えみこママのブログ

こんにちは。お元気してますか?いつもいつもエネルギーを分けてくださってありがとうございます。おかげで元気ですよ~。

立身出世物が好き

2021-06-28 06:41:00 | Weblog
相変わらずプライムビデオで映画を見ています。夜中の2時過ぎまで見ることも。

49歳で電車の運転手になった男の話や、都会で頑張って自分の居場所を見つける話などが面白い。
三國連太郎が好きで、最近は釣りバカ日誌もたのしい。

鈴木建設の社長が、社長業を捨ててアルバイトを始めた話が面白かった。
バイトに雇ってもらうが、派遣会社で初めてやる仕事はなんと、鈴木建設の清掃係という設定。
顔を隠すためサングラスにマスクで、仕事に臨むがこの社長はいくつもの資格を持っていて、いろいろと潰しが効くのだ。

掃除しに来た男が社長だと気づく社員の顔が面白い。
遠い昔三國連太郎は、王将で坂田三吉の役から映画息子の父親役、そして釣りバカ日誌と全然違うキャラを演じていて、見応えがある。
まだまだしばらくはこの釣りバカ日誌が楽しめそうだ。

昨日は発表会で弾くアンサンブルの練習と、小さい子供たちのリハーサルをした。
大体この辺でやると、さあ大変あそこを直さなくちゃ…という気が働いて、発表会ではちゃんと演奏できるというための、リハーサルである。

初めて発表会というこの4人が、普段は個人レッスンで習っているが他人とのアンサンブルも初めてだ。

なのによく頑張っている。
子供ってすごいなと思った。

ソロ曲もそれぞれよくまとめてあって、あと一息のところだった。

発表会があったのでいろいろ見えたこともあった。ゆうりにはちゃんと引っ張ってくれる指導者が必要だと思って、発表会の後からは長女がレッスンすることになっている。もちろん私が教えてもいいのだが、ばあばでいたい気持ちがあるので、下の孫も長女に託すことにした。

長女も私も長女の娘たちには、他の生徒のように接することができなかった。自分の子供は他人に月謝を支払って任せるべきだったと思う。
バイオリンは習っているが、ピアノは習わずに発表会にはともかく出てもらいたい。今特訓中のようだ。

だから小さい孫のことは、ちゃんとしてやりたいと思った。

ゆうりは他人に任せてはいたのだが、指導者が役不足の場合は変えなければならない。2年間ちょっと惜しかったがまだ取り返しがきく。

教室に通わせることの大切さ。雨が降ったら傘さして、雪が降ったら長靴履いて教室のドアを開けて習いに行く。これが大事だ。

小さい孫たちも、教室はばあばのうちで、ばあばは私たちのばあばと訳がわかっているから、昨日のように他人との合わせの練習の時でも、甘えがある。
ここは何らかの繋がりで自分は特別かもしれないという意識がある。

若い頃出張レッスンしたことがあった。
久米川に4人ほどお家の近い子供達を訪ねて教え歩いた。
教える人間が教わる家に出向いてレッスンするのだが、小さい子供たちは先生より立場を上に感じるようだ。
レッスンが終わってお茶を出してくれるのだが、小さい子供が「先生、飲みな」と言うのだ。

あれには愕然とした物だった。

だからお稽古事は生徒が教室に通うことからもう教育だ。

でもあの紅蓮華、とても良くなってきた。

リハーサルの後少し遊ばせてから、湯楽の里に3人で行った。
広ーいお風呂でゆうちゃんとサイちゃんは楽しかったようだ。お風呂から出てからのカレーやラーメン、かき氷も美味しかった。

帰ってきたらサイちゃんは寝てしまった。
疲れたよなあ。わけわかんないのに紅蓮華では太鼓叩かされて、ずっと好きに叩けるわけでもないから気を使っただろうな。

発表会が終わったら、大きい孫たちと小さい孫たちを連れてまた湯楽の里に行こうかな。

発表会のご褒美も何か買ってあげたいしな。

ヤッホー!

今日はホールでの打ち合わせの日です。

ではまたね。



仏子のおじいちゃん

2021-06-27 02:04:00 | Weblog
仏子に住んでいた私の父は、子供たちからそう呼ばれていた。
父は建具大工、木工大工職だった。だからそういった材木を扱う仕事を長年していた。

70歳になった頃、自分で髪を染めて黒くしてあるところの面接を受け、歳を60歳と偽って就職した。
私は、70歳なのだからもう仕事などしないでゆっくりすれば良いのにと思ったものだった。

年金や軍人恩給を結構もらっていたのだから、お金が足りなかったわけではないと思う。
じっとしていたくなかったのだろう。
今なら私にその気持ちはよーくわかる。

就職先は妹の子供のPTAの知り合いの家だったらしい。

父はお喋りが苦手だが、子供の自慢に関しては口が軽かった。
私を自慢に思っていたかどうかはわからないが、私の話をしたようだった。

「所沢の娘は、自分が30歳の時の子供で、今40歳で、音楽教室をやっている」と話したらしい。

もう、自分の歳、バラしていた。

またその前に妹からの情報で、とっくに明かされていたと思う。

就職先の方は「身体も丈夫そうですし、惜しみなく身体を動かして仕事してくれますから、しばらく働いてもらいますよ」と言ってくれた。

なんかやはり親子だなと思い出した。
私も惜しみなく、裏表なく働くから。

仕事がしたい。なんならきつい仕事でも良い。なーんて言い出した4ヶ月前の私みたいだ。

友達も同級生も、講師仲間も、生徒さんも、口を揃えて「どうかご無理なさらないでください」と言う。

まったく、余計なお世話だ。

病気したんだから…と、言いたそうなんだ。

うっせえ!と言いたくなる。

なーんにも知らないくせに。

子供たちとか大きい孫などは、反対しない。
ばあばはやりたいことはやるタイプだから、と思っているかどうかはわからないが、笑ってはいる。

あの後父は、3年ほど働いたのではなかったかな?なんだか車の運転中に追突されたことから、仕事を辞めたようだったとおもう。

でもその後は私の家に来て、コバちゃんの要望に応えてうちの雨戸を全部きれいに直してくれたっけ。

遠くから来る父を待って、一緒に材料を買いに行ったり一緒にお昼を食べたりしました。

父の道具箱は道具がきれいに並んでしまってあって、さすが職人だなと感心したものだった。

水戸黄門や遠山の金さんなどが好きだった。

父の道具箱は、私の楽器かな?

強く結んだ結び目を太い指で、最も簡単に解いてしまう器用な父だった。

コロナのワクチンもしたので、お盆にはまたみんなでお墓参り出会いたい。

もう一年の半分が過ぎてしまいましたね。

あっという間ですね。

1日が1週間が、1ヶ月が速い。

暑い夏を元気に過ごしましょう。

ではまたね。

記憶違い

2021-06-25 09:15:00 | Weblog
夫は何一つ自分で決めなかったのに、ひとつだけ決めたことに私が従ったことがある。

お腹に長女ができた頃仕事の後、実家に寄ってから帰宅した時だ。あの頃は私たちは隣の市に住んでいた。

「おい、子供が生まれるし、おふくろたちと一緒に住むぞ!」と言ったのだ。

そうか、この人は長男だからそうなるだろうとは思っていたが、早いなあ…と思っただけで言う通りにした。

少しして実家に寄ったら、増築が始まっていた。下は広い部屋が一つ、あとは二階に二つ部屋があり小さい台所がついていた。

下の部屋は何かと聞くと、音楽教室だと言う。出産と子育てと親との同居と育児そして音楽教室がいっぺんに始まる。
これは大変なことだとは思ったが、夫について行けば何とかなるのかな?くらいに思った。

高校時代アルバイトするのに、ピアノの練習を優先してやっていた。
ホットドッグ屋さんのバイトのそばに楽器店があって、貸しピアノを利用したり、小学校でバイトしたのも、音楽室のピアノが自由に弾けると言うおまけが良かったりしたからだった。

駅のそばにも音楽教室兼貸しピアノをやってるところがあり、音楽室が使えない時はお金を払ってピアノを借りて練習していた。

私の家にピアノが入ったのは高校3年の頃で、それまでは足踏み式のオルガンだったのだ。

そんなハングリーな時代に、いつか自分でもあの貸しピアノのおばさんのように自分の城が持てたらと思ったと思う。

親との同居は夫が勝手に決めた…と思っていたが、私の中にも小さな計算があったのかもしれない。
そうだ、きっとそうなんだな。
そんな気持ちを夫が悟って、2人にとって良い道として親との同居が必要だったのだろう。

そうか、全ては私が考えていたことだったのか?

私はなかなかしたたかな人間だったのだな。だから頑張れた。

子供にも音楽を選ぶように仕向けた?

まさか!それは少しは計算があったが、選んだのは本人だな。

ま、いいか。

これからは夫に「なぜコバちゃんたちと同居なんて決めたのよ❗️」と、強く迫っていじめてはいけないと言うことだ。

私にも責任はある。

うん❗️

仕事さまざま

2021-06-21 08:40:00 | Weblog
私の仲間や同級生は、ほとんどが年金暮らしで優雅に見える過ごし方をしてる人もいれば、切り詰めて生活していそうな人いろいろだ。

私などは昔から仕事してきて、夫の収入と私の収入で義父母の生活も全部肩にかかっていたから大変なことだったが、今は2人だけの生活になった。

仕事先で会う同年齢の人と、今日は少しおしゃべりできました。
歳をとって孫がいて、という普通のことを楽しそうに話す人だった。

孫を面倒見たり預かると、お金もらえないでお金かかりますと言う。

そうそうそれそれ、だから私たちは働くのね。でもそれだけではない。年金生活をより充実したいからもある。それと、私の場合は自分の習い事を大いばりでやるため。かな。

これが叶う老後生活は、最高だ。
それに仕事するためにシャン!とすることがより大事。

コロナ禍でグダグダ過ごしてきたので、ダボダボの身体になっている。昨日の仕事場には大きな鏡があるので、時折映る自分の姿に何度もため息が出た。

昨日は疲れて、大河ドラマの前に寝てしまい、今朝は8時少し前まで寝ていた。
発表会まで20日ほど、このまま発表会を迎えては大変だ。たとえ2キロでも減らさなくちゃね。

働くとストレスもできる。で、食べる。
気をつけようとする。で、食べる。これ解消するのはいつ?

今でしょ❣️今日でしょ❗️今日からでしょう❓

発表会の服がスッキリ着れるように、やってみます。

すっきりすれば、仕事もスッキリした身体で軽く素早くできる。

仕事をするためにも発表会をするためにも、身体は資本だから。

また報告します。
何しろ今、マックスなんですよ。
重いんです。

20日で2キロ、これが目標です。

ではまたね。




実家みたい

2021-06-13 14:34:00 | Weblog
21歳からお世話になっているピアノの恩師のお宅に、行ってきました。

弾いたことがない本を2冊決めて、そこから5曲練習していたものの、この1週間はほとんど触っていたかったので、仕上がったのは二曲だけでした。それもおまけだったかも。

反省。

やはり続けなければね。

昨日は娘の結婚披露宴のDVDを観て、もう会えなくなってしまった人にも会えて、一人で涙したり笑ったり色々しました。
熊本のご両親には、とてもお世話になりました。コロナ禍の中、見舞いにも行けず歯痒い思いと残念な気持ちと寂しさが襲ってきました。

あの時のあの笑顔、あの歌声。あれはまぼろしか?
また、叔父叔母や父もそこにはいました。
コバちゃんも。

叔母2人と叔父は、演歌を歌ってくれた。
なかなか良い声をしていた。あの頃の叔母たちと今の私の年齢は近い。
叔母たちはあんなに若かったのだな。

あの頃若かった娘たち世代の友人たちは今や40代後半になっている。
少し前の私たちの歳とは言わないが、10年20年など過ぎるのはあっという間です。

恩師の家に向かう途中、恩師からメールが入った。
「おにぎり4個買ってきました。昨日揚げた方もあるし、キャベツの千切りもあるし、しじみ汁の味噌汁もあるし、デザートもコーヒーもあります。どこにも寄らず来てください。レッスンのあと、お昼を一緒にしましょう」と。

それに甘えて、おしゃべりにも花が咲きました。やはりね。健康の話、病気の話でした。この手の話が1番興味がありますね。
あと、老人ホームの話。笑笑

今朝、家を8時半に出て、今八王子までかえっています。

楽しい小旅行でした。

また来月、よろしくお願いします。



おじいさんに…

2021-06-09 19:57:00 | Weblog
夫は若い頃からグルメで、しかも普通の人の倍は食べてきた。
栄養とったのに、骨粗鬆症でたびたび転んでは骨折しています。
歯医者に通っているのだなと思っていたが、半年ほど前、初めて夫の部分入れ歯を見た。

2個ずつ歯がついているのが2つあるのだ。

「どうしたのそれっ、いつ作ったの?」
「なにが?」こんな会話だった。その先突っ込んでみた。

「部分入れ歯にするのはパパが決めたんでしょう?」と言ってみたが、それから大変で話が噛み合わず、大声になって喧嘩腰になりそうになったから後は飲み込んだ。

今日は私が3時半から、夫も5時から歯医者だった。

私がさきだったので、先生に言った。

「主人は部分入れ歯なんですね。主人は食事の時入れ歯は使っていませんよ。普段も使わないです。で、こちらに来る時だけ入れ歯してるようです」

「ぷっ…」

先生はマジでちょっと吹き出したのだった。

「自分で決めたと思いますが、なぜ部分入れ歯にしたのでしょうね。たぶんお金がかからないようにと思ったのかもしれません。ブリッヂとかにしてもらえませんか?」

夫は歯医者から帰ってきて、「お前、ばらしたな。先生に言われちゃったよ。それで2個ずつの部分入れ歯を一つずつにバラしてくれるって」

「それて、はずしたりもするの?」

「はずしてもいいし、外さなくてもいいって」

「そんな前のものなんか捨てちゃって、ブリッヂにしてもらいなさい」

「あはは🤣」


ヘルパーやった時、入れ歯の洗浄やったなあと思い出します。

70ちょっとで入れ歯なんかして、外した時にテーブルの台布巾の上に乗せたり、台所の洗い場で入れ歯を洗ったりしてる夫。

10年ほど前まで、コバちゃんがやってたことと同じことをしている。

入れ歯、反対❗️



死ぬまで、こうしていたい

2021-06-03 23:50:00 | Weblog
若い時からだいぶ先の夢、2、3年後の夢、一年さきの夢と、楽しいことを考えてはどうしたら実現できるかを考え、方法を見つけるのが好きだった。

切羽詰まった事を実現する時は、コバちゃんにこう言った。

それは私がこそこそしてるのをコバちゃんが嗅ぎつけて、姉たちに電話しまくって阻止しようとした時だ。

まるでシンデレラの継母とその娘達のようだった。
でもだからといって姉達を嫌ったりはしなかった。往々に世の中そんなふうなのだと思っていたからね。

どう言ったかというと…

「よくよく考えたんだけど方法が見つからなかったけど、やっとどうするのがいいのかわかったのよ。私はさあほら、やりたいことはやるタイプだから」

「なによ。何考えたって言うのよ」(これ、コバちゃん)

「お金はまだまだ子供達にかかるから無いの。コバちゃんから借りるのが一番だと思ったの。ねえ、お母さんお金貸てー!」

コバちゃんは目を丸くして、口を開けていた。
そして「いくらかかるんだい」と言った。

「お母さん、ありがとう!絶対返すからね。ほら私、返す実績があるでしょう?」

「たくっ」

協力してくれるなら、あんなことしないで素直に協力してくれたたらよかったのに。と私は思ったものでした。

音楽以外の仕事は月に6日なので、また別のことも考えています。

コロナ禍には、夢も希望も無くなり病気にもなって弱気でした。
どうやって死ぬまで過ごそうかとか、あと何年くらい生きれるか分からないから、何もしたく無いとかね。

おとといコロナワクチンをしました。1回目は心配ないと言っていましたが、なんとか無事でした。2回目も決まっています。

それで、また少しさきの夢も見つかった。

歳を取ったら自然と夢など持たなくなるのかと思ったら、違うのね。

夢がいっぱいです。
やりたいこともたくさんある。
身の程知らずに面白く生きて、突然死ぬのが良いなと考えを変えましたよ。

死を思いながら生きるのでなく、夢を思いながら生きたほうが楽しいのに決まっているから。

夢に向かって進みます。

今日骨密度測定してもらったら、154%でした。40代の骨だそうです。
そう、そんなこともあったので元気が出たのでしょう。

♪♩やっほーーー!