あなたほどの怪物が!と思っただけだった。

でも今は、わかりますとも今ならね。

父が言ったことがあります。「一番良かったのは、一番大変だったころだな。帰ってきて子供が並んで寝ているのを励みにしたころだ」

わかるわかる、そうだな。
子供がみんな家にいて、忙しくて賑やかだったからだ。その頃は自分も若かったから何の憂いも無かった。

子供がみんな離れて自立して、手がかからなくなる。これも確かに楽しみだった。長女と次女が家を離れたころ、こりゃあ楽になるなあと思って嬉しかった。しかし私は空の巣症候群になったのだった。

こんなもんだね。

生きるのは大変だけど、楽しみが盛りだくさんである。

盛りだくさん楽しみがある頃が、懐かしいと思える頃なんだな。

コロナウィルスのことで学校が休みで、子供も親もストレスがたまっているとかテレビでやっている。
そのストレスをどう軽減するか…という工夫などを話し合っている。

その程度のストレスに弱いのか。
自分の子供じゃないか。

私などは言いたくないが、夫の母親のストレスが37年も続いたんだぞ。
子供見てもらったり世話にもなったが、差し引いてもかなり大変だった。


それに比べたら、ほらね。
頑張ってくださいよ。

今日は孫や娘が来る。

楽しくすごすのよ。

ストレスを吹き飛ばすのが、癒しの力ですね。

楽しみます。