音楽以外のパートを始めたのは62歳から。
いちばん初めのパートは、国分寺の診療所でのヘルパーの仕事でした。
コバちゃんの認知症が進み、92歳で施設に入った2年後あたりだった。
看護師の生徒さんの紹介だったが、ヘルパーの資格を生かそうとして始めた仕事でした。
4年半続けて、コバちゃんが亡くなりそうになった時、夜勤などしてられなくなりやめたのだった。
その頃の看護師の生徒さんが1年ほど前からレッスンを再開したので、その診療所の縮小する話はレッスンのたびにきいていた。
1階が内科と整形外科の診察室と事務所、2階に病棟、3階にはレーザー室とリハビリ室、ら更衣室などがある。トイレは各階にある。
10月から2階の病棟がなくなるとのことだった。
たびたびなつかしいなーと、話はしていた。
パートをはじめたひと月後、その看護師さんが私の音楽仲間の1人をまたそこに紹介して、私はその秀子さんと一緒に仕事をすることになった。
その頃ヘルパーは8人ほどいたが、真面目に仕事をするのは秀子さんと私くらいだった。
真面目というか、綺麗な仕事を心がけた。少なくとも、右手に湯呑み茶碗を持ち左手に汚れたおむつを持ったりしないのが私たちだった。
秀子さんはそこで、12年勤め上げたのだ。
そうか病棟がなくなるのか。
A患者さんは元気?といつも聞くことがあったが、患者さんはみんなほかの施設や大きい病院に入る事になるらしい。
2週間ほど前、秀子さんからメールが来た。
「あの診療所、いつ辞めてもいいくらいに思っていたが、いざ患者さんがいなくなり仕事がなくなると思うと寂しい…」と書いてあった。
「17日にAさんが他の病院にうつるので、Aさんには16日の勤務の日にご挨拶しようと思っている」とも書いてあった。
16日つまり昨日は私も空いていた。
朝10時に家を出て国分寺に向かった。
秀子さんが勤務だからいるのだなと思った。音楽仲間の陽気妃からも脱会してたので、秀子さんとも何年も会ってない。
会えるのが楽しみだった。
昨日は祝日なので診療はないから、2階に上がって看護師に訳を言って挨拶した。
秀子さんには行くと伝えてなかったので、驚いていた。
やっと会えた。
Aさんにも会う?と聞かれ、会わせてもらった。
Aさんは、あの頃よりもっと痩せていたが、お元気そうだった。
あの頃も何も喋らない患者さんだったが、食欲もあり問題なかった。
私はAさんの細い指の手を握った。
この感情はなんだろう。
病室やらいろいろ目にして、じわじわと湧いてきて泣きそうだった。
今後この診療所の診療は整形外科だけになり、看護師も2、3人だけと医師1人だけ。
2階の病室は看護師の休憩場所になったりするらしい。入院患者がいなければ、夜勤も日勤も無くなりヘルパーも必要なくなる。
こじんまりとやっていくのね。
看護師さんと秀子さんにお礼を言って、診療所をあとにした。
夜寝る頃、昼間の秀子さんを思い出した。ともかく真面目な秀子さんだったな。
私は、あの診療所で仕事をすることになった夢を何度も見たものだった。
台所でガタガタと音がした。
私は飛んで行き、暗い中よく見るとゴソゴソ何かが動いていた。
「パパー、パパー、パパー、パパー」と大声で夫を呼んだ。
「台所に何か生き物がいるのよーー」
「うるせーー‼️」
「…………‼️」
「笑笑笑笑笑笑」
夫は、トイレに起きて来た。
「笑笑ごめん、夢見てた」
「夜中にうるせーんだよ」
笑笑笑笑笑笑笑笑